【107】「廃城令」を誤解している。
「明治六年(一八七三)には、『廃城令』が出され、一部を除いてすべての城が取り壊された。この時、特例で取り壊しを免れた姫路城や彦根城などは、現在、国宝になっている。もし『廃城令』が出されていなければ、今も日本全国に多くの天守閣が残されていたはずで、それらは非常に貴重な文化財であったと同時に、どれほど素晴らしい景観であったかと思うと、惜しみてあまりある。」(P288)
と、説明をされていますが、大きく誤解されています。
「廃城令」の理解が不正確です。
これは、「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」が正式名称で、名前の通り、「存城」か「廃城」かを「撰定」するもので、ですから、「取り壊しを免れる」のも「特例」ではなく「規定通り」なんです。
文化財保護の観点などまったく無関係に、陸軍の軍用財産として残すものは「存城処分」、それ以外は「廃城処分」なのですが、その場合でも、陸軍省の管轄から大蔵省の所管に移転するわけで、破却するかの判断は、次に大蔵省にうつる、ということになります。「廃城」=「取り壊し」ではなく、「軍用施設では無くなる」、という意味なんです。
「存城処分」とは陸軍省の管轄になる、ということで、建物や構造物の「処分」は陸軍省の自由です。
「会津若松城」の場合は、城の土台部分が残され、上の建物はみな取り壊されました。
この逆の例が「姫路城」で、陸軍の施設が造られましたが、城郭は残されました。
ですから「姫路城」は「特例で取り壊しを免れた」城ではありません。
「特例」は彦根城で、明治政府が、陸軍省に対して「城郭の一部を保存しろ」と通達を出すという異例の措置がとられています。
「廃城処分」とは大蔵省の所管になる、ということで、建物や構造物の「処分」は大蔵省の自由です。
なにせ大蔵省の所管ですから、基本的には「売却」することになります。つまり民間に払い下げられます。
建物は取り壊されて土地として売買の対象にされる場合がありますが、「犬山城」は天守閣が残され、元の所有者成瀬氏に下げ渡され、なんと2004年まで個人所有が続きました。
「松本城」は競売にかけられて地元の有力者たちに買い取られて破却を免れています。
「もし廃城令が出されていなければ、今も日本全国に多くの天守閣が残されていたはずで…」(P288)
と説明されていますが、日本の城のすべてに天守閣があったわけではありません。
江戸時代は、天守閣を持たない、あるいは途中でつぶれて再建していない城郭が多く、現在多くの城が無くなっているのは、「廃城令」後の老朽化や火災、太平洋戦争による空襲での焼失などが原因です。
申しましたように、「存城処分」でも破却された城もありますし、「廃城処分」でも破却を免れた城もあります。
天守閣だけに限れば、「廃城令」後も、60が残っているのです。
その後、失火や老朽化などでしだいに減少し、第二次世界大戦直前に21になりました。
このうち松前城は失火で無くなり、8つが空襲で失われ、そして現在12の天守閣が残っています。
「廃城令」で「一部を除いてすべての城が取り壊された」のではありません。