【60】「参勤交代」は諸藩が力を蓄えられないようにするためのものではない。
「参勤交代の費用と妻子が暮らす江戸屋敷の維持費用は藩の財政を圧迫したが、江戸幕府の狙いはまさにそこにあった。諸藩が力を蓄えられないように(幕府に刃向かうことのないように)するためのものだったのだ。」(P169)
戦後、とくに1960年代以降の学校の歴史教育で、ずっと説明されてきたことなのですが、これは誤りです。
というか、これは早い時期から否定されているのに、おそらく、学校の先生や塾の先生が(現在でも)、自分たちが過去に習ったことをそのまま、また教えてしまって、誤りが訂正されることなく再生産されている典型的な例です。
参勤交代に幕府の大名の経済力を弱める意図はありませんでした。
それどころか、明確に、参勤交代にカネをかけてはいけない、ということを武家諸法度に明記してむしろ戒めています。
1635年に、武断的であるとされている徳川家光が出した武家諸法度(寛永令)では
一.大名小名、在江戸交替、相定ル所也。
毎歳夏四月中参勤致スベシ。
従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労也。
向後其ノ相応ヲ以テ之ヲ減少スベシ。
として、下線部にあるように、国の財政も傾くし、人々も苦しむことになるから分相応の行列を調えるようにわざわざ命じています。
大名の疲弊は幕府にとっても困ることでした。
負担になっていたにも関わらず、大名が行列に費用をかけたのは、日本橋あたりで江戸に入るときに、藩の「見栄」と「威厳」の保持のために華美を競うようになってしまったからでした。綱吉から吉宗の時代にかけてもこれは顕著なことで、荻生徂徠などもその風潮をなげく文章を残しています。
幕府が参勤交代によって意図的に大名の経済力を抑えようとしていた、というのは現在では否定されていることです。
同じようなことは「大井川に橋がかけられなかった」ということの理由にも言えます。
これも、「西国の大名が反乱を起こして江戸に攻めてくるのを防ぐため」と軍事的な理由で橋をかけなかった、と説明してしまうときがありますがこれも誤りです。
むしろ幕府は何度も橋をかけようとしていますが断念しています。橋梁建設技術の未熟もありましたが、地元の人々の「反対」がたいへん強かったことが背景にあります。
川を渡す職人たちの仕事が奪われる、両岸の宿などの利益が無くなる、という理由です。
https://honto.jp/booktree/detail_00004736.html
参勤交代にせよ、大井川にかけられなかった橋にせよ、幕府は「政治」をちゃんとしていました。
民主的な政府が、時に地元の意向を無視して行政を優先するときがあるのとは反対に、専制的な幕府が、地元の住民の意見をふまえていた、というのはなんとも言い様がない歴史の皮肉です。