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ドラゴンテイル 辺境行路 作者:猫弾正

一章

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土豪 04

 鍋で沸騰している湯に塩と雑穀を入れた。

雑穀をかき混ぜながら、頃合を見て小刀で食べ易い大きさに刻んだ蕪を入れる。

よく煮込んだお粥を鍋から木皿によそうと、切り刻んだ玉葱をオリーブ油と塩で金色になるまでよく炒めたのを加える。

 アリアは強い塩味が好みなので、湯気を立てている粥に香り付けと味付けとして香草と一つまみの塩をもう一度振りかけて出来上がり。


 『竜の誉れ』亭の一番上等な個室の暖炉の傍らで、エリスとアリアが昼食を取っていた。

塩で味付けした温かい粥には、切り刻んだ野菜と香草が浮かんでいる。

主食は団栗を灰汁抜きしてから石で砕いて粉末にし、雑穀を繋ぎにして焼いたパンである。

 これを粥のスープにつけて食べると、それほど不味くない筈であったが、どうやら黒髪の女剣士にはお気に召さなかったようだ。

「……肉が食べたい」

 膿んでいた傷も順調に癒えている。アリアはもはや高熱を出す事もなくなり、旺盛な食欲が戻るにつれて、しかし食べ物の好き嫌いが露骨に激しくなっていた。

エルフの娘が溜息を洩らして小声で言った。

「この人は……また贅沢な事を」

「血が足りない。肉を食べたいと身体が求めているのだよ」

 呆れたような半エルフの言葉に、黒髪の娘は匙を振りながら断固として反論した。

雑穀の粥ばかりでは力がでない。

そうほざいた連れの為に態々、旅籠の台所を借りてエリスが作ったお粥だった。

流石に腹立たしさを抑えかねた様子で、翠髪のエルフは頬を微かに痙攣させながら、鍋で煮立っているお粥を一瞥した。

「私は貴女の使用人ではないよ。お気に召さなかったなら、食べなければいい」

「いや、君の料理は美味しいぞ。素晴らしい。ただ、血が足りないのだ」

 料理に文句を付けた癖にあっという間に粥を平らげておかわりをよそっていると、女剣士の図々しさに呆れたのか。馬鹿馬鹿しくなったのか。

 アリアに少し疑わしげな視線を向けながら、エリスは渋々と矛を収めた。

「……アリア、意外と性格が悪いな」

 嘆息混じりのエルフの言葉に気を悪くした様子もなく、女剣士は真っ直ぐな視線で見つめると笑顔を浮かべて切り返した。

「そうかも知れぬ。だが、君はいい奴だな」

 素直に受け取れば、人柄を称賛しているとも取れるし、

「お人好しと言いたいのかな?」

 どちらとも取れる言葉に、エリスは何処か疑わしげな視線を返した。

女剣士は苦笑すると手を伸ばしてエルフ娘の手に掌を重ねた。

そのまま軽く握りしめると、指と指を絡め合って握り合う。

 頬を染めたエリスが照れたり、俯いたりして食事の手を止めている合間に、アリアは五人前は在る鍋のお粥を何度もおかわりして一人で平らげてしまった。


 廊下から重たい足音が近づいてくる。

扉から入ってきたのは旅籠のバウム親父であった。

手のお盆には、ワインの入った素焼きの壷と真鍮の杯を二つ乗せている。

此の時代の飲み方は、甘さの残るワインをお湯で割って暖めたのが主流である。

「ご注文のワインでさぁ」

 アリアが優雅な足取りで近寄ると、ワインを受け取りながら

「水で薄めてないだろうね?」

 心外そうに目を見開いて、肥満した親父は両手を広げた。

「勿論でさ。此のバウム親父は……」

「正直で知られているんだろう。さあ、代金だ」

 ワインを卓に置くと数枚の錫銭と鉛銭を手渡してから、ふと思いついたように言い渡す。

「親父、夜は肉料理を出してくれぬか?」

「肉ですかい?ですが……そりゃあ」

 バウム親父は渋った顔を見せて視線を彷徨わせている。

「無いという心算か?在るだろう?此の手の旅籠には、こう取って置きの肉が。

腸詰とか、塩漬け肉とか、干し肉とか、仕舞ってある筈だ。

知ってるのだぞ。さあ、出せ。勿論、只でとは言わぬ」

 アリアは、大振りの銅貨を財布から取り出した。

フェレー貨と呼ばれる南大陸で鋳造された価値の高い貨幣である。

