「現代のように工科大学や理学部で専門教育を受けた人々ではない。にもかかわらず懸命に勉強して、ついに当時の最高のテクノロジーに追いついたのだ。」(P255)
職人には、工科大学の知識や専門教育はとくに必要ではありません。「熟練技術」は室町時代以来の産業の発達に加え、「鎖国」による保護貿易(当時の国際環境を含めて)の中で、極度に成長してきました。
よって金属加工、工芸細工、鋳造技術などはすでに高い水準にありました。
この下地があったからこそ、欧米の技術に接しても吸収・転用が可能でした。
だからといって、「当時の最高のテクノロジーに追いついた」わけではありません。
やはり、1880年代の殖産興業を待たねばなりませんでした。
「佐賀のアームストロング砲」も、アームストロング砲を手本に「自前に」製造したものであって、アームストロング砲そのものではありませんでした。
蒸気機関も「作った」といってもいわば「模型」のレベルで、武器も動力も、結局は輸入品の「転用・活用」です。
「日本独自」「日本で初めて」「世界の中でも」などなど、百田氏は日本の「特殊性」「独自性」を強調されるのが好きですが、誤解されているものが多々あり、これらの説明はむしろ無かったほうがよかったと思います。
かえって誤りやその方面での説明の甘さを露呈してしまい、その他の記述の信用性を著しく低下させ、説得力を失ってしまうからです。
「…日本で初めての株式会社である『亀山社中』を作った龍馬は…」(P263)
という部分でも、誤った内容を含んでいます。『亀山社中』は「日本で初めて」の株式会社ではありません。
おそらく、「総合商社」あるいは「貿易商社」と言いたいところを誤って説明してしまったのではないでしょうか。
龍馬は、グラバーなど早くからイギリスなどの商人との接触をおこなって取引をしていました。「商社」という概念を、経験で理解していたようにも思います。
ただ、私は、「商社」ですらないと思っています。
むしろ、現在の組織に単純におきかえられないもので、「私設海軍学校」「貿易商」「政治結社」の融合体のようなものでした。
下手な比喩よりも、ありのままの活動実態を並べて説明したほうがよかったように思います。
P257から「小栗忠順」の紹介がされていますが…
「意外に知られていないが、幕府もまた近代化に懸命に取り組んでいた。」(P257)
と説明されています。
「意外と知られていない」ということはまったくありません。そもそも今の教科書の章立ては、ペリー来航から「近代」です。
老中阿部正弘は、台場の建設、蕃書調所、海軍伝習所などをつくる「安政の改革」に取り組み、以後、幕府の「近代化」を進めていて、これらはすでに(10年以上前から)教科書にあきらかにされています。
それだけでなく、「文明開化」についても幕末からすでに開始されている、として「幕末の科学技術と文化」という単元が設けられています。
これらは「意外」でもなければ「知られていない」ことでもありません。
これは他の箇所でも言えることですが、現状の高等教育における日本史教育を少し調べてから記述されたらよかったのに、と残念に思います。