デジハリから語学留学......学び直しを実践
CGW:その後、カプコンを退職してアリカに移られた後、フリーランスの2D&3Dアーティストとして活躍されていきます。当時、将来のキャリアについて、どのように感じられていましたか?
西谷:正直なところ、仕事がハードすぎて体調を崩してしまいました。入院したのを機に会社員であることを辞めて、自分のペースでゆっくりと仕事をしたいと思うようになりました。カプコンとアリカを通して、今まで貯めてきたものを出し切ってしまった感もあり、もっと新しい知識をインプットしたいという気持ちもありましたね。
また、学生時代に抱いた「3DCGの映像をつくりたい!」という夢がまだくすぶっていたこともあり、そちらの方に軌道修正したいと感じるようになりました。
CGW:2004年にデジタルハリウッドに進まれたのも、そういった理由からでしょうか?
西谷:軌道修正を考えていた矢先に、自分の人生を変えるような映画に出会ったことが直接のキッカケです。その映画とは『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)で、ストーリー、世界観、戦闘シーン、オークなどのCGやVFXと、全てにおいて最高で、これこそ自分が求めていた世界だと感じました。劇場で見たのは3部作のうち2作でしたが、合計で21回も映画館に通いました。
映画を見るだけでは飽き足らず、ニュージーランドのウェリントンにあるレッドカーペットも見に行きましたし、ロンドンでエキシビションが開催されたときも、わざわざ現地に行って連日、1週間くらい通っていました。
そんなとき、ふと「自分の心をこんなにも動かした作品をつくった会社に入ってみたい!」、「今度は自分が夢を与える側になりたい!」と思うようになったんです。映画制作について教えてくれる学校を探し、デジタルハリウッド(以下、デジハリ)の本科CG/VFX専攻の1年コースを見つけ、特待生として入学しました。
CGW:特待生になると、どのようなメリットがあったのでしょうか?
西谷:すでにクリエイティブ業界での実務経験をもっている人が対象で、選抜試験に合格すると授業料の補助が受けられる制度でした。学年で2名だけの狭い門でしたが、ここでも努力の甲斐があって、無事選ばれることができました。
CGW:デジハリではどのようなことを学びましたか?
西谷:映像制作の基礎知識やストーリーボードの作成法からはじまり、MayaやAfter Effectsの操作法などを学びました。会社ではSoftimageを使っていたので、全てが新しいツールでしたが、基本的な考え方は同じだったので、わりとスムーズに覚えられました。中間制作でも卒業制作でも賞をいただき、特待生としての面目が果たせたと思います。
CGW:デジハリ卒業後、ニュージーランドのオークランドにある大学、Media Design Schoolに留学されましたが、これはどういった理由からでしょうか? また、そこで何を学ばれましたか?
西谷:デジハリに在学中、SIGGRAPHに参加したことがきっかけでした。そこで学校がブース出展していました。『ロード・オブ・ザ・リング』でもVFXを担当していたWeta Digitalと深いつながりがあり、優秀な生徒は推薦してくれるとのことでした。
それならば「推薦してもらえるようにがんばろう!」と思ったのですが、語学力に難がありました。そのときも「CGクリエイターとしてのスキルだけでなく、実際に仕事をする上では語学力が求められる」と指摘されて、その通りだなと思ったんです。
当時、私の語学力は中学生レベルでした。これを大学入学レベルまで引き上げるため、イギリスに語学留学しました。ただ、残念ながら入学に必要なIELTS(※)のスコアに到達できませんでした。しかし、夢を諦めきれずにニュージーランドに再留学し、IELTS6.5を取得できました。こうして、2009年に晴れて入学を果たしました。
※IELTS:International English Language Testing Systemの略。聞く、読む、書く、話すの4つの英語力の試験を行い、それぞれ0から9までの熟練度が計られる。入学に必要なスコアは教育機関によって異なる
CGW:Media Design Schoolの授業はいかがでしたか?
西谷:デジハリも実践的な授業を行なっていましたが、Media Design Schoolはさらにその上を行っていました。最大のちがいは産学連携の密度で、Weta Digitalからも数名講師がいらっしゃいました。学校側としても、下手な学生を推薦するわけにはいきませんからね。かなり実戦的な映像制作のノウハウを学びました。
具体的には1年目でMaya、After Effectなどのオペレーションと、カメラワークなど映像制作の基礎知識を学び、卒業制作ではキャラクターモデルを制作しました。ここで「HIGHLY COMMENDED IN MODELING」という、一番モデリングが上手い人に与えられる賞をいただけました。
Media Design School 初年次での卒業(修了)記念写真(左端)
西谷:2年目は、Mudbox、NUKE、Premiereなど、より先鋭的なツールの学習を行うとともに、フルCGの映像作品を1本制作しました。他に実写と合成したVFX作品もつくりました。撮影から立ち会うことで、現場での実践的な作業を学べましたね。卒業制作では 『Rotting Hill』というショートムービーを制作し、米LAのフィルムフェスティバルで1位を取り、無事にWeta Digitalへの推薦を得ることができました。
『Rotting Hill』制作チーム(前列中央)
Rotting Hill from Media Design School on Vimeo.
