4か国語のチラシ

20170318チラシ

 福岡市東区で2001年2月17日に起きた老夫婦殺害事件について、福岡県警が日英中韓の4か国語でチラシを作り、情報提供を求めている。福岡県警が抱える未解決の殺人事件の一つ。英中韓国語でチラシを作製したということは「警察は外国人の犯行と睨んでいるのだろうか」と早とちりしたが、広く情報を求めたいという遺族側の要望によるものらしい。4種のチラシは、県警サイトの情報提供を募るページに掲載されているが、このページを巡っては5年前、「未解決は4件どころじゃない」という記事を書き、県警が抱える未解決事件をすべて掲載するべきではないかと訴えたことがある。

 5年前、県警のサイトに掲載されていた事件は以下の4件だけだった(日付は事件の発生、または発覚日)。
●北九州市若松区の主婦殺害(2001年6月29日)
●田川市のタクシー運転手強盗殺人(2001年7月19日)
●嘉麻市の男性殺害(2009年4月17日)
●博多湾で切断遺体が見つかったOL遺体遺棄(2010年3月15日)

 それが現在では次の4件に切り替わっている。
●福岡市東区の老夫婦殺害(上記)
●北九州市若松区の主婦殺害(2001年6月29日)
●宇美町のコンビニ店主殺害(2000年7月9日)
●田川市のタクシー運転手強盗殺人(2001年7月19日)

 嘉麻市の男性殺害、OL遺体遺棄の情報がサイトから消え、代わって老夫婦殺害、コンビニ店主殺害の2事件が新たに掲載されているが、消えた2事件が解決したわけではない。また、発生日でわかるように追加された2事件が最近新たに起きたわけでもない。サイトに掲載して情報提供を求めるのは概ね4件までという内規でもあるのだろうかと疑いたくなる。

 OL遺体遺棄事件は3月15日、発生から7年を迎え、風化を恐れる博多警察署はこの日、JR博多駅でチラシを配り情報提供を呼び掛けたという。16日の朝刊各紙の地域版にはその記事が掲載されていたが、依然として有力な手が掛かりはなく捜査は難航していると報じられていた。

 一方、老夫婦殺害とともに新たに掲載されたコンビニ店主殺害は「未解決は4件どころじゃない」の中でメインで取り上げた事件だが、こちらに関する報道は近年では全く見た記憶がない。「未解決は4件どころじゃない」を書いた5年前でさえ、事件の記憶を伝えるものと言えば、所轄の粕屋警察署前に貼られたチラシぐらいだった。発生から今年7月で17年。風化していくのも無理はない。

 上記事件以外で、福岡県警の未解決殺人事件をわかった範囲で一覧にしてみた。これらの事件も風化しつつあるのではないかという懸念を感じたので、事件概要を付け加えた。被害者、そして遺族の無念を晴らせていない事件が私がざっと調べただけでも、まだこれだけある。

●嘉瀬川男性切断遺体事件
 1996年2月3日、佐賀県富士町(現在は佐賀市)の嘉瀬川上流で切断された男性の両手足が見つかる。身元は後に北九州市小倉北区の元カラオケ会社経営の男性(50)と判明し、福岡、佐賀県警による合同捜査が始まった。男性は飲食店の家賃を不動産屋に支払うため多額の現金を持って外出、そのまま行方不明となっていた。

●ホテル従業員2人殺害
 1999年3月10日午後、北九州市戸畑区のラブホテル利用客から「女性が血を流し倒れている」との通報があり、捜査員が駆けつけたところ、女性従業員2人(46歳と50歳)が血まみれで倒れ、すでに死亡していた。ホテルの特性上、利用者は駐車場からフロントを通らずに出入り可能だったため、目撃情報や物証などもなく、発生当初から捜査は難航。現場は狭い坂道を上った住宅街の一角にあり、犯人には土地カンがあったともみられている。

●箱崎ふ頭で白骨遺体発見
 2006年5月23日、福岡市東区箱崎ふ頭の中古車置き場で一部白骨化した男性の遺体が見つかった。警察が司法解剖したところ、腹部に複数の刺し傷があることがわかり、殺人事件として捜査を始めた。遺体の身元は住所不定、職業不詳の男性(56)で、中古車置き場で寝泊まりしていたという。