先程、払った小銭とは比較にならない価値を持つ。

金払いのいい上客を相手に、旅籠に肉が無い筈もないのにバウム親父は妙に渋っている。

「まさか足りぬという心算か?」

流石に女剣士の声が剣呑さを帯びると、じっと睨まれた旅籠の親父は困ったように弁解を始める。

「それがですね。お嬢さまにお出ししたいのは山々ですがね。

つい先日まで南方人の商人の一行が泊まってまして、全部、喰っちまったんですよ

で、実は近くの農園から肉を仕入れていたんですが、どうもオークに襲われたらしくて……」

額に汗を浮かべているバウム親父を前に、

「……そうか」

粘るかと思いきや、溜息を洩らして女剣士は寝台に突っ伏した。

親父が退室すると、エリスは暖めたワインを啜りながらアリアに歩み寄った。

「諦めなよ。魚なら何とか河沿いの村で仕入れてくるからさ」

 つまらなそうにしている顔を覗き込んで言うと、下から見上げていた女剣士が名案が浮かんだかのように朗らかな笑顔を浮かべていた。

「然り!無いなら仕入れてくればいいのだ」


 川辺の村落から若い農民の兄弟と連れが旅籠にやって来たのは、丁度、昼頃になる。

宿の娘に北の農園の位置を聞いたエリスとアリアは、出掛ける寸前であった。

旅籠の玄関に面する食堂を兼ねた玄関広間に、五、六人の若者が集って何やら話している。

兄弟にしては多いから、友人知己も混じっているのだろう。

 六尺棒や棍棒、鎌などの得物を手に手に、顔に青痣や擦り傷を拵えた若い村人を取り囲んでは、心配する者もおり、殺気立った様子で猛っている者もいた。

「奴ら、ぶっ殺してやる」

物騒な言葉を口走っている青年と襲われた友人を見比べて、痩せた農民が言った。

「落ち着けよ。しかし、酷い目に合ったなあ」

「物騒だ。暫らくは一緒に行動した方がよかろうよ」


 エルフの娘が傍らを通り過ぎる際にちらと視線を向ければ、気勢を上げている村人たちには何かしらの怪我をしている者も多かった。衣服は何処かしらが破れ、或いは血に滲んでいる。

恐らくは、先日のオークの襲撃で手傷を負わされ、気が立っているのだろう。


 外に出ると風が砂埃を巻き上げていたが、太陽は中天にあってよく晴れている。

大気は冷たく澄んでおり、旅立ちには良さそうな日に思えた。

エルフの娘は旅籠の外で立ち止まると、友人に目を向けた。

「まだ、危ないのではないかな」

気が進まない様子のエリスに、アリアは快活そうに笑いかけた。

「今度は近くだ。様子を見て危険そうで在ったら直ぐに引き返せよう」

「最近、ここら辺は危ないよ。もう、ティレーまでさっさと行った方が良くないかな?」

「心配するな。あんな大勢のオークとの遭遇が、二度も立て続けにある筈ないだろう」

 黒髪の娘が気楽に請け負う傍らで、エルフの娘は尚もぶつぶつ言って渋っていたが、鼻歌を唄いながらアリアが歩き出すとその背中を追いかけ始めた。




 この時代のヴェルニアにはよくある話ではあるが、行き倒れているところを拾われた者が助けた相手に対して奴隷や召使となって仕えるというのは、さして珍しい事ではない。

 基本的には助けた側の人格に拠るところが大きいが、行き倒れているのは大抵が寄る辺もなく地を彷徨う浮浪者や貧しい旅人であったし、一方でわざわざ他人を助ける余裕を持っている者となれば、他者を養えるだけの財産を持つ富農や郷士、豪族が多かったからである。


 勿論、行き倒れを見つければ、己が貧しくても介抱する善良な人間も少なくなかったし、

また、行き倒れている者のうちには、目的地に行く途上に偶々道に迷うか、運悪く病で躰を壊してしまった旅人、誰かに仕えて安定した生活を送るよりも、貧しくとも自由な漂白の旅を好む物好きな放浪者もいた。

 本人に些かの心の満足を残して無償での人助けとなる事もあれば、助けられた者が代価に幾ばくかの銭や食料を手渡すなり、しばし労働で奉仕するなりして、恩人に報いようとする事も多かった。


 一方で、世の中には善良な人間が少なからずいるのと同時に邪な輩が絶えることもない。

性質の悪い富農などのうちには、財産を増やす為に気分を悪くして道端で休んでいただけの近隣の農民を強引に浚ってきて、無理矢理に恩を被せて奴隷とし、庇護者である別の豪族と争いになるような輩もいた。


