わたしの「読書ノート」も気がつけば100を越えました。
ようやく近現代の入り口…
「黒船来航から大政奉還までの十四年間はとてつもない激動の時代といえるが、本当の意味の激動は大政奉還後の十年であった。」(P282)
これは、多くの方の異論の無いところでしょう。
ベストセラー作家の百田氏に及ぶべくもありませんが、わたしもこの視点で「幕末史」を著したことがあります。
http://www.achibook.co.jp/books/1161/
「日本史上において、これほど劇的に国全体に変革が起きたことは、これ以前にもこれ以後にもない。」(P282)
これに関しては、正直、「わからない」としか言いようがありません。
たとえば、「大化の改新」から「壬申の乱」を経て「平城京」遷都までは、「政治史」的には明治維新に比定できるかもしれません。
というか、現代に近い出来事ほど、「変化」は細部にいたるまで実感しやすいものですから、古代や中世の「激動」は、「伝わっていない」だけかも知れません。
でも、「以後にもない」というのはどうなんでしょう。第12章の冒頭、
「日本という国の二千年余の歴史の中でも、未曾有の大敗北であった。」
「戦争と敗戦が日本人に与えた悲しみと苦しみは計り知れない。」
「明治維新以来、七十七年の間に、日本人が死に物狂いで築き上げてきた多くのインフラ施設のほとんどが灰燼に帰したのだ。」
「しかし、本当の意味で、日本人を打ちのめしたのは、敗戦ではなく、その後になされた占領であった。」
「日本の敗戦と戦後」は「明治維新の前後」よりも「劇的」でもなく、「国全体に変革が起きた」ことでもないのでしょうか…
「他国による侵略以外で、短期間にこれほどまでの変容を遂げた国は、世界史上でも類を見ない。」と説明されているので「敗戦と戦後」はこの説明には含まない、ということなのでしょうか。
さて、
「幕末の日本と明治の初期の日本を見ると、とても同じ国とは思えない。」
と、説明されていますが、これは誤解です。
たとえば人口の84%を占めている農民と、彼らが暮らす農村の風景は、明治の初期ではあまり変化はみられません。太陽暦が採用されても、農村ではまだ太陰暦に従った生活が続いていました。逆に都市部では、幕末にすでに文明開化が進んでいたので、これもまた劇的な変化はみられません。
何度も申し上げますが、かつては教科書の章立ても、明治維新からが「近代」でしたが、現在ではペリー来航からが「近代」です。
「激変」というのは「イメージ」が占める部分が多いようです。
戊辰戦争も、「内戦」としては、あまりにも規模が小さいといえます。
戦死者数で比較するなら、南北戦争は60万人、パリ=コミューンは20万人。戊辰戦争は千数百人です。世界史的には「政権交代」の内紛レベルです。
「他国による侵略以外で、短期間にこれほどまでの変容を遂げた国は、世界史上でも類を見ない。」(P282)
あくまでも百田氏の知見の範囲での話です。
地中海世界でのフェニキア人、ギリシア人の活動や、イスラーム世界の拡大は、「戦争」ばかりではありません。イスラーム商人の活動などによって、平和的にイスラーム教を受容して変化した国・地域はたくさんあります。交易を通じた東南アジアのインド化もそうでしょう。
ヨーロッパでも宗教改革やルネサンスなどもそうでしょうし、大航海時代がもたらしたヨーロッパの商業革命・価格革命も10~20年でヨーロッパの経済構造を劇的に変化させています。個々の国・地域の歴史に言及していけば、キリがありません。
「変革を求める国民(民衆)のエネルギーが、前例なきものを認めない幕藩体制によって押さえ込まれていたところへ、黒船が来航し、その重い蓋にヒビが入った。そして、その裂け目から蒸気が一気に噴き出すようにして、重い蓋を吹き飛ばしたのだ。」(P282)
これもどうでしょうか…
「明治維新」はアメリカ独立運動やフランス革命、それ以前のイギリスでのピューリタン革命とも違うような気がします。民衆運動や、国民運動によって幕府は倒されたのでしょうか…
「変革を求める国民(民衆)」ではなく、幕藩体制で、政権運営に携われなかった勢力の一部による「政権交代」にすぎなかったのではないでしょうか…
「明治の大変化は、本来、二百六十五年をかけて漸進的に行なわれるはずだった改革と変化がわずか十年で起こった現象と見るべきであろう。」(P282)
わたしね、案外と「保守派」なんです…
この変化の前後で、「それまでの日本的なモノやコト」、破壊されなかったのでしょうか…
明治の「廃仏毀釈」で失われた文化財の数は、はかりしれません。
「欧化政策」で、野蛮と蔑まれた日本の慣習や文化、ありましたよね。
大日本帝国憲法って、あれ、日本的ですか? ドイツ帝国や第二帝政期フランスの政治制度や法律、導入していますよ。
大日本帝国憲法発布の際の絵、あれ、日本の宮廷ですか? ヨーロッパのどこの国?と思いませんか?
それまでの「日本的なモノ・コト」をかなぐりすてた明治維新の側面、否定できませんよね?
「占領軍は、かつて有色人種に対して行なったように、伝統と国柄を破壊しようとした。幸いにしてそれらは不首尾に終わったが、日本人の精神を粉砕することには成功した。」(P408)
この説明、大部分、「明治維新」にスライドできませんか?
違うのは主語が「占領軍は」ではなく「一部の自国民は」によって、というところです。
近現代史の振り返り…
「明治維新以来、七十七年の間」に築き上げてきたモノやコト…
これが「伝統と国柄」である、とする視点があるならば、
「終戦以来、七十五年の間」に築き上げてきたモノやコト…
これもまた「伝統と国柄」である、とする視点もあるはずです。
どちらを否定してもそれは「私たちの日本」の否定。
どちらもありのままに捉えて止揚する、というのが大切だと思います。