「豪商の出現」(P189~P190)のところで、三井高利の話が紹介されています。
唐突に「財閥解体」に話が飛ぶのですが…
「三井一族は明治維新後、世界有数の大財閥となった。しかし大東亜戦争後、進駐軍によって解体され、二百七十三年の歴史に幕が下ろされた。三井一族は全財産の九割を財産税で没収された上、私産の大部分を占める株式を一方的に処分された。」
これは何と言ってよいか…
財閥は、進駐軍によって解体されたのではありません。非常に誤解をまねく表現です。
進駐軍あるいはGHQは一方的な処分をしていません。
まず財閥解体は、GHQが命令を下して解散させたものではなく、「日本の手による解体」を促したものです。
これはGHQ全体の政策にみられる統治形式で、いわゆる間接統治というものです。
財閥解体については、他の改革とは少し、特徴的な展開を見せます。
政府は財閥解体に消極的な姿勢を示しますが、三井財閥側から、GHQの対日方針第4章B項を受けての「三井」の解体論を出したのです。また「安田」は具体的に三つの方針を示します。
①安田一族の役員辞任
②安田の解散
③株式の公開
財閥側からの動きが先で政府が後、なんです。
そして、そこでアメリカが日本の自主的な解体に期待するが、うまくいかない場合は積極的関与することを表明します。
そうして、政府は「安田3項」を叩き台にして、4財閥と協議を進め、これをもとに財閥解体案をマッカーサーに提案します。
「農地改革」のときは、かなり積極的にGHQは介入し、やりなおしを命じますが、「財閥解体」は、ほぼ政府提案のまま実行にうつされたのです。
第1次指定、第2次指定と進み、第3次指定の段階で、三井物産・三菱商事の傘下の企業の指定を外そうとして、GHQに対してロビー活動をおこないましたが、これがかえって反発を受け、この2社はさらに厳しい整理措置を要求されてしまうことになります。
後に(P410)で、「占領政策は狡猾で、表向きはGHQの指令・勧告によって日本政府が政治を行なう間接統治の形式をとったが,重要な事項に関する権限はほとんど与えなかった。」と説明していますが、農地改革などはむしろ表面的に済ませようとしてやり直しを命じられたり、財閥解体もロビー活動をおこなったりして進展をくいとめようとしています。GHQが狡猾であった、とは一方的には言えません。
「農地改革」と「財閥解体」は、「立ち直れないほど大きなダメージを蒙った」(P410)日本を立て直し、後の経済成長の礎となった政策であることは明確です。
「日本人を打ちのめしたのは、敗戦ではなく、その後になされた占領だった」(P408)のではなく、「打ちのめされた日本人が、もう一度立ち上がる準備ができたのが占領だった」と、すくなくとも「経済」に関しては明確に言えると思います。