●中古車販売業の男性殺害
 2006年6月15日夜、福岡市早良区野芥の路上で、帰宅中だった男性(33)が男に刃物で背中を刺され死亡した。男性の所持品は残されていたことなどから、警察では物盗り目的ではなく、顔見知りによる犯行との見方を強め、交友関係を中心に調べたが、有力な手がかりは得られていない。
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この30年を振り返ると

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 法務省が毎年公表している『無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について』がこのほど、最新版(2015年末現在)に更新された。この資料によると、2015年に仮釈放された無期懲役囚は11人(うち、新仮釈放者9人)を数え、過去10年では最多だったが、獄死した者はこの2倍の22人に上った。新仮釈放者の平均在所期間は31年6月。30年以上服役すれば、社会復帰のチャンスは全くゼロではないが、刑務所で一生を終える可能性の方が高い、という状況に変化はない。

 2015年中に仮釈放の可否が審査された31人の結果を許可 、不許可に分けて下に掲載したが、仮釈放を許可された者11人の中で50歳代が5人と比較的多いことが目を引いた。しかも不許可になった者はわずか1人だけ。60歳代、70歳代が許可された者各2人に対し、不許可はそれぞれ8人、10人に上っていることと比べれば、ずいぶん高い確率で仮釈放が認められたことになる。

 50歳代の仮釈放率が相対的に高いという傾向は、対象期間を2006~15年の10年間に広げても見られ、50歳代が33.3%(対象57人中、仮釈放許可は19人)だったのに対し、60歳代は18.6%(102人中、19人)、70歳代は17.7%(62人中、11人)と明確に差があった。なお、最も仮釈放の割合が高かったのは80歳代の45.5%で、母数は11人と少ないものの、このうちの5人が許されている。

 仮釈放の可否は個別具体的に判断されるもので、このように年齢別に傾向を見ることなど無意味だとは思うが、50歳代、80歳代が仮釈放が許される確率が高いことの裏には、比較的若い50歳代には「更生の機会をもう一度だけ」、80歳代には「最期は畳の上で」といった温情でもあるのだろうかと妄想してしまった。

 2015年に仮釈放が許された11人は1980年代前半頃から服役していたことになる。50歳代の場合、20歳代、あるいは10歳代後半からずっと刑務所暮らしだった計算だ。試みに1980年代前半の出来事をネット上から独断と偏見で拾い集めてみると、81年福岡市営地下鉄開業、82年長崎大水害、83年東京ディズニーランド開園、免田事件再審無罪、大韓航空機撃墜事件、84年グリコ・森永事件、投資ジャーナル事件、シンボリルドルフ無敗で三冠、85年日航ジャンボ機墜落、ショルダーフォン発売……。不思議なことだが、つい最近の出来事のように思えるようなものもあれば、歴史の彼方と思えるものもある。ちなみにショルダーフォンとは肩に担いで持ち歩く巨大な携帯電話だ。

 その後の30年間を大雑把に振り返ると、1986年頃から都会はバブル景気に浮かれ始め、この最中に消費税がスタート。90年代に入ってバブルがはじけると、理不尽にもバブルの恩恵がなかった地方ほど不景気に沈んだ。95年には阪神大震災、地下鉄サリン事件に衝撃を受け、やがて情報革命の波が社会全体に押し寄せ、小泉劇場がスタート。2008年のリーマンショックを経て、09年には民主党政権が誕生。11年には今度は東日本を大震災が襲った。ネガティブな出来事ばかりを書き連ねたせいもあるが、暮らしづらさがどんどん増していった30年だったという気もする。30年間隔離された後、この社会に戻ってきた11人にはどんな世の中に見えたのだろうか。

【許可】
年齢在所期間罪名被害者数
50歳代30年4月強盗致死傷1人
50歳代30年6月強盗致死傷1人
50歳代30年9月強盗致死傷1人
50歳代33年0月強盗強姦致死1人
50歳代33年9月殺人・放火1人
60歳代30年7月殺人1人
60歳代31年0月殺人複数
70歳代 30年10月 強盗致死傷 1人
70歳代31年7月強盗致死傷1人
80歳代29年11月強盗致死傷1人
80歳代30年6月強盗致死傷1人
 
