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百田尚樹氏『日本国紀』は随筆である…定説と大きく異なる部分、事実誤認部分

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 たくさんありますが、二例ほどあげておきますと、コラムでユダヤ人を救った日本人として杉原千畝を取り上げていますが、彼は「ゴールデンブック」には掲げられておらず、三井物産の古崎博の誤りかと思います。

 また、サイパン陥落時、岸信介は商工大臣ではなく無任所の国務大臣でした。記載されているような発言をしたとすれば軍需次官だったからではないでしょうか。

 また、人物の言動を示した資料も正確に引用しないとその人物の魅力が誤って読者に伝わってしまいます。そのような一例としては、

「この国の人々は、これまで私たちが発見した国民の中で最高の人々であり、日本人より優れている人々は、異教徒の中では見つけられないでしょう」

という来日した宣教師の言葉があげられます。これはルイス=フロイスの書簡ではなく、フランシスコ=ザビエルの書簡からの引用で、教科書にもよく取り上げられているものです。

(4)一つで全体を説明しない。全体で一つをおろそかにしない

(4)について、「一つで全体を語らない」「全体で一つをおろそかにしない」ということですが、これもいくつか例をあげておきますと、水戸の特殊性を説明するにあたり、「参勤交代」の実状に誤解をあたえかねない部分がありました。参勤交代で江戸定府は実は水戸家だけではありません。御三家の中で、あるいは主だった大名の中では、と説明すべきだったと思います。また、参勤交代は「諸藩が力を蓄えられないようにする(幕府に向かうことのないようにする)」ためと説明されていますが、幕府がそのような意図で参勤交代を始めたことを示す史料はなく、いわゆるこれは俗説で、教科書から消えてかなり久しくなっています。

 また、本書は日本史の物語、「叙事詩」ではありますが、世界史との関連を説明した箇所では、筆者がやや雑に説明してしまっていて、ここでも誤解を受けかねません。むしろ専門外・対象外であるからこそ、丁寧に正確に、そして慎重に著述すべきであったと思います。

「江戸はロンドンやパリ以上に歴史のある町で…」(P167)

 日本の素晴らしさを伝統や歴史から伝えようとするあまりの勇み足だとは思いますが、ロンドンもパリも、古代ローマから存在する歴史のある町で、江戸よりもはるかに歴史が古い都市です。

ヨーロッパ諸国はすべて君主制だったので、フランスの市民革命が自国に広がるのを抑えようと、革命政府をつぶしにかかったが、ナポレオン=ボナパルト率いるフランス軍がそれらの国を打ち破った」(P212)

 当時、ヨーロッパのすべてが君主制であったわけではありません。

経済学者のマルクスが唱えた共産主義を信奉するレーニンが武装蜂起し、政権を奪って皇帝一族を皆殺しにしたのだ。人類史上の一党独裁による共産主義国家ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)の誕生である。ソ連はドイツとの戦争をやめ…」

 ソ連が成立するのは1922年で、それまではロシア=ソヴィエトと説明されている場合が多く、1917年から22年までの内戦を通じて、赤軍が旧ロシア帝国領内のザカフカース・ベラルーシ・ウクライナを統合、22年にソヴィエト社会主義共和国連邦を成立させました。ドイツと単独講和を結んだブレスト=リトフスク条約は1918年に結ばれたもので、ソ連と結んだものではありません。

「ヒトラーが率いる政党ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)も、ムッソリーニのファシスタ党も、正当な選挙で政権を取ったということである」(P363)

 ムッソリーニが政権を獲得したのは選挙ではなく、クーデターともいうべき「ローマ進軍」と国王の任命によるもので、正当な選挙によるものではありません。ちなみにナチス、NSDAPの訳語は国家社会主義ドイツ労働者党ではなく、「国民社会主義ドイツ労働者党」とかなり前から教科書などでも表記が改められていて、ドイツ近現代史の専門家で「国家社会主義」という訳語を使う人はかなり以前からいなくなっています。

(5)最近の研究と定説化は違う場合もある。紹介することと定説として示すことは別。

(5)について、最近の研究と定説化は違う場合もある。紹介することと定説として示すことは別、ということですが、学説、また新しい研究というのは「振り子」のようなもので、一方に振り切ってもまた研究が進んで逆の方向に振ったりするものです。いくつかあげられますが、一例としては、室町幕府の足利義満についての説明です。いわゆる皇位の簒奪、自分の子を天皇にすることによって自らは上皇になろうとした、という話が述べられています。一時期、この王権簒奪説は取り上げられましたが、現在では否定されている説です。

「叙事詩」というか物語としてはおもしろいものですが、むしろコラムとして「紹介する」にとどめ、足利義満の権力獲得過程、明徳の乱や応永の乱にページを割かれたほうが「通史」としての厚みが出たように思います。

 さて、最初に本書の要約は、

「日本は、すばらしい国で、素晴らしい人たちが活躍してきた歴史がある。しかし、GHQの占領政策、戦後の教育によってその歴史がゆがめられた」

というものである、と説明しました。500ページをこえる本書のうち、P282以降が明治以降の説明となっていますが、とくに第9章以降の要約は、以下のようにも説明できます。

「侵略ではなく自衛」であった戦争が、
「GHQ・戦後の教育」によって
「自衛ではなく侵略」として説明されてしまった。

 しかし、「通史」であるとするならば、また自説を主張するような場合でも、「その理由は『合力』で説明し、一つで全体を説明しない。全体で一つをおろそかにしない。最近の研究と定説化は違う場合もある。紹介することと定説として示すことは別」という立場で、説明したほうが説得力はあったように思います。

最後に

「定説」というのは、氷山と同じで、見えている部分はほんの少しです。何もないように見えても多くの研究者の、たくさんの議論と検証、傍証と追加資料で積み重ねられたものです。

 本書はあくまでもC0095で、「文学・評論・随筆」です。読者諸氏は、これらの定説や多くの研究者の説明を覆すようなものではない、と考えてほしいと思います。
(文=浮世博史/私立西大和学園中学高校教諭)

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