CGW:ついに夢が叶ったわけですね。
西谷:ところが、せっかく推薦をいただいたのにも関わらず、身内の不幸で急遽日本に帰ることになりました。そこで一時滞在中、不慮の事故で腰の骨を折ってしまったのです。病院に長期入院することになり、推薦のチャンスを逃してしまいました。
しかも一時帰国中にニュージーランドの法律が変わってしまい、映像業界で3年以上の実務経験をもっているか、永住権をもっている人だけしか、Weta Digitalに応募できなくなりました。
CGW:それは......何ともいえない話ですね。
西谷:すでにデジハリに通って、語学留学をして、Media Design Schoolで学んでと、少なくない費用と時間を投資していました。そのため、このまま諦めきれるものではありませんでした。幸い学校を卒業後に、現地で1年間の就労ビザがもらえたので、まずは永住権を取ろうと考えました。そこでポートフォリオとCV(=Curriculum Vitae、履歴書)をつくり、ニュージーランドの会社に応募しました。
その時点で就労ビザが残り2ヵ月だったのですが、すぐにGameloftのオークランドスタジオ(当時)からオファーをいただきました。ボスがマーベルのファンだったこともあり、過去のキャリアに感謝しました。 2012年のことです。
NZで感じた日本と海外での働き方のちがい
CGW:その後、Gameloft、Outsmart Games、Weta Digitalとニュージーランドでキャリアを重ねられましたが、どういった経緯だったのでしょうか?
西谷:Gameloftではスマートフォン向けのゲームでアーティストを務めました。非常に働きやすく、今から思えば恵まれた環境でしたが、残念ながら2年で契約が終了となり、更新できませんでした。その後、2016年にスタジオが閉鎖されてしまったので、その布石だったのかもしれません。
ただ、Gameloft時代の知り合いから紹介してもらい、2週間後にOutsmart Gamesで雇用していただきました。モバイルゲーム専門のゲームスタジオでしたが、こちらも現在はクローズしています。
CGW:日本との業務や働き方のちがいなどについて感じられた点があれば教えてください。
西谷:ニュージーランドのゲーム業界は総じてリラックスした働き方でした。
Gameloft時代(前列左から4人目)。ニュージーランド首相がスタジオ視察に来た際の記念写真
Gameloft時代、ホテルを借り切ってクリスマスパーティをしたときのスナップ
Outsmart Games時代のスナップ(右列一番手前)
西谷:ランチタイムにビーチに行って皆で泳いだり、金曜日はビアタイムがあり、皆でお酒を飲みつつ楽しくお喋りしていました。8時間以上働く人はほぼいませんでしたし、フレックス制だったので、朝7時くらいに会社に来て午後3時くらいに退社している人もいました。
みな、仕事より家庭を大事にしており、私のボスも、仕事が忙しいときでも「妻が誕生日だから」と早く退社したりしていました。プライベートを大事にすることで、人生がとても豊かに、楽しくなるんだとわかりました。
業務的には、どの会社もとても社員教育がしっかりしていて、質問することで嫌な顔をする人は誰もいませんでした。英語のレッスンやヨガなど、社内のアクティビティも充実していました。
わからないことがあったとき、自分で検索して2~3時間もかけるくらいなら、同僚に聞いて5分で解決した方がよっぽど効率的だと考えられていました。とても理にかなっていると思いました。
ボスも優しかったですし、私が早く帰らなくてはならないときは、「君のフォローは僕がやっといてあげるから心配しなくていいよ」と言って、仕事のサポートをしてくれました。本当に働きやすかったです。今思うと最高の仕事環境でした。
CGW:2016年には念願叶ってWeta Digitalでも働かれましたね。
西谷:夢が叶った瞬間でした。
Weta Digitalの社員証
西谷:Weta Digitalではライティングのアシスタント・テクニカルディレクターとして採用されました。他の会社ではわかりませんが、Weta Digitalではライティングがアーティストの登竜門となっていました。プロダクトの最終工程に近く、全てのアセットが集約されるため、全体を俯瞰して見やすいポジションだからです。
情報ライブラリがしっかりしているし、私の部署ではバディ(=メンター)システムが採り入れられており、何かつまずいたりしたときは、先輩のバディにチャットで質問したらすぐに答えてくれたり、自席まで赴いて説明してくれたりと、いろいろ積極的に助けてくれました。
社内で手がけている全ての映像作品の進捗状況も、全社的に共有されていました。社内の試写室で内容を紹介するときも、お酒を片手にジョーク交じりで行われ、とても楽しかったです。
海外の会社で働いて、リラックスしながら楽しんで仕事をするというのはこういうことなのだと実感しました。仕事のために生きているというより、仕事はあくまでも人生の一部であって、家族や友人との時間がとても大切にされていました。
Weta Digitalでのスナップ(前列右から2番目)
CGW:ただ、Weta Digitalでは2ヶ月で契約が終了となってしまいます。
西谷:残念ながら契約を更新できませんでしたが、自分の中でも気持ちの変化がありました。Weta Digitalで働くという夢が叶ってしまったことで、それまで張り詰めていたものが途切れてしまったのかもしれません。
実際、日本で働きたいという思いが次第に強くなっていきました。他のニュージーランドの企業に移るという考え方もありましたが、契約終了に合わせて帰国することにしました。