ある物理学者への手紙 7

きみが「われらのベーシスト」不破さんと一緒にウクレレで共演すると聞いて笑ってしまった。

ひとが懸命に練習して、上達して、やっと人前で腕前を披露してもいいかと決心したところで笑うなんて、失礼もいいところだが、きみとウクレレというのがなんともぴったりで、それで笑ってしまったのだとおもう。

そうか。
「笑ってしまった」という表現がよくないんだね。
「微笑させられました」がいいのかな。

ほんとは、でっかい声で盛大に笑ったんだけど。

 

 

どこかに書いていたようだけど、到頭きみも、ぼくが随分前から持っていた日本への認識、「とにかく、いまは、再生が可能な形で日本社会にまるごとつぶれてもらう以外に、日本語世界が救われる道はない」に到達したことを、よいことだっとおもっています。

ふたりの子供だけは海外に逃がさなければ親としての義務がはたせない、公務員の安月給でこれはつらいが、ゆずれない、と述べていたことも、いま上の娘さんが14歳だっけ? タイミングを考えれば、年長世代のデタラメぶりを一身に背負って、少なくとも60代までを過ごさなければいけない計算なので、無理もない、他に方法はないだろうね、とおもう。

ちょうど福島事故のあとに(放射能を)「正しく怖がれ」という、いまから振り返ると噴飯ものであるのを通り越して、どうして日本の人は言葉を、社会の良い方向の目を摘み取る、そんなふうにしか使えないのだろう、としかいいようがないネット上の流行り言葉があったけれども、

おなじ「さかしら」系譜の言葉として「おおきすぎる主語」が流行っている。

「日本人といってもいろいろな人間がいる。それをひとからげに日本人と言うな」という例のあれを、気取って言ってみただけの表現だが、要は日本人のダメなところを指摘するな、ということで、とにかくおれたちは誰にも指さされずに粛々と悪事を積み重ねたいんだから、ほっといてくれ、ということなのでしょう。

どこの国でも世代として、箸にも棒にもかからないほどダメな世代ほど、「世代論は無意味だ」と述べることになっていて、きみの国では1960年前後に生まれた人間を中心にした年齢層がこれにあたるようでした。

戦後日本は復員兵たちがつくった国だと言ってもいいとおもう。
平和憲法の理念も、民主主義も、世の中にあまねく喧伝される高邁な考えを、すべて「空疎な言葉」と聞き流して、「とにかく生き延びることだ」と文字通り、兵隊時代にたたきこまれた粉骨砕身で狂ったように労働して、80年代をピークとする繁栄を築き上げた。

世代には「運」があって、このあとにやってきた戦後生まれから1960年代生まれくらいまでの数世代は、無為徒食どころか、余計なことばかりやって、どんどん日本をダメにしたひとびとに見えます。

それでも、その厳然たる事実を意識することすらなく、日本の繁栄は自分達がつくったとでも言うような顔をして、際限なく安逸を貪って、冷笑を浮かべて、若いひとびとにお説教をたれて、自分達の世代でほぼ最終便の年金をつかんで、がっしりと放さないでいる。

悲惨どころではない近未来がもう目の前に来ているのに、手の施しようもない。
社会全体が未来を企画する機能を停止している。

それがなぜかを考えて日本語学習の後半数年を過ごしてしまったが、いまは皆で考えたとおり、倫理と善意の欠落が理由だとわかっている。

明治時代の日本人は、とにかく西洋「列強」に追いつかねばという強い思い込みで、脱亜入欧、アジア人であることをやめて、文明世界の一員になろうと考えた。

ふりかえってみると、「このままだと日本は西洋の植民地にされてしまう」という国民全員一致の危機感の根拠が、そもそも怪しくて、「朝鮮半島の確保が日本の生命線だ」というのは、絶対の前提だとされていたが、隣国に自分達の国を勝手に「生命線」にされてしまった朝鮮民族の迷惑という根本的な問題をいったん脇に避けても、仮にではロシアが朝鮮半島を取ってしまったとして、だからそのまま日本が破滅に追い込まれたかというと、そんなことはなかっただろう、としか言い様がない。

そもそも幕末に薩摩と長州をつき動かした「幕府を倒さなければ中国化されてしまう」というお話しがヘンといえば、大変にヘンで、なにしろヨーロッパの泥棒猫が清帝国に群がったのは、清がヨーロッパの国が束になって逆立ちしてもかなわないほど富裕だったからです。

富裕で、軍事力にほぼ無関心といいたいくらい無防備で、なによりも西洋の意味においての国としての体裁をなしていなくて、冨の偏在どころか、国と国富が皇帝個人の所有というすさまじい形態で、欧州人の目には、いわば、ひっくり返されたまま、蓋を閉じもせずに、路面いっぱいに宝物が広がっている広場のような趣の国だった。

