『日本国紀』読書ノート(66) | こはにわ歴史堂のブログ

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66】江戸時代の治安がよい、というのはイメージである。

 

「驚くのは、江戸時代の治安の良さだ。強盗や山族はほとんどおらず、京都から江戸まで女性が一人旅できた。同時代のヨーロッパでは考えられないことである。」(P191)

「…まず驚き知るのは、当時の日本の津々浦々の治安がいかに良かったか、市井の人々がいかに暢気な優しさを備えていたかである。」(P192)

 

以前に江戸の犯罪事情を説明しましたから、そのあたりは添付しておきますので、またご確認ください。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12430631616.html

 

さて、江戸の人々は「内済」とって、現在でいうところの「示談」で多くの犯罪を共同体の中で解決しています。

とくに裁判になることをすごく恐れていました。

長屋の一人が奉行所にしょっぴかれようものなら、大家はもちろん、隣近所の者まで取り調べをうけ、事件によっては「連座」をまぬかれません。(『江戸の訴訟』高橋敏・岩波書店より)

 

「与力の付け届け三千両」という言葉があります。

江戸の町奉行所の与力や同心は、時代劇に出てくるような貧乏な者はおらず、茶屋や料亭での豪遊など、収入以上の「羽振りの良さ」でした。理由はかんたんで、有力な寺社、大名・旗本が、自分たちの身内や藩士が犯した(犯すであろう)罪をもみ消してもらえるように「付け届け」をおこなっていたからです。

「役人の子はよくにぎにぎ(賄賂)をおぼえ」という川柳も残されています。

 

さて、街道の整備の話がされ、コラムには「犬のお伊勢参り」の話が紹介されています(P191~192)。

むろんこれは18世紀後半以後の話。それ以前は、日本でもイヌが食用にされていましたから、イヌがウロウロしていたら確実に捕まえられて食われていました。

しかし、18世紀後半からはとくに治安が悪化していきます。

老中松平定信の「寛政の改革」の時、「鬼平」で有名な長谷川平蔵(ちなみに実在の人物です)の進言で「人足寄場」が設置され、失業による浮浪者、犯罪者の更生を図る施設ができました。

また、長谷川平蔵は「火付け盗賊改め」という役職にあり、凶悪犯罪専門の組織を担当しています。凶悪犯罪が増えていた証拠ですよね。

19世紀の初めには、江戸周辺の治安はさらに悪化しました。

これは産業の発達、農村社会の変化と深い関係があり、豪農・地主が力をつける一方、土地を失う百姓も多く発生して荒廃地域が増えていきます。無宿人・博徒らによる治安の悪化はひどく、幕府は「関東取締出役」(八州見回り役)を設けて、領主の区別なく逮捕ができる制度をつくりました。

 

一方で、有力な寺社では、とにかく「集客」のために修繕費や経営費を得るために、境内で縁日や御開帳、富み突きなどを催しました。

湯治や物見遊山など、庶民の旅も広がっていきます。

各地に名所が生まれ、民衆の旅が一般化すると、錦絵の風景画が流行し、葛飾北斎や歌川広重らの絵が描かれる背景となりました。

寺社がスポンサーとなって旅や名所の絵を絵師に描かせて、「宣伝」に利用する、という現代と代わらない「広告戦略」も生まれました。

日本最初の(ひょっとすると世界初の)「ツアー・ガイド」も生まれています。

「御師」がそれです。

これは、特定の寺院に属して、その寺社への参詣を促し、江戸時代には、なんと参拝案内だけでなく、宿泊の手配から宴会の世話までするようになりました。

お伊勢参りは、彼らによるプロデュースによって一大ブームを引き起こしました。様々な宣伝企画が行われました。司馬遼太郎は、「犬の伊勢参り」を御師による「企画」であってフィクションにすぎないと断言しています。

しかし、私は「犬のお伊勢参り」を、完全には否定しません。現代でも、若者が自転車に乗って一人旅、みたいな企画をテレビ番組がやりますよね。

それと同じで、「犬もお参りするよ!」「犬の参拝を見た!」などの見聞を集めて「案内」し、それに枝葉がついてできたお話だと思っています。企画CM的なものもあったでしょうし、ほんとうに犬が参詣した場合もあったと思います。

この話は、ヒトとイヌの長い歴史を通じて、特別な愛玩動物である犬が社会の中でヒトとどう交流し、どんな関係を築いたかを示した例であって(『犬の伊勢参り』仁科邦男・平凡社新書)、これをもって治安の良さの例には実はなりません。めずらしい話だからこそ記録にも残って話題となったのです。

「こっちおいでとカネをとり」というイヌの首につけられていた路銀を盗む話も同時に残っています。

治安も悪い、しかしそんな中でも活力をもって生き抜くしたたかな庶民の姿、そういう善悪道徳不道徳のるつぼが江戸時代の庶民の姿で彼らの歴史です。

プラス・マイナス、ありのままに描く、というのが庶民の通史でないといけないと思います。