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百田尚樹氏『日本国紀』は随筆である…定説と大きく異なる部分、事実誤認部分

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(2)その説明を「断絶論」で説明するか「連続論」で説明するか

(2)について、「断絶論」なのか「連続論」なのかというところですが、たとえば、邪馬台国九州にあったか近畿にあったかは、九州説をとればヤマト政権とは断絶だし、近畿説をとれば連続となります。

 国風文化も、遣唐使の廃止によって日本独自の文化が生まれたとしたら断絶論ですし、遣唐使は従来と同じく「停止」にすぎず、日本の風土や環境、慣習や伝統に順応して漸進的に生まれたとするならば連続です。

 鎌倉文化は、それまでが貴族の文化で、鎌倉時代から武士や庶民の文化に変わったとしたら断絶で、貴族文化も鎌倉時代の貴族に受け継がれ、それと並行して新しく武士や庶民という担い手が加わったとしたら連続です。

 また、江戸が「夜」で明治が「夜明け」ならば断絶ですし、幕末からすでに文明開化が始まっていたとするならば連続となります。

 筆者は、江戸時代は別として、上記の「邪馬台国」や九州王朝説、「国風文化」「鎌倉文化」など、ことごとく断絶の立場から筆をとっておられます。この部分は教科書的説明や定説などとは著しく異なる部分ですので、なぜ定説とは違うか、教科書とは違うか、もう少し丁寧な説明をしていただきたかったところです。

(3)その理由は、「テコ」で説明するか、「合力」で説明するか

(3)について、人物や特定の事件を「テコ」として歴史を説明するか、政治はもちろん、社会・経済・外交、当時の文化などとの「合力」で説明するか、というところですが、総じてこの作品が歴史書ではなく、「叙事詩」であるということから、つまり作として筆者の顔がどうしても出てくるようで、また(1)の側面から、人物や特定の事件で通史を書き進めていく姿勢がみられます。もちろん、この部分が「物語」としてのおもしろさでもあるのですが……。

「薩長連合」における坂本龍馬、幕末での勝海舟などの活躍はもちろん、「日英同盟」における柴五郎の扱いなどにそのことがよく表れているといえます。古代・中世の歴史上の人物の場合は、少し史実を逸脱した表現でも、『平家物語』や『太平記』のように、詩的な説明は魅力やおもしろみを引き出してくれますが、近現代の人物は、関係者も存命である場合もあるので、筆者はもちろん監修、編集段階のファクト・チェックは徹底しておかないと他の記述の信憑性も疑われてしまいます。

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