 しかし、元より大半の人々の生活に余裕が存在しない時代と場所である。

蓄えも少なく、ちょっとした飢饉や旱魃で貧しい人々は容易く飢えに陥った。

オークの襲来に住処を追われた人々は、近隣の豪族の土地へ転がり込んでいく。

たとえそれが自由民からの転落を意味するとしても、人々は藁にも縋りつく思いで差し出された手に縋りついていた。

 生活の面倒を見てくれる人間に拾われるのならば、そのまま飢えて死ぬよりは奴隷となるのもそれほど悪い話では無かったのだ。


 辺境南部の有力豪族の一人、クーディウス氏に『仕える』奴隷。

数日を屋敷で過ごすうちに察したところでは、どうやらそれが赤毛のジナの今の立場であるらしい。

元より土地の言葉も喋れない、みすぼらしい身なりの異民族の娘。

訳の分からない言葉で何かを訴えているとて、一体、誰がまともに話を聞くだろうか。


 クーディウス氏の奴隷の扱いは、過酷でもなければ寛大でもない。

少なくとも奴隷の生活には責任を持っていたし、一方で拾われた者が奴隷として扱われるのが嫌なら出て行く自由もあるのだ。

例え、それが野垂れ死と同義であるとしても。


 大きな屋敷だった。

裕福なことで知られていたモアレの村にも、これほど大きな屋敷を構えている者などいなかった。

村の中心にある屋敷には、使用人も含めて恐らく三十人以上の人間が暮らしている。

奴隷はその半分ほどの人数だろう。

 堀と塀に囲まれた広大な敷地と草葺屋根の横長な屋敷は、一見、まるで砦のようだ。

家畜小屋や大足鳥や馬がいる厩舎、納屋など複数の建物が並んでおり、隅には粗末な奴隷たちの小屋がぽつねんと建っている。

門は何時でも開いており、助けられた者が奴隷となることを嫌った場合、二、三日中なら出て行く事も出きた。

 赤毛の奴隷娘と同時期に拾われたある農民一家も、奴隷となる契約を嫌って立ち去った。

立ち去る時には幾ばくかの食料を与えられたものの、田畑も蓄えも失った状況である。

三日後、食料を食い潰した一家が、再び助けを求めて戻ってきたが今度は門に入る事を拒まれた。

飢えた妻と乳飲み子たちを傍らに、切羽詰った父親は最後には奴隷として使ってくれるよう懇願し、家族丸ごと頑丈な革の首輪を嵌められて下級奴隷に落とされた。

こうなると彼らは豪族の『所有』する財産であり、もはや土地を自由に行来する権利も失われるが、それでも飢えて死ぬよりはましなのだろうか。

生きていく当てもない。かといって奴隷にもなりたくない。

 そう考えてクーディウス氏の村から食料を盗んだ別の男は、捕まって牛馬のように焼印を押され、最下級の奴隷へと落とされた。


 一口に奴隷といっても、その内訳は千差万別。様々な立場がある。

便宜上に自由民が年季を定めての奴隷、借金を返済するまでの契約奴隷、戦争捕虜や浮浪者のように自由民の権利を持たず豪族の財産に近い立場の奴隷、罪人などがなる最下級の奴隷に分類すれば、赤毛の娘の身分は、使用人に近い契約奴隷の最下層だろうか。

使用人たちや代々の農奴、他の自由民奴隷たちから見下されているが、首輪もつけていなければ、焼印も押されていない。

 普通、言葉の通じぬ異民族が奴隷となれば、よくて財産。悪ければ家畜の如き扱いであるから、クーディウス氏の無関心と紙一重の寛大な扱いには、皮肉ではなく感謝するべきだろう。

出自も分からぬ異民族の娘など、もっと悪い立場に落とされることもありえたのだ。



 兎にも角にも屋敷から出て行かない以上、奴隷として扱われることに同意したと見做されるのが慣習法である。

 薪拾いや穴掘り、排泄物の処理、荷運び、家畜の世話、柵の修繕、草葺屋根の材料集めと補修、縄作り、洗濯。

奴隷頭の監督の下、赤毛のジナは毎日を忙しく立ち働いている。

仕事はそこそこに厳しいが、それほど長時間を働く訳ではない。

労働の報酬に与えられるのは、屋根のある寝床と家畜の餌のような味付けも殆どない雑穀の粥であった。

到底、足りないので、奴隷たちは外働きの時や自由時間に胡桃や木の実を拾って来る事で飢えを癒していた。


 仕事は辛かったが、今の時点で屋敷を出て行く訳にはいかない。

生活の為ではない。何とかして主人である豪族に接触し、北方で起こった危急の事態を伝えて、救援の軍勢を出してもらわなければならないのだ。

辺境の村人にしては比較的、教養もあり、柔軟で想像力に恵まれた赤毛のジナは、此処までは状況の激変を冷静に観察し、曲がりなりに対応して生き残ることが出来た。

とは言え、逆に言うと生き残っただけであり状況は行き詰っている。


 クーディウス氏の土地では、大勢の奴隷を所有する豪族と奴隷の差は絶対的なものであり、どうやら一介の奴隷では主人と自発的に接触する事さえ許されないようなのだ。

自由民が多く、買われてきた奴隷もあまり主人と変わらない生活を送っていたモアレの村人であるジナにとって、人が家畜に準じる扱いを受けるのを実際に目の当たりにするのはかなりの衝撃であった。

