『日本国紀』読書ノート(83) | こはにわ歴史堂のブログ

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83】「蛮社の獄」を誤解している。

 

「…蘭学を学んだことで政府を批判する勢力となった人たちが出たため、これを取り締まった。この言論弾圧を『蛮社の獄』という。当時、蘭学者たちは『南蛮の学問を学ぶ』ということから『蛮社』と呼ばれていた。この時、渡辺崋山や高野長英(シーボルトの弟子でもあった)といった素晴らしい学者たちが切腹を命じられたり、殺されたりした。」(P219)

 

「蛮社の獄」をまったく誤解されています。

 

まず、細かいことが気になるぼくの悪いクセ、ですが「切腹を命じられたり…」とありますが、この事件では「切腹」を命じられた人はいないはずです。

「切腹」は武士に命じられるものです。藩士は渡辺崋山くらいで、あとは僧侶と町人。崋山以外の武士は三人くらいで、浪人や隠居でした。

渡辺崋山は「蟄居」ですし、高野長英は「永牢」つまり終身刑です。

「永牢」は高野長英以外では2人。「押込」は4人。「江戸所払い」が1人。

ただ、彼らの多くは取り調べ中の拷問で死んでいます。ですから「殺されたりした。」というのは正しいですね。

 

「蛮社」を「尚歯会」と誤解されている人も多いのですが、「尚歯会」で処罰されたのは高野長英と渡辺崋山だけで、残りの「尚歯会」に属する人々は処罰されていません(二人が別件で逮捕されましたが無罪放免)

「蘭学を学んだことで政府を批判する勢力となった人たちが出たため」取り締まった、というのも現在ではこのような説明しません。

 

渡辺崋山は、もともと無人島渡航(小笠原諸島渡航)計画を立てていると訴えられ、その取り調べの中で、書きかけの原稿が見つかります。それが『慎機論』でした。

高野長英は『戊戌夢物語』の内容を咎められましたが、「蛮社の獄」は蘭学の研究者全体の弾圧事件というわけではありません。

 

実は、この事件の発端は、「モリソン号事件」です。

アメリカの商船が漂流民を救助してくれて、返還しようとしたのですが、それを打ち払った、という事件です。

最初はどこの国の船かもわからず打ち払ったのですが、後にオランダ商館長が、イギリス船(アメリカなのに誤ってイギリスと伝えた)のモリソン号で、遭難者を届けてくれたのだ、という「真相」を伝えました。

(幕府はこのように、オランダ商館より、わりと頻繁に世界情勢、列強の動きを得ていました。外国の情報に疎かったというのは長く誤解です。)

幕府は、江戸湾防備を再開させる案を、蘭学者で韮山代官であった江川太郎左衛門と、目付の鳥居耀蔵にそれぞれ検討させます。

この両者の対立から、鳥居が江川を退けようと、彼の師匠の渡辺崋山に目を付けました。

 

「西洋について詳しい情報を持った人物を粛清する行為は、大きな目で見れば、自らの首を絞めかねないということに、幕閣たちは気付いていなかった。」(P219)

 

という説明は、「蛮社の獄」を誤解していることから生まれた感想だと思います。

教科書は、そのあたりをふまえているので、蛮社の獄を単純な蘭学弾圧とは現在では説明しなくなり、先に述べた背景を説明するか、「幕府を批判した高野長英と渡辺崋山が処罰されました」というような表現にとどめています。

 

モリソン号事件にふれず、「蛮社の獄」を説明するのはかなり無理があります。