日本のほうは、例えばディズレイリ内閣によって議会への報告書のなかで「貧乏で獲るべき冨がなく刀剣をふりまわす野蛮な民族が蟠踞していて、侵略しても到底採算がとれない」と報告されていて、日本を訪れたフランス人記者の「日本はあきれるほど貧しい国で、資源もまったく存在せず、国民が人糞を畑にまいて獲れた作物を食べて生きている、いわば人糞国家」であると記事を書いていて、欧州側の日本についての見解をみると、どうやって考えても侵略になどくるはずがないのは判っています。

しかし日本人の側には、その貧しい国土である事情を十分に知悉して、朝鮮半島と中国の富みを簒奪したい野心があった。

日本人の歴史を通じての野心は「いつの日にか、海を押し渡って、朝鮮と唐の冨を、全部でなくてもいい、ほんのお裾分け程度でもいいかが我が手におさめたい」だったからです。

日本人は不思議なほど貿易による冨の増大という思想と無縁で、民間の商人がわずかに東南アジアと交易して蓄財をはたしても、国家のほうはこれを禁ずることしか考えなかった。

その結果、「まず朝鮮半島をいただいて、そこを足場に中国を少しずつ切り取る」のは、中世以前からの日本人の基本国家戦略になっていった。

それがどれほど高くつく愚策であったかは、「日本の生命線」満州が日本に強いた膨大な赤字植民地経営と当時はたったひとりの加工貿易立国論者で、世間と議会の失笑をあびた石橋湛山の「植民地なんていらん。我が国は貿易で立国すればよい」がいかに現実的な政策であるかが証明された戦後の日本の歴史をみればあきらかだとおもう。

背景が、つまり、そういうことなので、日本での「洋化」「文明化」は、つまり軍事力を西洋並みにする、という意味であるようでした。

日本社会の問題を議論していたときに、みなで発見して驚いたように、そもそも語彙としてintegrityが日本語には存在しない。

あれ?commitmentもない。

そうやって眺めていってempathyもないんじゃない?ということになっていって、どうやら倫理と善意を理性的に検討するための一群の語彙が西洋語を翻訳するために発明された近代の日本語からは、ぞろっと抜け落ちているらしい。

北村透谷のころまで遡ってみてみると、理由は「日本の近代化に役に立たない。返って邪魔だから」ということであったようでした。

1970年代前半に作られて公開された山本薩夫監督の映画「戦争と人間」には北大路欣也扮する徴集兵が「胆力を養うため」に生きたまま立杭にくくりつけられている中国のひとを銃剣で刺殺しろという命令をうけて良心との葛藤に焦燥するシーンが出てきます。

日本は、産業を基礎から育てるようなまだるっこしいことをせずに、軍需産業を促成栽培して、それを支えるべき基礎工業力は「朝鮮と満州をぶんどってから考えれば良い」という基本国家戦略だったので、GDPの40%〜80%というとんでもない比率の軍事費を集中投下してつくりあげた軍隊国家を人間の倫理のようなルーズ・ベネディクトが日本人に証言させている「外国人のような劣った弱い者だけが必要とする絶対規範」を必要だとは考えなかった。

国家の建設にあたって倫理と理念を捨てる。西洋と対抗しうる巨大な軍事力をつくりあげることだけに国民を挙げて集中する。

その結果出来上がったのは戦前に日本を訪問したバートランド・ラッセルが繰り返しひとつ話にした「世界で最も危険な国民」が住む、全体が軍隊そのもののような国家だった。

しかもこの国家には日本語というマイナー言語でまとめられていて、この言語と他言語のあいだには殆ど交渉が存在しない、という特徴があった。

日本人がいまに至るまで漠然と世界について知識があると妄想しているのは翻訳文化の発達に拠っているが、特に翻訳が本質的に誤訳であって、系統がおおきく異なる言語から言語への翻訳は不可能作業にしかすぎないという言語学的な事実を述べなくても、もっと単純端的な例として、ヒットラーのMein Kampfの日本語版「我が闘争」には日本人を「人間のマネをするのが上手な猿」と述べた部分を含む、日本人はユダヤ人どころか、人間以下なので(犬や猿を憎み理由がないのと同様に)人種的な憎悪を燃やす必要がないと暗に示唆する部分がすべて省かれていて、日本人は戦後に至るまでヒトラーが人種差別主義者であることを知らなかった、という滑稽どころではない事実を述べれば十分であるとおもいます。