前もって旅人から聞いた噂話や風土記でそういう土地も在ると読んでなかったら、さすがに赤毛のジナも目の前の光景の意味を理解できずに挫けてしまったかも知れない。


 屋敷には大勢の奴隷がいるが、身分によって立ち入れる場所は厳しく制限されている。

なので、まずは言葉を覚えなくてはならなかった。

幸いにして北方語も南方語も、原ヴェルニア語を元に成立した同系統の言語である。

文法も、接続詞も、語尾の変化形も殆ど共通。

文字は周囲の人間が読めないので、通じるかどうかは分からない。

辛うじて知っている幾つかの単語を地面に書くことで意思の疎通を図ったが、面妖なまじないだと思われて奴隷頭に殴られた。前途は多難である。



 厩の片づけを終えてから水を汲んでいると、太った中年の女が寄って来て、山と詰まれた汚れた服を指差した。

「……セ……」

「はい、洗濯ですね」

北方語で元気よく返事すると、ジナは籠に服を詰めて他の女達と一緒に井戸へと向かう。

冬の井戸水は恐ろしく冷たい。

「ツメタイ!」

 此の数日で覚えた南方語で叫ぶと、周囲の女達が一斉に笑った。

吐息は白い輪を形作り、次の瞬間には大気に溶けていった。

手を悴ませながら、柔らかく揉み洗いする。

周りの女が何か喋って、笑い返してくる。大分、打ち解ける事が出来たようだ。

 赤毛の村娘は、何かの機会がある度に熱心に話しかけて、言葉を覚えようとしていた。

笑顔を絶やさずに兎に角よく働き、話しかける。単語を覚えては、繰り返した。

言葉も碌に喋れない馬鹿扱いだが、気にせずに微笑みながら頷いて、単語の意味と発音を脳裏に刻む。

どうやら自分が南の土地の豪族に拾われたらしいと最初の日に察し、今はクーディウス氏の屋敷にいる事、一族が周辺一帯でも有力な豪族の一人である事を理解していた。


 最初は、訳の分からない言葉を話す気違いではないかと思われていた節もある。

赤毛の娘は名前を知らせる為に、己を指差して「ジナ」そう繰り返した。

そして北のほうを指差して「モアレの村」と告げた。

それでどうやら北方人らしいと分かってくれたようだ。


 狭い村だけを世界として生まれ育った者のうちには、異なる言葉の存在さえ想像付かない人間もいる。

そうした人間からは、全く違う言葉を話す人間などが時として未知の怪物に見える事も間々あった。


 異民族への恐怖は、あながち偏見ではない。

絶え間ない異民族の脅威に脅かされている土地。

例えば悪名高きシレディア人の襲来と略奪に晒されているアーネイなどでは、人々は異民族をすべからず悪鬼の如き存在だと思い込んでおり、異民族と見るや凄まじい敵意を見せると、パシティウス著の『風土記』、各地の風土を纏めた本で読んだことがあった。

だから馬鹿と思われる方がいい。赤毛のジナはそう思う。

少なくとも、胡散臭い余所者や侵略者の一党と見做されてリンチに掛けられたりしないからだ。


 赤毛のジナが生まれたモアレ村は、北方系の移民の子孫である。

此処はきっと南方系の移住者の子孫なのだろうと彼女は推測していた。

南方人と北方人では、同じヴェルニア文明圏といっても話し言葉がかなり違う。

勿論、ヴェルニア圏外と比べれば、所詮は方言レベルの差異であるが、単語やイントネーションが違えば意志の疎通は中々に困難である。

 先日に出会った女剣士は東方人で、東方語は南方語と北方語の丁度、ちゃんぽんのような言葉であったから意志の疎通は充分に出来た。

ただ、閉鎖的な土地と開放的な土地などでは、同じ言葉もまた変化し易さが違う。

南方人と南方人、北方人と北方人でも、場合によっては方言が違いすぎて会話が通じない。

人の交流の途絶えがちな辺鄙な場所など、村ごとに孤立してる土地では、隣村とで話し言葉が異なる事も珍しくない。


 まずは北方語を喋れる人を探したいが、連日、休みなく働かされておりその隙もない。

余った時間はつい休息と食べ物集めに使ってしまい、村の内部も碌々見て廻る事さえ出来ないが、働いている屋敷の主が相当に有力な豪族であるのが分かっただけでも今は収穫であった。