【不許可】
50歳代30年4月強盗致死傷1人
60歳代30年7月強盗致死傷1人
60歳代30年9月強盗致死傷1人
60歳代30年9月強盗致死傷1人
60歳代31年1月殺人・強姦致死傷複数
60歳代31年2月殺人複数
60歳代31年3月強姦致死1人
60歳代31年5月強姦致死※0人
60歳代42年3月殺人1人
70歳代30年6月殺人・放火複数
70歳代30年8月殺人複数
70歳代30年8月殺人1人
70歳代30年9月強盗致死傷1人
70歳代30年11月強盗致死傷1人
70歳代30年11月殺人複数
70歳代31年0月強盗致死傷1人
70歳代31年3月殺人・強姦致死傷複数
70歳代39年2月強盗致死傷1人
70歳代40年0月強盗致死傷1人
80歳代32年5月殺人複数

 <注>被害者数は死亡者。罪名は強姦致死だが、死亡者が0人になっている例があるが、法務省資料に従いそのまま掲載した。写真は法務省旧本館。
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福岡事件と死刑存廃


 先月17日は“福岡事件”の西武雄・元死刑囚の命日(死刑執行日)で、残念ながら見学はできなかったが、福岡市内では彼の遺品展が開かれていたようだ。毎年、多くの事件が起きている福岡だけに、福岡事件というだけではどの事件のことかわからないと指摘されそうだが、一般的には1947年、中国人ブローカーら2人が射殺され現金が奪われた事件を指している。事件発生から69年、西・元死刑囚の刑が執行された1975年から数えても41年。忘れ去られても不思議ではない事件だが、元死刑囚存命中から始まった再審請求運動は50年以上がたった今も続けられている。

 この事件に関する著作は当事者に近い人物らから数々出されており、今さら個人ブログがテーマとするには荷が重すぎるが、少し興味深い記事を見つけたので、この記事を参考に取り上げてみたい。

 まず福岡事件についてごく簡単に説明すると、1947年5月20日、現在の福岡市博多区で起きた強盗殺人事件だとされている。犯人らは軍服を販売すると偽っておびき出した中国人ブローカーらを拳銃で射殺し、現金10万円を奪ったというもので、首謀者とされたのが西・元死刑囚、そして実行犯が故・石井健治郎氏だった。2人には死刑判決が下され、56年4月、最高裁が上告を棄却し死刑が確定した。

 しかし、死刑囚教誨師として2人の訴えを聞いた僧侶・古川泰龍氏は、石井氏が2人を射殺したのはケンカ相手と勘違いしての誤殺で、西・元死刑囚は被害者らと軍服の取引を行っていただけで全くの無関係だと冤罪を主張。古川氏の支援で2人は数度の再審請求、さらに69年8月には時の法相の「戦後の混乱期に死刑判決が出されたケースでは恩赦を積極的に検討する」という方針を受け、恩赦を出願した。6年後の1975年6月17日、石井氏の恩赦は認められ無期懲役に減刑されたが、まさに同じ日、西・元死刑囚には「恩赦不相当」の決定が伝えられ、即日、刑が執行された。

 同じ事件で死刑判決を受けながら、一人は土壇場で死を免れ、一人は刑場に――この残酷とも言うべき仕打ちは論議を呼び、執行から2日後の6月19日、読売新聞は「死刑制度はどうしても必要か」と問いかける社説を掲載している。最近見つけた興味深い記事とはこの記事のことで、以下に一部を紹介する。

 死刑存続論の主な根拠は犯罪抑制の効果に対する期待と、被害者遺族の心情に対する配慮といってよいだろう。しかし、死刑廃止国のこれまでの調査によると、死刑廃止前後の犯罪率に大きな差はないとされている。また、被害者遺族に対して、国がまず果たすべき施策は、個人に代わって犯人に応報することではなく、むしろ、誠意ある補償制度を確立することではないだろうか。
 われわれは死刑制度に異議をとなえる背景の一つとして誤判の恐れを強調しないわけにはいかない。(中略)
 こんどの処刑は、死刑制度の矛盾を一層際立たせた。死刑制度は、人道上、あるいは刑事政策の上から容認されるべきものかどうか、改めて再検討することを政府や国会に期待したい。また、その結論が出るまで、刑の執行は、一時停止することを望みたい。

