俺ミュージシャンだったんだよね
およそ10年前、日本でバンドをやっていたものの泣かず飛ばず、スタジオミュージシャン的に仕事をもらってギターで飯が食えていた時期もあるものの内容があまりにつまらないので一年経たずにやめて音楽活動していたんですが、やるかたない不満を抱えてどうにもならず、じゃあアメリカの音楽ばかり聴いているんだから、アメリカに行ってみよう、と思い立ってアメリカはワシントン州、シアトルに遊びに行きました。
正式にビザを取っての留学とかなんとかではなく、ビザなしで遊びに行っただけなのですが、とりあえず長期でいないと始まらないだろうとビザなし滞在で許される3ヶ月フルに遊び倒しました。
現地で知り合ったあんちゃんの家に居候させてもらったりと、周りの人に迷惑をかけっぱなしでしたが、現地で得た最大の教訓は、「自分がやっていることがきちんと評価される場にいないとどれだけ頑張っても意味がない」というもの。
それは日本で評価されるどころか、音楽や楽器の演奏に対して共通の言語が見つからなかったのに、アメリカに行ってみたらいきなり通じてしまった上に思い切り評価されてしまったという体験から来たもの。
今は写真をやっていて、同じように技術を人生の核に据えた生活を送っているわけですが、音楽をやっていた頃に得た経験からYoutubeを始めたりした部分は大きのであります。フェアネス基準で技術を論じて、拾い上げられるべきものが拾い上げられる環境を自分の周りだけでも作りたいなあ、です。
当時のわたくし。居候先の家主の彼女のクリスのグラサンを勝手に借りて |
正式にビザを取っての留学とかなんとかではなく、ビザなしで遊びに行っただけなのですが、とりあえず長期でいないと始まらないだろうとビザなし滞在で許される3ヶ月フルに遊び倒しました。
現地で知り合ったあんちゃんの家に居候させてもらったりと、周りの人に迷惑をかけっぱなしでしたが、現地で得た最大の教訓は、「自分がやっていることがきちんと評価される場にいないとどれだけ頑張っても意味がない」というもの。
それは日本で評価されるどころか、音楽や楽器の演奏に対して共通の言語が見つからなかったのに、アメリカに行ってみたらいきなり通じてしまった上に思い切り評価されてしまったという体験から来たもの。
今は写真をやっていて、同じように技術を人生の核に据えた生活を送っているわけですが、音楽をやっていた頃に得た経験からYoutubeを始めたりした部分は大きのであります。フェアネス基準で技術を論じて、拾い上げられるべきものが拾い上げられる環境を自分の周りだけでも作りたいなあ、です。
シアトル北部のAuroraという町 |
日本でギター
中学3年生の頃からギターを弾き始め、シアトルに初めて行ってみた時点で10年オーバー。
10年間も狂ったように毎日6~8時間も休みなくギターを弾いて人生に他のものなどない、という暮らしをしているとあれこれ見えてくるもので、職人世界と同じようにギターと自分の間に小宇宙が形成されて、毎日そこを泳ぎ回る感覚に慣れ親しむわけですが、さてそれを対外的に評価してもらおうと持ち出してみたところで、日本はなかなか難しい場所なんであります。
聴く奴の耳が悪いから俺が売れないんだ! というのは市場を作れなかった人間の泣き言なので聞く必要はないと思うのですが、つまり自分が評価されるような場を作るか、評価されるような場を選んで自ら飛び込んで行く度胸のある人間しか評価を受けることはできない、というのがあれこれ見聞きして40歳を過ぎた現在の私の考えるところです。
ギターを弾いていた当時の私は、日本に暮らしながら、音楽でたしかにこの道で合っているはずだ、合っているはずなんだけどなあ……いや合ってるんじゃなかったっけ、というふうに迷いながらではあるのですが、音楽の中に一筋の道を見つけてそこをたどっていたんであります。
ところが、私が音楽に対して「こういうものだ」と考える概念上の音楽が、そもそも音楽をやっているはずのバンドマンたちと噛み合わず、それはまるで女性の扱いのようなものだと今になると思います。