村で助けを待っている妹が無事か如何かさえも分からない。

時に胸に吹き出す焦燥に叫びたくなる時もあるが、せめてそう思いたかった。


 誰かが喚きながら女たちの洗濯している中庭にやってきた。

中年の貧相な男が周囲を見回すと、偉そうに母屋を指しながらいきなり怒鳴り始めた。

うんざりしたようすで太った女が何か言い返してきたが、貧相な男が何かを言うと渋々頷いた。

中年女の指示で、女達は洗濯物を持って立ち上がると裏庭へと歩いていく。

赤毛の娘が同じように洗濯物を籠に入れて歩き出そうとしたとき、中庭に大足鳥に乗った若者に率いられた数人の兵士が入ってきた。

 誰も彼も酷く疲れきった表情を浮かべて、足を引き摺るようにして入ってきた一行は、そのまま中庭に散ると力なく木材に腰掛けたり、地べたにしゃがみ込んで俯いている。


 気にはなったが、現時点で意志の疎通が出来ないのであれば、接触しても無駄かも知れない。

疲れた様子の兵士達が井戸に群がって我先に水を飲み始めたので、好都合だと邪魔にならない程度の位置で人影に移動した。

 万が一、見咎められて奴隷頭の鞭を喰らいたくはないので、指示の言葉が聞こえなかった振りをして洗い物を続けながら、そっと耳を欹てて様子を観察するに止める。


 毛織物の暖かそうな服を纏っている栗毛の娘が屋敷から出てきた。

騎鳥から降りた若い金髪の青年に話しかける。

「お帰りなさい、弟くん」

南方語の『おかえりなさい』は、北方語でも「おかえりなさい」の意味だった。

『弟くん』は、青年の名前だろうか?それとも無事でよかったの意味?

赤毛の娘が注視している最中、娘はおっとりとした優しげな顔つきで、心配そうな表情を浮かべて若者に何やら語りかけている。

「ただいま、姉さん」

「弟くんは疲れた顔をしているね。無理をしてはいけないわ」

二度繰り返したところから、恐らくは名前だと赤毛のジナは推測する。

『弟くん』はどうやら重要人物らしい。じっと見つめて容姿と名前を脳裏に刻む。

クーディウス一族の子息だろうか。

「酷いものだ。オークの襲撃で何人も……」

青年の笑みは強張っている。

確かに聞いたオークという単語に、赤毛のジナの心臓が高鳴った。

息を飲んで耳を済ませる。

恐らくはオークの襲撃された土地を見て廻ったのか、それとも小競り合い。どちらだろうか。

土器に入った洗濯物を掴んで手を機械的に動かしながら、ジナは懸命に耳を欹てて会話を聞き取ろうとした。

貧相な中年男が残っている赤毛の娘の姿を見咎めたが、青年をちらちら見ながらも真面目に仕事をしている様子を目に留めると、馬鹿にしたような、少し生暖かい笑顔を浮かべてから屋敷のほうへと歩いていった。


