『日本国紀』読書ノート(63) | こはにわ歴史堂のブログ

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63】江戸時代の身分制度は、やっぱりあまりフレキシブルではない。

 

江戸時代の研究は2000年代以降、かなりの成果が出てきて、1960年代の学校教育とは大きく乖離しています。

『日本国紀』での百田氏の記述は、ものすごく「落差」があります。

ある部分は、戦後の歴史教育での説明のまま、ある部分は80年代、そしてある部分は最新の、と、新旧のパッチワークのようです。

江戸時代の身分制度のお話は、たいへん「新しい」ものです。

 

現在、「士農工商」は教科書から消えつつあります。

 

教科書からの「消え方」は三通りで、

 

①小・中・高、一斉に消える場合

②高→中→小、と上から下へ消えていく場合

③小→中→高、と下から上へ消えていく場合

 

ということになります。

①は、誤っていたことが明白となった場合です。

②③は、新しい研究でわかったことで、子どもの発達段階・理解度から考えて、まず小学校から変えていく、か、高校から変えていく、か、ということになります。

③の場合は、小学校で習ったことと違う、中学校で習ったことと違う、となっていく場合です。

人名の表記などは②のケースが多いですね。「ルーズベルト」は高校生では「ローズヴェルト」と表記されています。「リンカーン」も「リンカン」になっています。

「聖徳太子」も、小学校では「聖徳太子」ですが、高校生では「厩戸王」です。

まずは高校生から変えてだんだん下におりていく…

「鎖国」「士農工商」「慶安の御触書」などなど、ある段階で消えてしまいました。

 

「士農工商」は小学校の教科書から消え、中学で消え、高校で消えつつあります。

ただ、正確には「教え方」が変わっているんですよね。

古代インドのヴァルナのように(カースト制のように)、「士」「農」「工」「商」というように上からの階級を示すものではない、という説明になりました。

百田氏の指摘通り「士」と「農工商」の身分差があるだけです。

ただ、ここからが実は「振り子」で、

 

「このように江戸の身分制度はきわめてフレキシブルであり、部分的にはある意味、近代的な感覚を備えたものだ。」(P175)

 

というようにいったんは振りましたが、現在はまた、少し戻すようになっています。

やっぱり、江戸時代二百六十余年は、なかなかに厳しい身分の差がありました。

元禄文化の近松門左衛門の「心中物」があれほど売れたのは、やはり人々の日々の生活の中で感じる封建的身分制度アルアルを「共感」したからでしょう。

化政文化で、大名を上から見下ろすハリボテの「浮世絵」(歌川国芳・『朝比奈小人嶋遊』)や権力を揶揄し皮肉る狂歌や川柳が庶民のうさばらしになるのは、やっぱり人々が超えられない身分制度や封建制度があったからです。

身分の売買や苗字・帯刀の買収は、江戸時代後期・幕末に一部みられた現象です。

 

徳川吉宗の「享保の改革」は、18世紀の政治ですが、えた・非人などに関する封建身分の再編強化が進んだ時代です。『公事方御定書』に「切り捨て御免」が成文化されたのもこれが背景なのですが…

 

「実際には町人を斬り殺して処罰を免れる例は少なく…」(P175)

 

これは、私も授業では説明します。ただ、江戸の町奉行所の記録上、ということで、地方の大名領では別でした。

後でも指摘させてもらいますが、「江戸」などの大都市の生活・出来事だけで江戸時代全体を説明してしまうと誤解されてしまいます。

 

以前に、ビジネスジャーナルさんの依頼で『日本国紀』の書評を書かせてもらったときに、「通史」のポイントを五つあげましたが、そのうちの一つが、

 

「全体」で「一つ」を疎かにしない。

「一つ」で「全体」を語らない。

 

です。

江戸時代の説明は、いろんな条件を付帯して慎重に説明しないといけません。