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手塚漫画「アポロの歌」は「火の鳥」なのだ。2
 
その2 正常でない時間と罰
 
 「火の鳥」には、正常でない時間の流れが何回か出てくる。
 「火の鳥」シリーズ自体が、過去と未来を交互に描き、最後は現代(現在)で終わるという、正常ではない時間の流れで組み立てられている。
 「宇宙編」では、火の鳥に呪いをかけられた牧村の身体は時間の流れとは逆にどんどん若返っていく。さらに、猿田と子供の牧村とナナが流れついた惑星は、ある時間になると時間が逆行する不思議な惑星である。
 「異形編」の左近介は、火の鳥から自分殺しの罰を受け、出られない空間に閉じ込められる。しかも、この空間も「宇宙編」の惑星のように、時が来ると外界に対して時間が逆行するようになっている。
 「望郷編」でも、ロミの宇宙旅行の途中で、時間が逆行する惑星が出てくる。
 「羽衣編」は、未来から過去に逃避(時間移動)してきた女性の物語で、羽衣伝説からの引用であるため、火の鳥の罰ではないが、彼女は羽衣(未来の繊維)を取られるという被害に遭う。なお、彼女は当初の設定では、未完となったCOM版の旧「望郷編」の主要な登場人物であった。
 「太陽編」では、7世紀頃と21世紀頃の日本が交互に描かれ、主人公の意識が、何度も過去と未来を行き来している。
 「復活編」も、ごく近い未来の二つの時代を交互に描いていて、終盤にロボットのロビタの前身が人間レオナであったことが判明する仕掛けになっている。
 
 一方、「アポロの歌」の時間の流れは、次のようになっている。  
 
現代(序章 神々の結合)→異次元
→過去(第1章 デイ・ブルーメン・ウント・ダス・ライヘ、以下「ドイツ編」と呼ぶ)
→現代
→過去(第2章 人間番外地、以下「無人島編」と呼ぶ)
→現代(第3章 コーチ)
→未来(第4章 女王シグマ、以下「合成人間編」と呼ぶ)
→現代(第5章 ふたりだけの丘。最終的に死亡)
→異次元(エピローグ)・終わり。
 
 「火の鳥」がシリーズ全体で過去と未来を行き来していることを、「アポロの歌」では、たった1作で描いているのである。
 「アポロの歌」の作中では、過去も未来も主人公の夢として扱われているが、女神は、永遠の罰を与えると言った。それがすべて夢では、単なる悪夢にしか過ぎない。それが罰といえるだろうか。
 最後に主人公が死んだ後、異次元で女神が、再び生まれ変わって罰を受ける、と宣告している。
 「太陽編」の二つの時代の主人公が、最初は互いに相手の時代を夢としか思っていなかったように、「アポロの歌」の夢と思っていた過去と未来も、本当は、異次元の女神によって、主人公の精神だけが時間の流れを飛び越えて過去や未来に転生させられたことを暗示したものだと推理すべきである。
 主人公が罰を受ける転生の順番だが、例えば、現代(誕生~少年期)→異次元(罰の宣告)→現代(死ぬまで)→異次元(転生の宣告と時間移動)→過去(ドイツ編)→過去(無人島編)→未来(合成人間編)→異次元(転生の宣告)・終わり。
という順番でも良かったはずである。
 作中の、過去・現在・未来の交錯状態にしなくても、現代の人生を描いた後、異次元で女神によって一度過去に飛ばされ、後は順に次の時代の人生に移れば、それなりに叙述的なSF歴史ロマン作になったはずである。
 しかし、それをしなかったのは何故か。
 「火の鳥」シリーズのような時間の交錯状態の構成にしたのには、手塚治虫にとって「アポロの歌」に対する何か特別な考えがあったのではないだろうか。
 湧き出る旺盛な創作意欲のあまり、「火の鳥」シリーズで描くべきテーマを、先に「アポロの歌」で描いてしまったのかも知れない。
 特に、「太陽編」における過去と未来の交互描写と「アポロの歌」の交錯描写、愛が成就した「太陽編」に対し、報われない「アポロの歌」、結果の違いはあれど、時を行き来して男女が愛し合う展開は酷似している。
 発表は「アポロの歌」の方が何年も前なので、「アポロの歌」の趣旨を「太陽編」に投影し、悲観的な「アポロの歌」の愛を「太陽編」で救済したとも取れるのである。
 明の「太陽編」と暗の「アポロの歌」、この二つは、時間に翻弄される愛という名のコインの表と裏なのかも知れない。
 