 顰め面を浮かべていた青年が、ふと中庭を見回した拍子に姉弟を凝視していた赤毛の娘と視線が交差した。

疲労で強張っていた表情にぎこちない笑顔を形作ると、青年は井戸の傍にまで歩み寄ってきてから、自分が拾った赤毛のジナに涼しげな声で語りかけた。

「元気そうだな。此処には馴れたか?」

 栗毛の女性は、少しだけ不思議そうに弟と親しげにしている奴隷娘を眺めていた。

何を言われているか理解できない赤毛のジナは、立ち上がりながら首を傾げている。

「調子は如何だ?」

 調子を尋ねているらしい。或いは、この人が助けてくれたのだろうか。

窺うような赤毛娘の用心深い視線と、青年の疲れたような眼差しが交差した。

話しかけてくる処を見るとそうかもしれない。悪い人ではなさそうだ。

「『弟くん』様。助けていただいてありがとう御座いました」

 偉そうな人たちだ。

北方語交じりの拙い南方語で言葉を紡ぎながら、己の胸の上に掌を添えて、恭しげに丁寧な礼をする。

此処で良い印象づける事ができたら、豪族の首領まで話が持っていけるかもしれない。

「……君は」

「……此の娘」

姉弟の二人ともが、あれっという困惑したような顔を浮かべた。

「弟くん様に拾っていただけなければ、私は死んでいたでしょう」

男女は沈黙して聞いている。もしかして北方語が分かるのだろうか。

「もしや、北方語がお分かりになりますか?あの……私の村。モアレの村がオークに……」

思わず北方語で訊ねると、返って来たのは意味の分からない南方語だった。

「何を言ってるんだか、分からんよ」

「にっ、弟くん様だって。おかしいっ。此の娘、弟を名前だと思ってるのよ!」

 クーディウスの姉弟が可笑しくてならないという様子で腹を抱えて笑っている。

赤毛のジナは期待が萎んで、がっくりして肩を落とした。

急に泣きたい気持ちが沸いてきたが、此処ではまずい。

笑顔を浮かべてもう一度一礼すると、洗濯物の入った籠と土器を抱えて、裏庭に駆けていく。

「あ……ちょっとま……」

 呼び止められていたようだが、もう駄目だった。涙腺が崩壊した。

張り詰めていた気持ちが弾けて、誰もいないところまで走って納屋の壁に寄りかかると、赤毛の娘は掌で顔を覆ってぼろぼろと涙を零した。

みっともない……自分は何をしているのだろうか?

こんな処で奴隷になって、のんびり言葉を覚えてから訴えかけようなんて正気なのだろうか。

やはり、ローナに行くべきだったのではないか?