 死刑廃止を訴える人権団体が昨日発表した文章だと言っても違和感ない内容だが、あえて繰り返す、41年前の読売新聞の記事である。保守的な論調で知られる新聞であり、少なくとも現在では死刑廃止の側には立っていないと理解している。その読売新聞が死刑制度に異議を唱えるほど、西・元死刑囚の執行は理不尽なものと受け止められたわけだ。

 ただ、この時の議論は言うまでもなく死刑廃止には結びつかなかった。先の社説が図らずも書いていたが、1975年当時、福岡事件とは「半ば忘れられかけた事件」であり、多くの国民の関心を集めるまでには至らなかったのだろうか。

 西・元死刑囚の恩赦が認められなかったのは、冤罪を訴えていたため、司法側からは「反省が足りない」と判断されたためだとも言われる。石井氏恩赦の日にあえて執行した理由は不明だ。何らかの政治的意図があったのかもしれないが、次の再審請求が出される前のタイミングを狙っただけではないかとも思える。1981年に仮釈放された石井氏は熊本県玉名市の古川氏の寺に身を寄せ、2008年12月、91歳で死去した。

 事件の概要等は『冤罪・福岡事件 届かなかった死刑囚の無実の叫び』(内田博文編著、現代人文社、2012)などを参考にした。写真はイメージ。
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捨てた娘を売った母親

 以前書いた記事の追跡調査で昭和40~50年代に起きた事件を調べていたところ、調査とは全く無関係だが、とんでもない事件に出くわし絶句してしまった。事件を報じた記事の見出しがすごい。<13年前に捨てた娘「金になる」 母親、引き取って売る>。1976年、九州某県で起きた。見出しだけでも事件の非道ぶりを理解してもられるのではないかと思うが、簡単にあらましを紹介したい。40年前ということは被害者らが存命の可能性が高いので、一部具体的地名は伏せさせていただく。

 主要な登場人物は2人だ。生活苦を理由に13年前に3歳の娘を捨てた母親(事件当時43歳)と、警察に保護された後、児童養護施設で育ち、私立高校に通っていた娘(同16歳)。母親は捨てた娘が施設にいるのをどういうわけか知り、引き取った。最初から娘でひと儲けすることを企んでいたのかはわからないが、すぐに高校を中退させ、芸者置屋に養女に出したというから、やはり金目当てだったのだろう。さらに夫(娘の父親なのかは不明)の入院中に愛人を作り、この愛人と共謀、置屋の女将を言いくるめて娘をいったん引き取り、今度はストリップ劇場に50万円で売り飛ばした。

 この事件で母親や愛人、ストリップ劇場の経営者が児童福祉法違反などの容疑で逮捕されているが、母親はこれ以前にも窃盗や強盗などで複数回の逮捕歴があり、パチンコ三昧の生活を送っていたという。施設側は面会に来た母親の人相風体を見て信用ならない人物だと見抜き、親元に戻すことには反対だったというが、娘の母親への憧れが勝ったらしい。事件が明るみに出たきっかけは、女子高校生が置屋にいるとの情報を警察が聞き込んだことだ。すでに置屋からはいなくなっていたが、行方を調べた結果、長崎県の温泉地にあったストリップ劇場に売られたことを突き止めた。

 そう言えば、以前は温泉地に行くと、繁華街の一角には必ずと言っていいほど小さなストリップ劇場(ストリップ小屋と言うのが正確かもしれない)があったものだが、娘が売られたのもこんな施設だったのだろうか。少なくとも九州ではすっかり見掛けなくなった。福岡市内にも以前は西鉄福岡駅近くの線路沿いに東洋ショーという劇場があったことを記憶しているが、中洲にも複数あったらしい。中学生ぐらいの頃は、国体道路沿いに設置されていた東洋ショーの大看板を見ては「大人になったら…」とこぶしを握り締めたものだが、東洋ショー自体がいつの間にか消えてしまった。