このブログ記事には、日本人がどのように民主主義を誤解してきたか、前提となる「個人がわがままにふるまいたい強い欲求」を欠いているか、自由への個々人の強烈な希求を欠いた「自由社会」がいかに破滅を宿命づけられているか、ということが何回も繰り返しのべられていて、きみとも、何度もそのことについてやりとりをしてきました。

自由よりも秩序を、もう少し現実に即していえば「何事も起こらない」事を望む国民性には、民主制はおおきな負担だった。
考えてみれば、当たり前だが、日本人にとっては自由社会はアメリカ人が「守れよ」のひとこととともに日本人の肩にのせていったおおきな重荷にしかすぎなかった。

そのことは選挙の投票にいくことすら「めんどくさい」と感じる日本の人の心性をのぞいてみれば明かだとおもう。

きみの年長の友達がSNS上で「投票に行かないのも個人の自由であって権利の行使だ」と書いてあって、やっぱりそう思ってるんだなあ、と感心したことがあったが、日本人にとっては、なんのことはない、自由であることが「義務」だったのだとおもいます。

必然性のない自由社会で倫理性も善意も欠いているとなれば、社会のモデルとしては軍隊モデル以外の選択肢はない。

競争と、そつのない、つまり減点主義の個人への査定と、絶え間のない緊張と抑圧からくる集団いじめの爆発、そうおもって考えると日本社会は軍隊としての特徴に満ちている。

21世紀にはいって、急速に冨が偏在に加速がついたのも、軍隊本来の1%に満たない将校と99%の兵卒への分化がおおっぴらに起き始めたのだと考えれば比較的簡単に説明できそうです。

ジェンダー文化的に軍隊となじまない女のひとたちへの差別がひどくなりこそすれ、一向に、よくなっていかないのも同じ背景ではないかと、ぼくはおもっています。

日本語で出来た友達に話しかける以外に日本語の使い途もなくなってしまったので、別に嫌気がさしたわけでもなんでもないんだけど、少しずつ日本語から疎遠になっていくのは避けられないようです。

だから何人かの友達に、日本語と付き合ってきて考えたことを手紙にしておこうとおもう。

ウクレレは、とてもいい思いつきだった。
ウクレレには、奏者がすごみようがない楽器なところがあって、ぼくはそこが好きです。

slackの、きみがホストのウクレレのチャンネルを見ていると、みんなが楽しそうで、助けあって、笑い転げながら幸福なやりとりをしているのが見てとれて、すばらしい、とおもう。

おおげさにいうと、ガキ大将だったオダキンが、穏やかに生きていく道をみつけたとでもいうような、リラックスした空気が流れてきて、
なにがなるほどなのかしらないが、「なるほどなあ」とひとりごちる。

また、今度は間をおかないで、続きの手紙を書きます。

次の手紙は、日本語を習得する過程で判らなかったことになるのではなかろうか。

日本の人で、いちばん最後まで判らなかったのは、「自分達が生きてきたよりも良い社会を子供達に残そう」と考えているようには見えないことでした。

そんなことがありうるだろうか?と何度も再観察してみたが、どうも日本の人たちは子供たちへよりよい社会を残そうという、ほとんど社会の存在意義の大半を規定する欲求を感じないらしい。

それは社会としては文字通りの自殺でしょう。
どうしたら、そうなるのか、考えてみてもわからないけれど。

では。

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

6 Responses to ある物理学者への手紙 7

  1. niitarsan says:

    ウクレレ、密かにわしも練習しとるのよね。自作のウクレレだから音程が微妙に決まり切らないけれども、それがまた南国のまったり感を醸し出すに違いないと思っとります。先日地元ロックフェスにウクレレ教室の出店があって、30分で色々コツやら最強の3コードも習ったので、かなり上達したような気がする。

    Liked by 3 people

  2. いまなか だいすけ says:

    今日は、来週の予定と間違えて行動してしまって、朝から少し時間ができてしまったので読むことができました。コメントを初めて書きます。

    >ぼくが日本の人で、いちばん、最後まで判らなかったのは、「自分達が生きてきたよりも良い社会を子供達に残そう」と考えているようには見えないことでした。

    私も本当に分からない。自分たちが耐えた苦しみは子世代にも体験するべきだ、と思っている人が多いみたい。私は全く共感できないです。
    そのことが災いして、子供が生きる世界は私が子供の頃よりも大変になっているような気がします。週休2日になって休みが増えたはずなのに。

    うちの小さい人が「登校時は学校についてきてほしい」と言うので、私も一緒に学校に行ってます。同じ行動をすると私も記憶が戻って、毎日忘れ物は無いか大丈夫か、ってことを考えながら学校に行ってたみたい。忘れ物は本当に怖かった。でも大人になるにつれて、忘れ物なんてドンドン緩くなっていって、なんで子供だけに厳しくするのか分からなくなってます。私、あんなに苦しかったのは何だったんだろう。