いいや。強力なことで知られる南の土地の豪族たちだ。

急を知らせて協力を仰ぐのは、けして悪い考えではない。

他の北方系の町や村は遠すぎるし、南の豪族たちとはずっと前に助け合ったことが合った。

だから、頼りにするのは間違いではない。

事態は刻一刻を争う。今さら他の手を模索している暇もない。

でも、それを言うなら初めから南方語を喋れる村人が知らせに来れば……

私に使命をこなせるのだろうか。

 啜り泣いている赤毛のジナには、村の何処かに残してきた妹のことやら、様々な可能性やらがぐるぐると渦を巻いて頭のうちを廻っていた。


 しゃがみ込んで静かに嗚咽しているうちに、ふっと影が差した。

赤毛のジナが気づいて顔を上げた時には、数人の男が周囲を取り囲んでいた。

粗暴で粗野な雰囲気を纏わせて、口元には歪んだ笑みを浮かべた他の奴隷たちだ。

「そんなに若旦那がいいか?」

「よう、振られたな」

「俺達が慰めてやるよ」

 殆どが若いが、中年や老人も混ざっていた。口々に北方語で何か言ってる。

半ばしか聞き取れないものの、何を望んでいるかは一目瞭然だった。

迂闊と思う。胡乱な視線には薄々気づいて用心していたのに、隙を見せてしまった。

 困惑と微かな恐怖。おぼろげにしか言葉の意味が分からないのが一層の恐怖を誘う。

赤毛の奴隷娘は、瞬時に逃げだそうと判断して走り出した。

地面すれすれで足元を抜きかけるも、素早く伸びてきた手に腕を掴まれ、あっという間に納屋に引きずり込まれる。

 藁を積んだ納屋の地面に押し倒された瞬間、埃っぽい塵が空中に舞った。

「女ってのは金と顔に媚びやがる」

赤毛のジナの躰を押さえつけながら、奴隷の一人が勝手な事をほざきはじめた。

「若旦那にゃ相手にされねえよ。より取り見取りだからな。おまえも俺たちと仲良くしろよ」

赤毛のジナの顔を撫でながら、大柄な若い奴隷が口元を邪まに歪ませる。

「此の顔だ。そのうち使用人の誰かとくっつくに違いないぜ。その前によ」

「いつもいつも、あいつらに女を取られてたまるかよ」

 笑った奴隷が驚いたように手を離した。

赤毛の娘は滅茶苦茶に暴れて、手がつけられない。

 思い切り息を吸い込んでから悲鳴を上げる。頬を張られた。だが、怯まない。

オークに殺されかけた。目の前で両親と友人が殺された。こんな程度で怯む筈が無い。

何に怒っているのか。何に抗っているのか。

自分でもよく分からないままに怒ったように、抗うように叫び続ける。

「誰か口になんか突っ込め!」

 声を出せなくなったらお終いだった。

頬を叩かれても怯まずに、目の前で拳を滅茶苦茶に振って叫びながら抵抗する。

この。振り下ろされた奴隷の拳が娘の顔に入った。娘が蹴り返した。

こんな処で食い物にされる立場に陥る訳にはいかない。妹を助けられなくなる。

黙っていた大柄な奴隷が思い切り腹を殴りつけた。息が詰まって、声がでなくなる。

二発、三発。遠慮呵責の無い繰り返しの打撃に身体が赤毛の娘の海老のように跳ねた。

「……お、おい」

脅えたように奴隷の一人が言うも、大柄な奴隷は鼻を鳴らして笑う。

「静かになったぜ。口に布を詰めろ」

赤毛のジナはひゅーひゅーと荒い息をして、弛緩した躰をぐったりと地面に横たえている。


……畜生。またか。

赤毛のジナが諦めかけたその時、納屋の入り口から声が掛けられた。

「何をしている」

声の主を直視して、振り返った奴隷たちの間にあからさまな動揺が走った。

「……わ、若さま」

「これはッ」

奴隷の大男がのっそりと立ち上がった。

「お楽しみでさあ。奴隷にもそれくらいは許されるでしょうが」

一人、入ってきた若者を介さない様子で真正面で相対し、険悪に睨みあう。

「それとも横取りですかい?」

下卑た笑みを浮かべて、

「いい女だからってそりゃないでしょうよ」

若者がチラリと床の赤毛娘を見てきた。迷わず救いを求める。

「……たっ、たすけて。たすけてぇ」

「下衆が。とっとと失せろ。ギーズ」

青年の言葉に大柄な奴隷。ギースの額に青筋が浮かんだ。

拳を握り締めて血走った目で栗毛の青年を見下ろしたが、やがてとばっちりを恐れたのか。

一人の奴隷が卑屈に頭を下げてこそこそと出て行った。


「すみません、若さま」

それを皮切りに他の奴隷も立ち去り始めた。

残っているのは娘と若者。そして大柄な奴隷ギースの三人だけであったが、主人の息子を睨みつける屈強の奴隷の視線には、怒りと不満がありありと現れていた。

栗毛の若者は闘争に備えて何時でも動けるよう、肉食獣のように腰を落として大柄な奴隷を油断なく睨みつけている。

 二人の若者の間には緊張が張り詰めていたが、やがて奴隷の青年は肩を竦めて、大股に歩き出した。

すれ違い様に赤毛の娘の腕を掴み、

「おい、豪族の妾になんざなってもいいことなんざねえ。どうせ使い捨てだ。

 夢見るのは勝手だがな、奴隷は奴隷同士が幸せだ。覚えておけ」

怒りに燃える瞳で睨みつける赤毛の奴隷娘にそううそぶくように告げてから、納屋を傲然と立ち去った。


 溜息を吐きつつ、栗毛の若者は緊張を解くと、床に転がって鼻血を流しているジナを眺めた。

「大丈夫か?」

訊ねてから何かに気づいて、不快そうに眉を顰めた。

「……お前は、さっきの中庭にいた奴隷女か」

赤毛のジナは気持ちを立て直すと、起き上がりながらもごもごと礼を言う。

「奴隷同士とは思わなかった。大声で騒いでいたから見に来ただけだ。

 普通、ギーズの奴に逆らう奴隷は余りいないがな」

如何でも良さそうに言ってから、若者が問いかけてきた。

「……そんなにパリスがいいか? それほど魅力的に見えるのか?」

赤毛のジナが質問の意味が掴めずに困惑の眼差しを返すと、如何受け取ったのか。

「なんでもない」

それだけ言い残して、足早に納屋を立ち去ろうとするので袖を掴んだ。

「パリスさん、ありがと。パリスさん」

北方訛りの入り混じった拙い南方語で、ジナは精一杯の感謝の言葉を伝える。