 「アポロの歌」は、「週刊少年キング」に1970年4月から11月まで連載された。
 「火の鳥」の連載は…、
「COM」版以前の初期シリーズが1954年から57年。
「黎明編」 1967年1月号から11月号
「未来編」 1967年12月号から68年9月号
「ヤマト編」1968年9月号から69年2月号
「宇宙編」 1969年3月号から7月号
「鳳凰編」 1969年8月号から70年9月号
「復活編」 1970年10月号から71年9月号
「羽衣編」 1971年10月号
 他のシリーズは、「アポロの歌」より後の1971年以降のため省略する。
 (年月は、すべて手塚治虫公式サイトより)
 
 見ての通り、「アポロの歌」は、「鳳凰編」や「復活編」と同じ時期に連載されている。
 「火の鳥」は、当初は火の鳥の不死性にまつわる展開が中心であったが、これらの作品の直前の「宇宙編」から、火の鳥の人間を罰する姿勢が明確に描かれるようになっており、「鳳凰編」でもその傾向が引き継がれている。そして、同時期の「アポロの歌」も異次元の女神が主人公を罰する物語になっている。
 「アポロの歌」の主人公の立場は、転生しつつ罰を受ける点において「火の鳥」の猿田一族とほぼ同じである。
 火の鳥からはっきりと罰を宣告されるのは、発表順では未来の「宇宙編」の猿田であるが、シリーズ中では、過去の「黎明編」の猿田彦を筆頭に、「鳳凰編」の我王の他、猿田一族はみんな鼻が腫れるという症状(猩々=猿だけに)に襲われている。
 もちろん火の鳥の猿田一族への罰は、鼻の腫れだけではなく、それぞれの時代の人生における精神的・肉体的な苦悩・苦痛である。
 罰と転生は、他にもシリーズを通していくつか出てくる。
 「鳳凰編」では、我王は火の鳥から具体的にいろんな時代の猿田一族の苦難を聞かせられるが、我王と対立した茜丸は、火の鳥から死後の悲惨な転生を聞かせられる。
 「乱世編」の源義経と平清盛は、死後に犬と猿に転生して再び戦いをする。ただし、コミックスによっては、この転生の説明が収録されてないものもある。
 そして、「アポロの歌」も、最後に女神から罰と転生を告知されて終わっているのである。
 罰と正常でない時間とは、密接な関係があるようだ。
 茜丸の転生は未来方向だけの罰だが、左近介のように時間が経つと過去に遡る罰、牧村のように肉体の時間が逆行する罰、そして、「アポロの歌」における時間を越えて繰り返し転生させられる罰、……ほとんどの場合、罰のあるところには正常でない時間が介在しているのである。
 これは、火の鳥であれ異次元の女神であれ、超越した存在に罰を宣告されたら時間の流れは関係なし、未来は当然、過去にも影響が及ぶことを示している。
 正常でない時間と罰は、「アポロの歌」と「火の鳥」の特徴的な共通点である。
 手塚治虫は解説やエッセイで、「火の鳥の存在は物語の中では狂言回し」として扱う旨のことを書いている。最初の発言がいつだったのか具体的な年月は分からないが、「ヤマト編」の頃には、すでに何かで発表していたという気がする。
 火の鳥は、「黎明編」では不老不死を得るための標的として狙われる存在だったが、シリーズが進むにつれて徐々に登場人物を罰する存在にシフトしていく。
 これは、火の鳥がいつも人間に狙われるだけでは、シリーズが一辺倒になってしまうし、本来は人間どころか時空を超越する存在である火の鳥自体の設定と矛盾してしまうためのシフトであろう。
 ただ結果として、罰する存在としての物語が多くなると、手塚治虫の言う「狂言回し」の意味合いよりも、もっと強烈な存在、登場人物たちの運命を振り回す恐い存在になってしまっている。
 「火の鳥」の何回もの連載中断と再開、連載時と単行本時の訂正や加筆、手塚治虫自身の仕事や会社の変遷、等々の紆余曲折を経て、現在の形になっているため、それが、元々の構想だったのかは分からない。(以下、次回)

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