 最近読んだ朝日新聞記事によると、やはりストリップ劇場は絶滅寸前の状態らしい。一時は全国で300軒あったというが、現在ではその10分の1。1984年の風営法改正で営業時間が午前0時までに規制されたことが打撃となり、さらにインターネット普及で2次元の世界に走る人が増えたことも客足減に拍車をかけたという。インターネットで調べてみた限りでは、九州で今なお営業を続けているストリップ劇場は北九州市のJR小倉駅前に1軒あるだけだ。
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ケヤキ・庭石事件

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 福岡市中央区の地行中央公園(写真)に植えられている「緑の桜」の品種を確認するため、市の公式サイトに植樹に関する資料がないか調べていたところ、妙なことがわかった。この公園には、かつて市を揺るがした“ケヤキ・庭石事件”のケヤキが植えられていたのである。その数はわずか3本だというが、博多湾人工島を舞台にした事件だと思っていたので、比較的身近な場所にも生き証人があったとは意外だった。もっとも、事件が世を騒がせていた当時の市議会会議録には、地行中央公園のケヤキについてもしっかり記録されており、私が知らなかっただけの話ではあるが。

 “ケヤキ・庭石事件”とは2002年に表沙汰になった一大スキャンダル。構図をごく簡単に説明すると、博多湾人工島の建設に当たっていた市の第三セクター「博多港開発」の社長、元市議ら3人が、利用計画のないケヤキ400本、庭石1万㌧を同社に購入させ、7億7,400万円の損害を与えたというものだ。3人は特別背任罪に問われ、有罪判決が確定した。実刑判決を受け服役した元市議は出所後、再審請求をしており、事件は完全に終わったというわけではない。

 博多港開発へのケヤキの販売価格は1本がなんと100万円。事件発覚当時、3人組は二束三文のケヤキ・庭石を法外な価格で売りつけたように報道され、私自身もそう信じ込んでいたが、ケヤキ1本100万円という価格は適正価格だったらしい。だから3人組は「不必要なものを買わせ、巨額の損害を与えた」という形でしか裁けなかったわけで、最も重い懲役3年の実刑判決を受けた元社長は「会社がケヤキ・庭石をちゃんと利用しさえすれば、何の問題もなかったはずだ」と強く反論、私なんぞは意外に説得力があると思っていた。

 しかし、よくよく考えてみれば、ケヤキ400本はともかく、庭石1万㌧を「ちゃんと利用する」というのは相当難問だ。人工島外周の緑地には異様な程多数の巨石が置かれているが、このぐらいでは到底1万㌧を使いきれず、結局大半を護岸に活用したという。壮大な無駄遣いだが、かと言って、本当に1万㌧の庭石が人工島内にゴロゴロ配置されていたのでは、住民はたまったものではなかっただろう。


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電気カミソリ爆弾殺人

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 現在の宗像市で1973年11月に起きた日の里団地ガス爆発事故について4年前に調べた際(「日の里団地のガス爆発」)、この1973年11月には異常なほど大事件や大事故が相次いだことを知り、驚いたことがある。『警察白書』の「昭和48年中の主なできごと」によると、この月に起きた主だった事件・事故だけでも次の通りだ。

15日 日の里団地でガス爆発、2人死亡・13人重軽傷
17日 大分県九重町で電気カミソリ小包爆弾を使った殺人事件発生
19日 長野県上伊那郡の煙火工場で爆発、4人死亡・2人重傷
22日 北アルプス槍ヶ岳で京都大のパーティーが雪崩に遭い5人死亡
24日 東京・巣鴨の住宅街で化学工場が爆発、3人死亡・12人重軽傷
25日 ベイルートで日本人175人を含む279人が乗ったKLM機がハイジャック    
26日 那覇市のビル建設現場で大規模陥没事故。住宅8棟が全半壊
29日 熊本市の大洋デパートビルで火災。103人死亡の大惨事に

 4年前には気にもとめなかったのだが、17日に起きた電気カミソリ小包爆弾殺人とはかなり物騒な話で、過激派による爆弾テロを思わせる。どんな事件か調べてみたところ、ドロドロした不倫の末の殺人事件とわかり、拍子抜けした。殺害の手口が特異だったものの、事件の構図は何の変哲もないが、「ゲスの極みよりもゲスな」国会議員の不倫が騒がれている時でもあり、せっかくなので簡単に概要を紹介させていただきたい。

