『日本国紀』読書ノート(番外編14) | こはにわ歴史堂のブログ

こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。


テーマ:

坂本龍馬の説明って、通史では難しいんですよね。

 

「…しかし日本で初めての株式会社である『亀山社中』を作った龍馬は、外国との取引を禁じられていた長州藩に、薩摩藩名義で購入した最新式の西洋の武器を売るという奇策を用いて、両藩を近づけた。そして自らが仲介役となって、慶応二年(一八六六)一月、薩摩藩と長州藩の同盟を成立させた。」(P263)

 

と説明されています。

前にお話ししたように、「日本で初めての株式会社」というのはやはり誤りです。単に商社、と言いたかったことを間違えられただけだと思います。株式会社の要素は皆無です。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12436655428.html

 

ところで、最近の幕末史の研究では、「亀山社中」の評価はかなり変わってきました。

そもそも「社中」という言葉は、単なる集まり、仲間、という意味です。「集団」、グループという語感で、薩摩藩から委託されて売買する組織、というような感じです。

 

このような組織、実はすでに長州藩では組織されていました。

 

「越荷方」

 

という組織です。大学入試でも出てきます。

他藩が大坂に運ぼうとしている積み荷を買い取り、その一部を保管して相場の値動きにあわせて売る、または積み荷を担保にして資金の貸し付けなどをおこなう、というものです。

 

坂本龍馬は、これを、薩摩藩を対象に、しかも長崎の輸入品でおこなっていた、というのが「亀山社中」である、という考え方です。後には土佐藩も対象となります。

ついつい「坂本龍馬」の虚像が膨らむ中、過大に評価されてきたのではないか、というのが現在の見方です。

薩摩藩が亀山社中に委託して買い取らせていた長崎の武器を亀山社中が保管し、高値で長州に転売する…

他にも長州藩で買い取った米を、相場の高値がついた薩摩藩に売る…

こうして薩摩藩にも長州藩にも坂本龍馬はコネを持つようになった、というわけです。

ですから、百田氏がおっしゃるような「奇策」というわけではありませんでした。

 

「一方、長州藩と薩摩藩を結び付けた坂本龍馬は武力による討幕には反対だった。それは龍馬の師匠である勝義邦の考えだった。」(P266)

 

これは1990年代くらいまで、よく小説や大河ドラマで説明されたり設定されたりしてきたことです。(とくに相手が死去して他の記録で確認できない勝の回想は、やや誇張があり、信用性が低いと言われています。)

坂本龍馬は、大政奉還が実現しない場合は倒幕、ということをしっかり考えていて、後に土佐藩に西洋式銃を大量に売りつけ、倒幕計画・準備を同時に進めています。

また後藤象二郎から大政奉還論を聞いた小松帯刀もこれを認め、「薩土盟約」を結んでいます。

薩摩藩の場合は、さらに一歩進んで、大政奉還を求めても幕府は拒否するであろう、よってそれを理由にして倒幕を進める、という考え方でした。

 

坂本龍馬の評価は、振り子のように揺れ動いてきました。過大評価に振ったり過小評価に振ったり… 現在は過大評価を改める方向に動いていて、高校教科書から坂本龍馬を削除する、という動きもこの一端です。

さらに振り子が過小にも振り始めていて、「船中八策」は虚構ではないか、という検証も始まっています。(実際、大正時代の造語ではないかと考えられています。坂崎紫瀾の小説の影響か?)

ただ、龍馬自筆の「新政府綱領八策」は一次史料と言われているので坂本龍馬が「大政奉還」という考え方をしていたことは明確です。

 

「大政奉還」についてはまた次回、ということで。