陸上で生きる動物と違って、魚が生きている場所は、冷たい水の中。このことを意識することが魚料理を上達させるための第一歩です。
肉を常温で放置していてもすぐに腐ることはありませんが、魚はすぐに駄目になってしまいます。一体、なにが違うのでしょうか?
一般的な動物の体内の酵素や細菌は体温と同じくらいの温度でよく働き、5℃以下(冷蔵庫の中)ではかなり鈍くなります。
しかし、冷たい水の中で生きている魚の酵素や細菌は低温でも平気です。冷蔵庫の2℃〜6℃という温度は、海の中と同じ温度なので酵素は働き続けます。肉は冷蔵庫で保存すれば1週間以上、日持ちするのですが、魚を冷蔵庫に入れても数日が限度なのはそのため。魚の身を氷の温度で保存すればその反応を遅らせることができますが、止めることはできません。だから、魚は鮮度が重要なのです。
鮮度が落ちた魚は匂いが気になります。釣りをする方ならおわかりかと思いますが、じつは釣ったばかりの魚はまったく臭わず、草のような香りすらします。いわゆる魚臭さは、酵素が起こす化学反応によって生じるものだからです。魚が死んだあとも酵素反応は進み、魚の身にその産物(主にトリメチルアミンという有機化合物)が代謝されずにたまっていきます。これが生臭みの原因。
解決策は、酵素に分解されてしまうより早く食べることです。幸いなことに日本の流通は進化し、スーパーでも新鮮な魚が手に入るようになりました。それでも魚の匂いが気になるという場合には、いくつかの対策があります。
一つ目は冷水で表面を洗うことです。これは表面に増えた細菌とトリメチルアミンを物理的に洗い流す方法。ただし、トリメチルアミンは筋肉の中にも増えるので、表面を洗うだけでは除去しきれない場合もあります。
二つ目は調理前に牛乳につけるという手法。これはフランス料理で魚のムニエルをつくるときの定番の下処理で、牛乳に含まれるカゼインというタンパク質がトリメチルアミンをマスキング(覆い隠し)し、揮発を抑えます。ただし、消すのではなく抑えるだけなので、もちろん限度があります。
三つ目は酸で中和すること。トリメチルアミンはアルカリ性なので、酸性のものを加えれば中和することができます。ホタテ貝に匂いがある場合はレモン汁を加えた冷水で洗うとおいしく食べられますし、焼き魚にレモンやすだちが添えられているのも同様の理由です。
無重力状態の海の中で生きる魚は陸上の動物と違って、体重を支えるための筋肉が発達していません。だから、動物の肉はよほど丈夫な歯を持っていない限り生で食べられませんが、魚の肉はやわらかく、お刺身や寿司という形でおいしく食べることができます。
魚の骨が薄く軽いのも、重力がない水の中では身体を支える必要がないからです。肉と骨のあいだの結合組織もほとんどないので、肉を調理するよりも短時間で料理することができます。「鮭は馬の鼻息で火が通る」という言葉があるほど、火が通るのが早いことに注意しましょう。人間は40℃〜45℃くらいの熱いお風呂につかっても平気ですが、冷たい水の中で生きている魚のタンパク質はこの温度から固まりはじめるので、魚に火を通す場合にはちょっとだけ注意が必要です。
魚は低温で加熱すると身が崩れてしまいます。これは魚のタンパク質に含まれるタンパク質分解酵素によるもので、調理中の温度上昇にともない活性が強まるので、身がぐずぐずになってしまうのです。特にタンパク質分解酵素の活性が高いイワシやエビ、ニシンやサバ、タラなどはすばやく加熱して食卓に出しましょう。
鮮度が命の魚は、温度管理に注意せよ お刺身
まず、ご紹介する魚料理はお刺身です。現代ではスーパーでパック入りのお刺身が売っているので、魚を一からおろす必要はありません。とはいえ、買ってくるだけでも、気をつけるべきポイントがあります。
購入する際には鮮度のいい魚を選ぶこと。お刺身用のパックの底に組織液がたまっているものはNG。見た目がおいしそうで、角の立ったものを選びます。
次にカゴに入れるのは、買い物の最後にしてください。魚は常温でも鮮度が落ちていくので、常に冷やしておく必要があるからです。