 事件が起きたのは1973年11月17日午後6時半頃。採石場に勤める男性(33)が自宅に送られて来た充電式の電気カミソリを居間のコンセントに差し込んだところ、突然大音響とともに爆発、破片が心臓に刺さり男性は即死した。居間には男性の妻(27)と長女(4)もおり、同じこたつに入っていたが、とっさに身を伏せ難を逃れたという。電気カミソリの差出人には女性の名前が書かれていたが、後に架空の人物だとわかった。爆発の凄まじさから、警察は電気カミソリの中に爆薬が仕込まれていた疑いが濃厚として即座に殺人事件として捜査を開始した。

 9日後の26日に逮捕されたのは妻の不倫相手のダンプカー運転手(35)で、こちらも妻子持ち。W不倫を男性に知られ、100万円を要求されたことが殺害の動機で、電気カミソリ爆弾は、自ら爆薬と雷管を仕掛けて作り上げたという。ダンプカーの運転手がなぜ、爆弾を自作するだけの知識、技術を持っていたのか疑問だが、砂利運搬のため採石場に出入するうちに覚えたことになっている。爆薬は知人からもらったという。男性の妻も再三取り調べを受けたが、無関係だったようだ。たまたま無事だったとは言え、事情を知っていたのならば、爆発の際、同じ部屋にいたはずがない。運転手には大分地裁中津支部で75年3月、懲役13年の判決が下っている。

 冒頭書いたように、大事件・大事故が続発していた時だったため、この事件に対する世間的な注目度は高くなかったようだ。当時のテレビ欄をチェックしたが、連日多数のワイドショーが放送されていた時代なのに、この事件を取り上げた番組は見当たらなかった。辛うじて見つかったのが上の『週刊新潮』の広告だ。現代においても、よくある不倫の末の殺人などよりも、「国会議員にも育休を」などと喚いた衆院議員の不倫の方がニュースに違いない。
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渋谷暴動

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 1971年の渋谷暴動で警察官一人を殺害したとして指名手配されている中核派の活動家、大坂正明容疑者のアジトを警視庁が捜索したとの報道が先頃あった。と言ってもネットで記事を読んだだけで、福岡市内で配られている新聞には記事は見当たらなかった。45年前に東京で起きた事件。九州人の興味はひかないと思われたのだろうか。

 渋谷暴動とは1971年11月14日、沖縄返還協定の批准阻止を訴え街頭行動を行っていた過激派の一部が、警戒に当たっていた当時21歳の警察官を襲い、鉄パイプで乱打したうえ火炎瓶を投げつけて殺害したという事件だ。主犯格の男には無期懲役判決が下され、現在も徳島刑務所で服役中。彼は無実を訴え、再審を求め続けているという。

 45年前の事件でありながら大坂容疑者の時効が成立しなかったのは、共犯者一人の公判が精神疾患により止まり、彼の時効も停止していたためだ。そのうえ2010年の刑訴法改正で殺人の時効そのものが撤廃されてしまった。共犯者の精神疾患は大坂容疑者にとっては痛恨事だったことだろう。

 大坂容疑者は現在66歳だが、手配のポスターには20歳代初めの頃の顔写真が掲載されている。このシャープな顔立ちには見覚えがあると思ったら、2014年3月、JR山口駅の掲示板で横山ゆかりさん捜索への協力を呼び掛けるポスターを撮影した際、その横(向かって左側)に貼られていたのが大坂容疑者のポスターだった。しかし、仮に幼馴染であっても45年ぶりに出会ったら、顔を見てわかる自信が私にはない。ましてポスターに掲載された若者時代の顔を参考に、66歳の男を識別するなど普通の人には到底無理だろう。警察側も数年前、中高年となった大坂容疑者の想像図を作り、公開したようではあるが…。

