『日本国紀』読書ノート(109) | こはにわ歴史堂のブログ

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109】岩倉使節団に話したビスマルクの話の内容が不正確である。

 

「誕生したばかりのドイツ帝国では、鉄血宰相といわれたビスマルクに会っている。ビスマルクは一行にこう語っている。

『あなたたちは国際法の導入を議論しているようだが、弱い国がそれを導入したからといって、決して権利は守られない。なぜなら大国は自国に有利な場合は国際法を守るが、不利な場合は軍事力をもって外交を展開する。だから日本は強い国になる必要がある。』」(P289)

 

これ、私、おや?と思ったんです。

1873年3月11日にビスマルクに面会しているのですが、その時、こんなこと言ったかな? と思う箇所があったので、記録を調べてみました。おそらくこの部分だと思うのですが。

 

Bismarck führte in dieser Rede aus, dass man zwar zur Zeit die Einführung eines Völkerrechtes diskutiere, was aber schwachen Ländern bei der Durchsetzung ihrer Rechte wenig helfen würde.

Japan müsse daher versuchen, stark zu werden.

Er wünsche Japan viel Erfolg bei der Modernisierung des Landes und betonte, Deutschland beabsichtige nicht im ausdrücklichen Gegensatz zu England und Frankreich sich am Wettlauf um Kolonien zu beteiligen

 

ビスマルクは、このように忠告した。

「現在、国際法の導入を検討しているようだが、弱い国がそれを採用したからといって権利の行使の助けにならない。だから日本はまず強くなることを試みられよ。」

彼は、日本が近代化することを希望し、そしてドイツはイングランドやフランス帝国のように、植民地競争に関わるつもりはない、ということを強調した。

 

「なぜなら大国は自国に有利な場合は国際法を守るが、不利な場合は軍事力をもって外交を展開する。」

 

この一文、無いんですよ。11日の「面会」ではビスマルクは言っていないようです。

あ、もしや…

と、思って、ビスマルクの3月15日のレセプション・スピーチかな、と思って、

久米邦武の『欧米回覧実記』の記録をみてみました。

 

「方今世界ノ各国、ミナ親睦礼儀ヲ以テ相交ルトハイヘトモ、是全ク表面ノ名義ニテ、其陰私ニ於テハ、強弱相凌キ、大小相侮ルノ情形ナリ、我普国ノ貧弱ナリシハ、諸公モ知ル所ナルヘシ、(中略)大国ノ利ヲ争フヤ己ニ利アレハ、公法ヲ執ヘテ動カサス、若シ不利ナレハ、翻スニ兵威ヲ以テス、小国ハ(中略)以テ自主ノ権ヲ保セント勉ムルモ、其翻弄凌侮ノ政略ニアタレハ、殆ト自主スル能ハサルニ至ルコト、毎ニ之アリ、是ヲ以テ慷慨シ、(中略)一国対当ノ権ヲ以テ外交スヘキ国トナラント

 

「大国ノ利ヲ争フヤ己ニ利アレハ、公法ヲ執ヘテ動カサス、若シ不利ナレハ、翻スニ兵威ヲ以テス」

 

これですね。

 

岩倉具視使節団が311日にビスマルクとの面談で言われた言葉と、315日の宴席でのビスマルクの演説の一部を、だれかが混入して(意図的か誤ったのか不明ですが)、インターネット上で「出回っている」うちに、定着してしまった「言葉」だと思います。

 

実は、インターネット上の説明には、近現代の説明になればなるほどこのような原文には無い表現や誰が言ったかわからぬ話を「混入」させているものが増えていきます。

 

特定の出来事に関する評価は自由ですが、その出来事が誤った事実に基づいていたなら、そこから生まれる歴史観も評価も誤りになります。

 

ところで、3月15日の演説は、当時のヨーロッパとプロイセンの置かれていた立場をふりかえって(「本日ノ享会ニ於テ、侯親ラ其幼時ヨリノ実歴ヲ話シテ言フ」と前置きして)話したもので、日本のことを言っているのではありません。

 

「軍事力をもって外交を展開する」のはイギリスやフランスのことでした。

ビスマルクは、すぐれた外交を展開し、ドイツ帝国を成立させた後は、ヨーロッパに勢力均衡による平和な状態を創り出し、その間に経済発展を進める、という「ビスマルク体制」をつくりだした人物です。

「軍事力にモノを言わせる」というのはビスマルクのイメージにすぎません。

 

このレセプションでビスマルクの隣に座った木戸孝允は、ビスマルクから「両国の親睦に必要ならドイツから有能な人材を送ってもよい」と言われています。(『木戸日記』明治六年三月十五日)

しかし、ビスマルクは軍事援助など申し出ていません。経済発展に必要な人材の提供を申し出ているのです。

3月11日の面談のときに使節団に対して直接話したビスマルクの言葉の中には、「軍事力」という「単語」はありません。

あるのはModernisierung(近代化)という単語です。軍事力や軍隊を意味する単語であるWaffenArmeeTruppeも出てきません。