    うちの小さい人は、忘れ物があっても私みたいに思い悩まなくて平気みたい。今日も、いっぱい甘えてもらって私の子供時代よりも楽しい子供時代を過ごさせてあげるんだ。

    Liked by 7 people

  3. odakin says:

    ‪ありがとう😊読んだぜ‬
    ‪俺は子供のころガキ大将系では無かったけどな‬
    ウクレレ、凄みようがない楽器というのは言い得て妙
    4弦のソGの音がふつーの並びからオクターヴ上がってるのがあの軽やかなコロコロしたかんじの主因かなーと
    以前、ウクレレみんな中年になったら始めるのなんでですかねー?とまほろば亭のりょーとさん(二十歳ぐらい)に聞かれて思ったが、四半世紀くらいギター始めたいなーと思い続けたのち、モテからの解脱を果たしてみて、あーウクレレがあるじゃん、みたいな😅
    ぜったいに音楽でなにものかにならない人間が純粋に音楽を愉しむのに大変すばらしい気がする(もちろん本来の、これを極めるんだという人たちも居るんだけれど)

    Liked by 2 people

  4. mrnk6122 says:

    素敵なお手紙。オダキンさんがウクレレで不破さんと共演?!ってはじめとっても驚いたけど、とても素敵なアイディアだと思って、こちらがウキウキしてしまった。京都だから、今の私には聴きに行けないのが残念だけど、触発されて、私もウクレレ始めました。不破さんもオダキンさんも勧め上手なんだもの。なかなかうまくならないけど練習を繰り返していて毎日楽しいです。これも二人のおかげです。

    私には子供が無いけどまだ小学生の姪の将来について考えると不安で、今から私が頑張ってお金を貯めて、彼女を海外に出してあげることができるか、あるいは彼女が海外に行こうと思えるような考えが育つように何かできるんだろうかといつも考える。本当は彼女が思春期になる前に一家ごと海外に出れればいいのにと考えます。女性が大人になりかけの心が柔らかい時期を過ごすのに日本は適していない、むしろ最悪な環境だと思うからです。私の十代がそうだったように。

    社会に適応できていない私が勧めるものを、きちんと今の学校教育を受けて優等生的に大きくなった姪はもしかしたら受け入れてはくれないかもしれないけれど、姪がもう少し大きくなったら、ガメさんブログを読んでもらいたい。実際ガメさんの言葉はとてもよい精神の栄養と指針になります。姪はまだ小学三年生だけどおとなしくて感受性が鋭い優しい子だからこのまま日本で生きていくと考えると、とても心配になるのです。
    ガメさんの言葉がまっすぐに届くような人に育って欲しいと思うのは、伯母の老婆心とおせっかいかしら。

    Liked by 4 people

  5. olivaceus says:

    >21世紀にはいって、急速に冨が偏在に加速がついたのも、軍隊本来の1%に満たない将校と99%の兵卒への分化がおおっぴらに起き始めたのだと考えれば比較的簡単に説明できそうです。
    >ジェンダー文化的に軍隊となじまない女のひとたちへの差別がひどくなりこそすれ、一向に、よくなっていかないのも同じ背景ではないかと、ぼくはおもっています。

    その将校層が将校としての教育あるいは訓練を受けてないことも大変さに拍車をかけているように思えます。軍は知らないけど、政治や経済でのリーダーはリーダーに足る人格や思想の持ち主ではない人ばかりだから。

    日本人には自由は与えられた義務だった、commitmentも無かった、との指摘は周りを観てもそうだし自分もきっとそういう側面があるのでしょう。うん、そう思う。
    今日のエッセイはたくさんの重要な指摘が詰められていて感想を書ききれないです。また戻ってきて書きたいので、今度は消さないでくださいね。

    Liked by 1 person

  6. koshiro eguchi says:

    「何事も起こらない」事を望む国民性。これがそのまま、何かが起きても「何も起こらなかった」に変えてしまう力として、この国の隅々にまでしみ込んでいる気がします。虐殺も、敗戦も。地震も、津波も。悪いことやケガレは、死者や弱者が時間とともに持ち去って、無垢な自分たちが残る。神社でシャラシャラとした紙が頭上を通り抜けると、全てが済みリセットされる。罪も罰も。社会もおそらくは、組み上げ間違い再度頭をあげて積み直すものというよりは、舞台の書き割りのように捉えているのかもしれません。民主制も、自由主義も、子供たちへの教育も。

    Like

コメントをここに書いてね書いてね