「……なんだ、お前。言葉も分からんのか」

栗毛の青年はやや鬱屈の晴れた顔で、淡い灰色の瞳に微笑を浮かべた。

「馬鹿、俺はパリスじゃない」

言って袖を払ってから、若者は小さな布切れを渡してきた。

「顔を拭け。今日はもう休んでいい」

 受け取った布で顔を拭きながら、赤毛のジナは起き上がる。

もう大丈夫だと見たのだろう。納屋から立ち去る青年は後も振り返らなかった。

とりあえず人目のある所へと行こうと考えて納屋から出ると、服から奇妙な音がした。

見下ろして服の状態に気づく。彼方此方引っ張られて布地が伸びて傷んでしまった。

腰布と褌を除けば、唯一の着物である。

「……これ一着しかないのに」

 おまけに嫌な奴に目を付けられてしまったらしい。

次々と沸き立つ悩みが心に圧し掛かって、赤毛のジナは難しそうに眉根を寄せていた。

若い娘が抱え込むには重たい悩みであったかもしれないが、やがて気を取り直して顔を上げる。

彼女の行動には、モアレの村人たちの命運が掛かっている。

ジナには小さな事でくよくよ悩んでいる暇などなかったのだ。



「食べ物の為に危険を侵すなんて正気じゃないよ」

「肉を食べんと如何も力が出ないのだ」

 曲がりくねった細道や獣道を進みながら、アリアとエリスは話に聞いた農園を目指していた。

街道付近から遠ざかるにつれてのどかな田園風景は消え去り、変わって雑木林や潅木の生えた丘陵や荒地が増えていく。

 オーク達が住まうと噂される丘陵地帯に近づく事がエルフ娘には気に入らない様子であったが、女剣士が構わずに進むので一人で行かせる訳にも行かずについていく。

 半刻ほどのんびりと歩いて丘陵の勾配を登りきると、降ったところにある雑木林が途切れた先に建築物が在るのが目に入った。

坂道から遠めに窺う草葺の建築物の周囲には、野菜や穀類の畑が広がり、柵と濠が張り巡らされている。

「見えてきたぞ。あそこであろうよ。行ってみよう」

凄く嫌そうな顔をしてエリスが頭を振った。

「……オークが出るかも」

「大丈夫、オークの縄張りに近いといっても、人族の勢力圏内だ。

先日のモアレと違い、小さな農園。落としたからといって留まるだけの価値もない」

自信満々な黒髪の女剣士に切れ長の深い蒼の瞳を思わしげに向けて、エルフは考え込んだ。

「……でも」

「境界ぎりぎりで人族の領域だぞ。何時、豪族の兵が奪回に現れるかも知れない。

 立て篭もれるだけの防備もない小さな農園で、目ぼしいものは略奪したのだ。

 もっと価値のある拠点なら兎も角、オーク共が何時までも利用価値のない廃墟に拘泥して愚図愚図している筈はなかろう?」

 アリアにそう説明されてみれば、筋道は立っているように思えてくるのが不思議でもある。

頷きつつも、歩きながらエリスは反論を試みた。

「手に負えないほどのオークがいたら?」

「何の為に?」

「例えば……そう、豪族の郎党を誘き寄せて待ち伏せする罠とか」

アリアにふっと鼻で笑われた。

「何時、何人来るかも分からん敵を相手に、ずっと兵を張り付かせるのか?」

軍隊の動きや行動原理なんて分かる筈もない。

エリスがちょっと悔しげにして舌打ちすると

「だが、いい線だ。境界沿いの兵の動きを見張る為に、幾匹かいるかも知れぬ」

褒めてるのか貶しているのか、頤に指を当ててアリアも考え込んだ。

「無論、万が一という事もあるから慎重に様子を窺うさ。

 なに、心配するな。街道のすぐ近くだ。気配が在ったら逃げればいい」



 念の為にアリアが一人で先行した。長剣を抜きながら慎重に農園に近づいてみると、建築物の半ばが焼け落ちているのに気づいた。

 柵のところまで近づくと、地面には農民とオークの死骸が転がっているのが窺えた。

襲撃とそれに続く戦闘の痕跡は残っているものの、やはり生きてるものの動く気配は全く感じられない。

もう大丈夫だと見て取って、後方にいるエルフ娘を手招きしてから、女剣士は大股に歩き出した。

濠は近くの池から水を引いているらしい。


 澱んだ水をなみなみと湛えた濠の水面が、吹きつけた風に僅かに揺れて漣を形作った。

「汚い水だ。飲めそうに無いな」

一瞬だけ濠を覗きこんで何気なく呟いてから、黒髪の娘はふと首を傾げる。

「何を考えて濠なんぞ造ったのだろう?此の浅さでは敵を防ぐ事もできぬだろうに。

到底、労力に見合うものでも無かろう。畑の水路代わりか?」

 翠髪のエルフが目を細めてしゃがみ込んだ。

濠の形と切り出した石が敷き詰められた水路に視線を走らせてから、呟いた。

「多分、クレフェナ王国の遺跡だと思う。昔は水路だったのかも」

「……クレフェナ?」

アリアにも聞き覚えがあったので、口の中で単語を転がしてから思い出して頷いた。

「ヴェルニアの先住民族の滅んだ王国か?」

エリスも頷いて説明する。

「うん。古王国の荘園跡に住んで、そのまま古い施設を利用していたのかも。

 前に南で働いていた荘園がやはり古王国の土台を利用した形式だった」

そういった事柄が好きなのか、興味深げなエリスは淀みない口調だ。

「なるほどね。我らが父祖に追い詰められた連中は、各地に隠れ里をつくり隠れ住んだといわれてる が……ならば、此の一帯に他の遺跡があっても不思議ではないな」

 アリアは友人の説明に軽く頷きながら、農場を取り囲むように聳える丘陵に視線を走らせた

「丘陵地帯のオーク共も、クレフェナの城砦跡などに住んでいるかも知れぬな」

 肩を竦めると、それきりアリアは興味を失ったのだろう。

濠を見ることもなく、柵を乗り越えて農園内へと踏み込んでいった。

興味深そうにしゃがみこんでいたエリスも、感慨深そうに濠をもう一度眺めてから、立ち上がって友人の後を追いかけていった。

二人の娘が立ち去った後、水を湛えた濠の水面は再び静けさを取り戻した。


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