 ちなみに右側は97年8月、山口組最高幹部の宅見組組長らを射殺したとして手配されていた財津晴敏容疑者(現在は受刑者)の手配ポスター。実は彼は2013年6月に逮捕されており、この写真を撮影したのはちょうど無期懲役の一審判決が下された頃だった(その後、無期懲役が確定)。はがし忘れだったのだろう。JR山口駅の掲示板にはこのほかにも多数の手配ポスターが貼られ、日本の未解決凶悪事件の見本市のようだった。福岡ではあんな掲示板は見たことがない。
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大濠公園で木を切った女

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 福岡市中央区の大濠公園で14日午前2時半ごろ、ノコギリでカシの木を切ったとして住所不定、無職の女(64)が器物損壊の疑いで現行犯逮捕された。公園では10月以降、木が切られる被害が相次いでおり、警戒していた警備員が取り押さえたという。散策がてら現場を見てきた。被害に遭った木は計10本ほどに上るらしいが、不思議なことに切り倒されたり、幹や枝が切り落とされたりした木は公園西側の区域に集中していた。

 今回被害に遭ったカシ(写真1枚目)は、切り倒された木に代わって今月新たに植樹されたばかりだったという。他にも植樹から間もないと思われる若木や切り株が周囲には目立ち、この一角だけが少し異質な雰囲気だった。現場は住宅街に面した道路沿い。今回は未明の犯行だったとは言え、周囲2㌔の大濠公園にはもっと人目につきにくい場所が多数ある。なぜ、この場所の木だけが執拗に狙われてきたのか謎だ。これが鉄道沿いなどならば、写真撮影のために邪魔な木を切ったのだろうかと考えるところだが。

 大濠公園では過去、チューリップやヒマワリの花が大量に切り落とされ、騒ぎになったことはあるが、木が無断で切られたのは恐らく、花火大会の会場設営の際、業者が邪魔な枝を切ったケースぐらいだと思う。動機について、女は「若い人たちが木を切るのを見て、切るとどんな気持ちになるのかと思い、切った」(朝日新聞)、「子どもが切っているのを見て、自分も切りたくなった」(西日本新聞)などと述べているという。真に受けるような供述だとは思えないが、かといって動機は皆目見当がつかない。

 女は「住所不定、無職」という点から考えると、恐らく隣の舞鶴公園辺りに住んでいる野宿者ではないかと思われ、最初は住み家を作るための“建材”が欲しかったのではないかと想像した。しかし、西日本新聞記事によると、切り倒された木は現場にそのまま残されていたという。年末年始の寝床や食事を確保するため、微罪で捕まりたかったとも考えられるが、犯行時間が未明という点が引っ掛かる。未明に公園の木を切る無職の女…。動機はともかく、またもや特異な事件で福岡の評判が下がってしまったことだけは確かだ。
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昭和40年代、50歳代は老人だったのか?

 妙なタイトルだが、昭和時代の連続殺人犯、古谷惣吉(ふるたに・そうきち)に関する話である。古谷は1965年(昭和40)、兵庫、福岡、滋賀、京都、大阪の5府県で短期間に8人の男性を殺害し、85年5月、71歳で死刑が執行された。当時、「一人暮らしの貧しい老人ばかり計八人を殺害」(古谷の死刑確定を伝えた78年11月28日の読売新聞夕刊)と報じられ、現在でもウィキペディアなどネット上には「8人の老人を手当たり次第に殺害」などと書かれている。しかし、8人の被害者の年齢を調べてみて“老人”という表現に違和感を持った。50歳代の人が多いのだ。

 古谷の犯行を時系列で挙げると次の通りだ。
<1>神戸市垂水区で廃品回収業のAさん(57歳)を殺害(1965.10.30)
<2>大津市の琵琶湖畔で売店留守番のBさん(59歳)を殺害(11.2)
<3>福岡県新宮町で英語塾講師のCさん(54歳)を殺害(11.22)
<4>京都市伏見区で廃品回収業のDさん(60歳)、Eさん(66歳)を殺害(12.3)
<5>大阪府高槻市でとび職のFさん(55歳)を殺害(12.5)
<6>兵庫県西宮市で廃品回収業のGさん(69歳)、Hさん(51歳)を殺害(12.12)

