手塚漫画「アポロの歌」は「火の鳥」なのだ。8 その8 登場人物の役割②…渡ひろみ 渡ひろみは、「アポロの歌」の重要な登場人物である。 ひろみと同じ顔をしている「合成人間編」の女王シグマと昭吾との愛憎は、物語の後半・現代で、ひろみと昭吾が葛藤しつつ段々惹かれ合っていくという感情の変化の前振りになっている。 物語の中盤、ひろみは昭吾に精神的な治療を施す目的で長距離走をさせる。 非行少年が長距離走をする設定は、アラン・シリトー作の 「長距離走者の孤独」(1958年)の映画版「長距離ランナーの孤独」(1962年・英・制作、1964年日本公開)から発想を得たのではないだろうか。 「アポロの歌」は1970年連載なので、それまでに映画好きの手塚治虫がこの映画を見た可能性は高い。 しかし、単なるアイデアの借用ではなく、物語の流れと同調した必然性のある工夫がなされている。 昭吾は、厳しい練習の仕返しに、池で水浴していたひろみの服を隠してしまう。 ひろみは、やむを得ず昭吾のランニング用の服を着るが、俺の服を脱いで返せと迫る昭吾から逃げ回るはめになる。 実はひろみは長距離走の経験者であり、池の周りをグルグル回って昭吾を翻弄する。結局、昭吾は全然追いつけずに力尽き倒れ込んでしまう。 手塚治虫はこの一連の場面を重要視していたのか、非常に凝ったコマどりになっていて、また昭吾の表情の変化も丁寧に書き込まれている。 この二人の追いかけっこは、アポロがダフネを追いかけた話が投影されている。 アポロがダフネを捕まえられなかったように、昭吾もひろみに追いつけないのだ。 また同時に、脱いだ服をめぐる駆け引きは、「火の鳥」の「羽衣編」のように、羽衣伝説の羽衣に関するやり取りが投影されている。 つまり、長距離走にアポロ神話と羽衣伝説がミックスされて、昭吾の心境に変化をもたらすきっかけとなる工夫がなされているのだ。 昭吾が追いかけっこで疲労困憊して倒れた後、ひろみは昭吾の服を脱いで返す。 池の<水辺の>ひろみは、海の<水辺の>ヴィーナスを連想させるヒントなのだろう。 この時、ひろみが脱いだ服で胸と腰を隠したポーズは、ボッティチェリの名画「ヴィーナスの誕生」を左右反転したポーズになっているのだ。 「アポロとダフネ」の像や「ヴィーナスの誕生」のような芸術作品のオマージュを作品の中に用いることによって、ただの性教育漫画ではないぞ、という自負が手塚治虫にはあったのではないだろうか。…オマージュは他にも隠れているかもしれないので、それを探す楽しみがあるかも…。 「ふしぎなメルモ」のメルモがキャンデーで大人になった姿が、ひろみにそっくりなのは、手塚治虫得意のスターシムテムの一環として有名であるが、手塚治虫公式サイトの「ふしぎなメルモ・欄外ミニ知識」によると、アニメ版メルモの母親の名前が「わたり ひろみ」だという(メルモは、渡メルモがフルネーム)。 「アポロの歌」のひろみは、結婚も出産もせず死亡しているので、ちょっとした遊び心のようだが、当初「アポロの歌」というタイトルは「ふしぎなメルモ」のために用意されていたという発言もあり、昭吾がどこかの時代に転生して、ひろみと再会して生まれた子供がメルモ…という仮想も可能である。 渡ひろみのような長い黒髪の美女は、手塚漫画の美女の中でも、とりわけ魅力的である。 同じく黒髪の「奇子」の奇子のように、運命に翻弄される美女というキャラクターとして大いに存在価値があるのだろう。 黒髪の美女、という漫画上の記号は、手塚漫画だけではなく多くの漫画で使われているが、特に手塚治虫は、ひろみの感情表現の描写を、単に喜怒哀楽だけではなく、喜なら喜、哀なら哀で、その目や口をとてもこまごまと何種類も描き分けている。 何かと大変だったこの時期の手塚治虫のお気に入りのキャラクターだったのであろう。(以下、次回) |