たとえばある人は女性を神のように崇め、その唇からこぼれ落ちる言葉は神託であって地べたをはいずりまわる私達のような下賤な人間には反論の余地どころか疑うことすら許されない、というような家畜人ヤプーばりの感覚を持っている人もいるでしょうし、たとえば女兄弟に囲まれて育ったおかげで女性、女性性というものに対して一切の期待を抱かないも抱かない人もいるでしょう。
今はなきLusty Lady |
私にとって音楽は神のような存在であり、楽器を演奏するのは基本的に神事のようなものです。神というと大仰に思えますが、クリスチャンたちが神を信じると言いながら戒律はガンガン破るのと同じように、人間らしく堕落した付き合いであります。時に貶し、時に諦めながら、しかしなくては人生が立ち行かぬ、すがるロープとしての神。
ところが、およそ私の周りのバンドマンたちにとって音楽というのは、大学生の写真サークルでトレンチコートを来てフジのカメラを持っているような、彼らが主人公の素敵な人生を彩るツールであって、音楽に人生を投じるどころか、利用するものでしかありませんでした。
初対面の時にそれが分かるのであれば話は早いのですが、人間というのはしばらく疑いを持って行動を見守らないとわかりません。おかげさまで40歳を過ぎた今ではだいぶ判定が早くなりましたし、それが自分の写真での活動にも活きていますが、当時はウブでありました。周りの人間も自分と同じように、殉じる覚悟があるのだと思いこんでいたのです。
シアトル
そんな状態でギターを弾いていて精神衛生がよろしいわけもなく、また25,6歳の頃に体を壊したのもあり、いま考えれば自分が打破しないことで結果的に自ら選択した音楽環境だったのですが、それに嫌気が差していた私は、それじゃシアトルに行ってみよう、と思い立ったのでありました。
それとて、当時よくして下さっていたライブハウスの店長が「シアトル良いところだよ」と紹介してくださったご縁を頼りにという、いま考えてみればなんとも頼りないものであります。
何はともあれ、心配でずっと吐きそうになりながらも初めて踏みしめた異国の地での音楽体験は今でもキラキラと輝いて記憶されているほど素晴らしいものでありました。
君はどんな人だ、どういう風に音楽を聴いて育ってきたんだ、そういう会話が楽器を通じて現地のミュージシャンたちとかんたんに出来ます。
そもそもミュージシャン同士が仲良くなるのが一瞬です。ギター、お前、弾けるのか。よし、バンドに入れ。終わりです。一緒に演奏すればマインドは常にオープンで、自分の演奏は自分の職掌だから手懐けていて当たり前、その上で解像度高く一緒に演奏しているメンバーが何をしているか、そこからその人がどういう人なのかをピックアップしていきます。
そうか、お前はそういう人間なのか。
音楽は人なり、であるとか、ロックはどうこうというような言葉は日本語の音楽雑誌で数多く目にしましたが、体験するのとは大きな違いがありました。それは日本語の音楽ジャーナリズムの限界だったのかもしれませんし、それが依って立つ音楽業界というものの構造の違いから来る齟齬だったのかもしれません。
しかしいちミュージシャンであった私にとっては「騙されてたなあ」「本当に音楽の中に入れてもらった感じだなあ」というふうに、シアトルのミュージシャンたちとセッションするたびに感動するのでありました。
もちろんたまにはハズレという人もいまして、勝手にイーヴルとあだなを付けていたドラマーはセッション性ゼロ。日本でもよくいる、セッションバーに来て一人の世界で完結して誰とも触れ合わずに演奏を終えて、褒めてもらうのを待っているような、そういう感性の持ち主もおりました。
しかしそれは日本と比率が逆で、ごく少数なんです。
ほとんどは音楽を正しい位置に据えて、自分と音楽の関係性に感謝するところからスタートし、その上で同じ音楽を信奉する仲間たちと時間を共有し、マインドは常にオープンで、といった具合。美化しすぎているきらいはあると思いますが、あまりに違うので衝撃的だったのです。数十人単位で現地のミュージシャンたちと触れ合いましたが、それが音楽をやる人間の基本姿勢だという共通認識があったので、もう当たり前のラインが全然違うんです。