 最も若い51歳のHさんはじめ50歳代が5人、60歳代が3人。厚労省資料によると、事件が起きた65年当時、日本人男性の平均寿命は67.74歳。80歳を超える現在(最新の2014年統計では80.5歳)に比べ、13年近くも寿命が短かったわけで、当時の50~60歳代が今よりも相対的に高齢と思われていたのは確かだろう。しかし、実際に何歳ぐらいからが高齢者とされていたのだろうか。

 内閣府の平成18年版『高齢社会白書』に参考になる記述がある。「昭和30年当時は、平均寿命が、男性が63.60歳、女性が67.75歳であり、おおむね平均寿命を超えた人が高齢者と呼ばれていた」と書かれている。昭和30年は古谷の事件よりも10年前で、平均寿命はさらに短かった時代だが、この頃でも50歳代は高齢者扱いはされていなかったわけだ。また、事件が起きた年に行われた国勢調査以降、65歳以上を老年人口と規定している。60歳代の被害者はともかく、50歳代まで老人呼ばわりするのは、どう考えても無理があった気がする。まして古谷本人も事件当時は51歳なのだが、彼については一切老人扱いされていないのだ。

 古谷は身長165㌢。大正生まれとしては比較的大男の部類で、力も強かったらしい。一方、被害者の職業の多くが“廃品回収業”だったことでわかるように、いわゆる社会的弱者だった。当時の報道は、古谷の冷酷、残忍さを際立たせるため、あえて被害者全てをひとくくりにし、“か弱い老人”ばかりを狙ったことにしたのではないだろうか。なお、「一人暮らしの貧しい老人ばかり」という記述には明確な間違いがあり、全く当てはまらない被害者が一人いる。<3>事件の被害者、英語塾講師のCさんは一軒家に家族と暮らしており、彼の遺体を発見したのは帰宅した妻だった。

 時系列では3番目の事件だが、Cさん殺害がきっかけとなって連続殺人事件であることが明るみに出た。Cさん宅にAさんの名前が書かれたスボンが残されており、Aさんを容疑者と睨んだ福岡県警の捜査員が神戸に出向いたところ、半ばミイラ化したAさんの遺体を見つけたのだ。直後に「広域手配一〇五号事件」として捜査が始まり、残された指紋等から古谷が容疑者であることが判明。<6>の事件直後、古谷はパトロール中の警察官によって現場で身柄を確保された。

 この前年の1964年、古谷と同様に連続殺人犯として知られる西口彰が逮捕されている。西口事件は、先頃亡くなった作家、佐木隆三さんの代表作『復讐するは我にあり』のモデルとしても有名だが、佐木さんは古谷の事件に関しても『巡礼いそぎ旅』という短いルポを残している。事件の概要などは『犯罪の昭和史―読本(3)現代』(作品社、1984)に収録されたこの作品を参考にさせていただいた。
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開いていた福岡タワーの窓

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 7月27日夕、福岡市早良区百道浜を散歩していて福岡タワーの窓が開いているのに気付いた。「換気でもしているだろうか」と思い、別に気に留めることもなく通り過ぎようとしたが、これが通常の光景ではないことに思いが至った。何年も見続けてきた福岡タワーだが、恥ずかしながら壁面に開く窓があることを初めて知った。

 このタワーの北側駐車場で5月11日夜、男子高校生の遺体が見つかり、タワーから転落したものと思われた。しかし、タワーの壁面はほとんどはガラス張り。北側にある非常階段だけは鉄枠で囲われているが、ここも隙間は最大14.5㌢と高校生がすり抜けられるサイズではない。“謎の転落死”としてスポーツ新聞などで大々的に報道されたが、開く窓があるのならば、謎でもなんでもなくなる。

 窓は下部が外側に向かって開く仕組みで、写真1枚目が北側の上層部、2枚目が低層部。北側の低層部だけで20枚もの窓があり、鉄枠の隙間とは比較にならない程大きく開いている。

 だからと言って、高校生がここから転落したと断定するつもりはないが、発生当時、この窓にスポットが当たらなかったことが不思議で仕方がない。あくまでも私が見聞きした範囲内の話だが、この開く窓について取り上げた報道はなかった。警察の捜査により、ここからの転落の可能性は否定されているのかもしれないが、それならそれで言及があって然るべきだと思う。なぜ、存在自体が無視されたのだろうか。
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