『日本国紀』読書ノート(番外編16) | こはにわ歴史堂のブログ

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P285のコラムで靖國神社の話が紹介されています。

百田氏は、むろんわかっておられると思うのですが、この書き方だと誤解される方がいるといけないので補足させてもらいますと、「軍人を祀る」だけではなく、従軍看護婦、軍需工場労働者、対馬丸遭難児童なども「祀られて」います。

 

ただ、細かいことが気になるぼくの悪いクセなのですが…

 

「祀られている」「祀られていない」という表現は、是非、「合祀されている」「合祀されていない」という表現に改めてほしいところです。

私の親戚のおじさんたちは元軍人が多く(特攻隊の生き残りや、キスカ島から生還した人もいます)、この「違い」をよく説明されていました。

 

靖國には、「鎮霊社」という「社」があります。

ここは「合祀」されていない戦争犠牲者を「祀っている」ところで、戊辰戦争の賊軍兵士や西南戦争の西郷隆盛に味方した兵士たちも「祀られている」ところです。

ですので、厳密には、靖國神社に「戊辰戦争で賊軍として戦って死んだ人は祀られていない」(P285)というのは誤りになってしまいます。やはり「合祀されていない」と訂正してほしいところです。

 

以下は蛇足ですが

 

大阪に四天王寺という寺院があります。

仏敵、物部守屋を倒すとき、聖徳太子が「今もし、我をして敵に勝たしめたまわば、護世四王の御為に寺を建てん」(『日本書紀』)と誓願し、勝利を得たために建立したのが四天王寺といわれています。

さて、倒された物部守屋ですが… なんと四天王寺に「祀られて」います。

四天王寺境内、東側に「太子殿」という場所がありますが、その横というか奥に「物部守屋の洞」があるんです。

聖徳太子は、敗者をも尊重しただけでなく、守屋の領地の人々を迫害したりせず、四天王寺の公人としました。

「敗者に手をさしのべる」、という思想は古代から存在します。むろん、敗者が怨霊となって「祟り」を為すことを回避するため、「神」として「祀る」という意味もあります。(物部守屋の洞は「願成就宮」ともいわれています。)

 

靖國の「鎮霊社」、四天王寺の「物部守屋の洞」…

どちらも、本殿・金堂に比してたいへん小さいですが、戦いに負けた人をも受け入れる、という大きな気持ちが、そこにはあると思います。