けっきょく、アメリカには移住したかったのですが上手くビザをとることができず、また体調が最高に悪い時期でもあったので「こりゃ無理だな」ということで日本で暮らすことを選び、そうこうしているうちに結婚し、じゃあカメラマンでもやってみるか、と現在のルートにいたったわけです。
そうか、お前はそういう人間なのか。
音楽は人なり、であるとか、ロックはどうこうというような言葉は日本語の音楽雑誌で数多く目にしましたが、体験するのとは大きな違いがありました。それは日本語の音楽ジャーナリズムの限界だったのかもしれませんし、それが依って立つ音楽業界というものの構造の違いから来る齟齬だったのかもしれません。
しかしいちミュージシャンであった私にとっては「騙されてたなあ」「本当に音楽の中に入れてもらった感じだなあ」というふうに、シアトルのミュージシャンたちとセッションするたびに感動するのでありました。
もちろんたまにはハズレという人もいまして、勝手にイーヴルとあだなを付けていたドラマーはセッション性ゼロ。日本でもよくいる、セッションバーに来て一人の世界で完結して誰とも触れ合わずに演奏を終えて、褒めてもらうのを待っているような、そういう感性の持ち主もおりました。
しかしそれは日本と比率が逆で、ごく少数なんです。
ほとんどは音楽を正しい位置に据えて、自分と音楽の関係性に感謝するところからスタートし、その上で同じ音楽を信奉する仲間たちと時間を共有し、マインドは常にオープンで、といった具合。美化しすぎているきらいはあると思いますが、あまりに違うので衝撃的だったのです。数十人単位で現地のミュージシャンたちと触れ合いましたが、それが音楽をやる人間の基本姿勢だという共通認識があったので、もう当たり前のラインが全然違うんです。
けっきょく、アメリカには移住したかったのですが上手くビザをとることができず、また体調が最高に悪い時期でもあったので「こりゃ無理だな」ということで日本で暮らすことを選び、そうこうしているうちに結婚し、じゃあカメラマンでもやってみるか、と現在のルートにいたったわけです。
なんか抽象的な写真がHDDにありました |
音楽と写真
音楽と写真の共通点について、よく考えます。
Youtubeのおしゃべり動画でもいつかやろうと思いつつ、しかしあまり卑近なところで「似てるー!」とやってもしょうがないのでなにかスパッと良い形はないかと模索するまま大体3年くらい経過しましたが、共通していると感じるのは、子葉の部分でいえばデジタルとアナログの関係性。現場でやるべきこと、後処理でできることの切り分けなどなどですね。
しかし、一番大事なことは、今日長々と書いたようなことです。
つまり自分が音楽なり写真なりでやりたいことと、それを受容する環境が自分の属するコミュニティーにあるかどうか? それは場所の問題でもあるかもしれませんし、時間の問題でもあるかもしれません。
音楽にせよ写真にせよ、作品として何かを著すことと、それに対する評価は必ずセットです。願わくば、自分がやることが「正しく」評価される場所であることを願ってやみませんが、そこは自分と環境のマッチングが上手く行っていない可能性も含めつつ検討しつづける必要があるでしょう。
というわけで
そんなわけでとりとめのない話になってしまいましたが、音楽も写真も、自分の人生に良いものをたくさんもたらしてくれたことは間違いありません。
音楽に自分の青春をすべてぶちこむ経験をしたおかげで、写真に対しても真摯に取り組む姿勢で最初からスタートすることができました。
かんたんにいうと、カメラを構える姿勢から、その人が写真に対してどれくらい気合が入っているか分かっちゃうところがありませんか?
もちろん構えがカッコよくても写真の内容が伴っていなければ意味がありませんが、自分がやっている芸事に対する敬意というのは、当然自分がやっていることすべての積み上げで出来ていますから、今後もやるのであれば、知見を積み上げてきた先人たちに感謝する意味も込めて真剣に取り組まねばな、という思いを新たにしました。
その先人というのが誰を指すのか、が問題でしてね……という話はまた別の機会にすることにいたしましょう。