もしも、スーパーに持ち帰れる氷があればもらいましょう。ビニール袋に詰めた氷をパックに当てて、移動中も低温を保つようにしてください。そして、家に帰ったらすぐに冷蔵庫のチルド室で保存。チルド室がない場合は冷蔵庫の一番下に置くようにします。冷気は下にたまるので、温度が安定しています。
あとは食べる直前にパックからお刺身をとりだし、きれいなお皿に盛り付けるだけ。わさびと醤油を添えて、食卓に出しましょう。お酒とあわせる時は醤油ではなく、塩とわさびで食べるのもいいでしょう。
料理とは自然の産物に人の手を介在させること。パックからお皿に移し替えるだけでも立派な料理です。
できるだけ短時間で調理することがポイント 魚の塩焼き
2.小さじ1の植物油を引いたフライパンに魚の切り身の皮目を下になるように入れ、中火にかける。皮つきの魚の場合、はじめにフライ返しなどで抑えると反り返りを防げる。
3.身が反らなくなったら火を弱火に落とし、じっくりと焼く。焦げ目がついたら裏返して火を止め、あとは余熱で火を通す(目安は1分間)。お皿に盛り付け、好みでレモンやすだちなどを絞り、大根おろしを添える。
使う魚はスーパーで切り身として売られている魚を使えばいいでしょう。具体的には鮭、スズキ、サワラ、鯛、サバなどです。
魚の筋肉は哺乳類の筋肉とは違って、短い繊維(筋節)が薄い膜で仕切られているだけなので、何度も触ったりすると崩れてしまいます。そこで、焼いている最中はあまり触らないようにしましょう。
肉よりもずっと早く火が通るので加熱のしすぎには注意が必要です。魚料理のポイントはできるだけ短時間で調理すること。皮目の脂の酸化も臭みの原因になりますが、短時間で調理すれば臭みも出ません。
肉料理の場合の目標温度は60℃でしたが、魚のタンパク質はそれよりもずっと低く、40℃くらいから凝固(卵の白身に火を入れると白く固まりますね? それが凝固です)がはじまり、50℃で収縮がはじまり、60℃前後で完全に縮まります。
70℃ではパサパサになってしまうので、塩焼きの場合は一度だけ裏返して、あとは余熱で調理するのがおすすめ。はじめの短い時間だけ高温にして焼き目をつけ、表面を殺菌し、その後はじっくりと加熱するのです。
火が通っているかどうかは竹串や楊枝を刺してみて、身の端がフレーク状にほぐれたかどうかで確かめます。
魚の切り身に皮がついている場合はフライ返しなどを使って切り身を持ち上げて、皮目をよく焼くようにすると、皮もおいしく食べることができます。
今回はフライパンで焼きましたが、魚焼きグリルを使うこともできます。また、切り身は焦げやすいので小麦粉を振り、多めの油やバターで焼くのもいい方法です。小麦粉が衣になることで魚の身に間接的に火が入り、しっとり仕上がり、小麦粉が魚の水分を吸収し、表面にとどまるので、うま味も強く感じます。また、小麦粉がこんがりとした焦げ目になり、香ばしい風味を生みます。
ポイントは小麦粉をまぶしたらすぐに焼くこと。放っておくと小麦粉が水を吸ってベトベトになり、焼き色がつきづらくなります。
ところではじめに塩を振って、時間を置くのはなぜでしょうか。魚に塩が浸透すると、タンパク質の一部が溶けて、粘りのある塊となります。いってみればプリッとしたかまぼこの状態です。表面に弾性が出るので、裏返すときに崩れにくくなりますし、水分を多く保つようになるので焼き上がりがしっとりします。
煮汁を少量にして、加熱時間を短く サワラの生姜煮
2.沸いてきたらそのまま5分煮る。切り身をとりだして、煮汁をさらに煮詰める。
3.照りが出て、煮汁にとろみがついたら、それを切り身にかければできあがり。
魚の煮付けは簡単なので魚料理初心者にもおすすめの料理です。今回はサワラを使いましたが、サバでもおいしくつくれます。
魚の煮付けをつくる際、料理書には『必ず沸騰した煮汁に魚を入れる』と書かれています。はじめに表面のタンパク質を凝固させて魚のうま味が逃げないように、という意図があったようですが、必ずしも煮汁が沸騰してから入れる必要はありません。表面のタンパク質を固めても、うま味成分の流出は防げないからです。むしろ、熱い煮汁に魚を入れると急激に熱が加わることで皮が破れるなどのデメリットもあります。
