教科書に書かれていて『日本国紀』に書かれていない日本史… て、何でしょうか。
けっこういろいろ抜け落ちているのですが、江戸時代ではまず、「禁教政策」がほとんど書かれていません。
「鎖国」の目的の二つの大きな柱の一つ、キリスト教の禁止、がたいへん希薄です。
鎖国の目的は、「一国平和主義」という術語(当時ありもしない概念)が目的ではなく、キリスト教の禁止と幕府による貿易独占にありました。
寺請制度、宗門改め、そして寺檀制度にふれなければ、現在の日本の文化や慣習の話、さらには明治の廃仏毀釈などの話につながらないように思います。世界遺産の指定された「潜伏キリシタン」などもこれでは素通りになってしまいます。
あれだけたくさんの宣教師のお話を紹介されているのに、サン=フェリペ号事件の話はあるのに、元和の大殉教の話など、キリシタンの弾圧の話、「絵踏」の話が出てこないのはなぜだったんでしょう。
初期の外交の説明も、たくさん抜けているところです。
糸割符制度の話は、ポルトガルの生糸独占を打破することを目的としたもので、江戸幕府の初期外交・姿勢をよく示した例なのですが…
朝鮮出兵後の朝鮮との国交回復の話も出てきません。
「徳川の平和」は、内戦の平定だけではなく、東アジア諸国との平和外交によって実現したものです。
己酉約条、そして朝鮮通信使の話も出てきません。
これがネタフリになっているからこそ、新井白石の朝鮮通信使接待の簡素化、「易地聘礼」の話、さらに後の明治になって中国(清)と対等条約を結ぶ日清修好条規や、江華島事件を契機に締結された日本に有利な対外不平等条約の日朝修好条規の話が活きてきます。
東アジアにおける日本の国際的地位を高める動きを段階的に説明できる機会なのにこれを百田氏が逃しているのも不思議な感じがします。
蝦夷と琉球の話もかなり希薄です。
現在の教科書は「日本の歴史」という視点をたいへん重視している書き方をするようになりました。
そのため、二つのポイントがあります。
一つは「中央の歴史だけでなく地方の歴史もしっかりと捉える」ということ。
あたりまえですよね。「日本の歴史」なのですから。
上方や江戸の文化だけを紹介するのではなく、その時の地方の文化を紹介する。
もう一つは、「蝦夷の歴史」も「琉球の歴史」も「日本の歴史」である、という視点です。
続縄文文化、貝塚文化の話などから教科書は始まり、中世の蝦夷・琉球の話も教科書はかなり細かく描くようになっています。
江戸時代で言えば、「シャクシャインの戦い」、「慶賀使・謝恩使」の話も紹介してほしかったところです。
帯には「私たちは何者なのか」と問いかけていますが、『日本国紀』よりも現在の教科書のほうが、より多くの人々を「私たち」の中に含んでいると思います。
それからもう一つ。
「江戸時代においては政治の表舞台にまったく登場しなかった『天皇』だが…」(P230)
と説明されていますが、現在の教科書は、しっかりと江戸時代の「天皇」の存在を評価し、幕末にむけてのネタフリをちゃんとしているのです。
むしろ『日本国紀』における各時代の「天皇」が、現在の教科書よりも「低い」評価になっているところが散見されます。
この点はまた改めて詳しく…