ただし、10人前をつくるという場合なら話は別です。煮汁の量が多いと沸騰するまでに時間がかかり、そのあいだに魚の身が傷んでしまいます。沸騰した煮汁に魚の切り身を加えるよう料理書に書かれている理由は、大家族で一度につくる量が多かった時代の名残かもしれません。
魚の煮付けは少量の煮汁を使うことで、加熱を短時間に済ませます。目安は肉の厚みの2/3程度。煮汁が少ないと味が全体にまわらないので、登場するのが昔ながらの落し蓋です。
落し蓋を使うと煮汁を蒸発させつつ、上にまわせるので効率よく加熱できます。木の落し蓋を使ってもいいのですが、魚の匂いがつくのでアルミホイルを使うのが簡単でしょう。
ちなみに野菜を煮るときには半紙を落し蓋に使うこともありますが、魚の場合には用いられません。加熱をすることで皮のコラーゲンがゼラチンに変わるのですが、そのとき紙だとくっついてしまい、皮がはがれる原因になるからです。
魚の皮が破れてしまうという場合には皮に切り目を入れます。皮が破れる原因はコラーゲンが収縮し、皮が引っ張られるため。浅く切り込みを入れておけば、そうした事態を防げます。また、火の通りも(多少は)良くなるでしょう。
煮魚は非常に合理的な料理です。臭み消しとして使うショウガと魚の相性は抜群。また、酒は酸性なのでトリメチルアミンを中和し、香味成分がさらに匂いを抑えてくれます。サバのような癖が強い魚は醤油ではなく、味噌で煮ることでさらに臭みを抑えることもできます。
魚の煮付けがおいしくできない、という声をよく聞きますが、ほとんどの失敗の原因は残った煮汁の量が多すぎること。煮上げたときに魚の切り身一切れに対して大さじ1〜2くらいの煮汁が残るくらいまで煮詰めることが重要です。
魚料理は長く煮込まないので、煮汁の味をなじませる時間がありません。そもそも、魚の身は野菜とは違い、味が染み込むものではないのです。そこで重要になってくるのが煮汁のとろみです。ここでは砂糖を加えることで、煮汁に適切な濃度をつけて、味をまとめていますが、もっと薄味にしたいという場合は水で溶いた片栗粉でとろみをつけるなど工夫する必要があるでしょう。
他の魚料理にはフライやホイル焼き、蒸し魚や蒸し煮などがあります。フライは伝統的なイギリス料理『フィッシュアンドチップス』が有名ですが、衣が魚の水分を閉じ込めるのでやわらかくしっとりと仕上がります。
ホイル焼きは空気の少ない状態で加熱できるので、脂質の酸化が起きづらく臭みが出にくいのがメリット。そして、蒸し料理と同様に温度が100℃を超えないので焦げる心配も少なく、蒸気のおかげでパサパサになりづらいのもいい点です。
魚料理は難しく思われるかもしれませんが、加熱時間が短くて済むため手軽です。四方を海に囲まれた日本で暮らしているのですから、スーパーでお刺身や切り身を買ってくるところからはじめて、食卓を豊かにしましょう。
<今回のまとめ>
●低温でも変質しやすい魚は、鮮度と温度管理に十分に注意する
●肉よりも火が通りやすい魚は、できるだけ短時間で調理する
●魚の煮付けは少ない煮汁で加熱するのがポイント
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目次
第1章 完璧なゆで卵のつくり方 〜煮る、茹でる料理のキホン
第2章 高温と低温を同時に達成するのがコツ 〜焼く料理のキホン
第3章 電子レンジでつくる夏野菜の煮物 〜蒸し料理のキホン
第4章 卵の量を控えるだけでお店風の天ぷらに 〜揚げ物のキホン
第5章 色によって調理法が変わる 〜野菜料理のキホン
第6章 ステーキは強火で何度も裏返す 〜肉料理のキホン
第7章 火が通りやすい魚は、短時間で調理せよ 〜魚料理のキホン
第8章 計量は料理上達への近道 〜道具のキホン
お金のことを語るのは、なんとなくカッコ悪いかも?という世の中の風向きを、
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