戦国女性の諸事情(1)糸姫 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。


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ご存知のように、NHKの大河ドラマは「軍師官兵衛」。

過去の大河ドラマで、秀吉関連のもので、黒田官兵衛が登場しないことはありませんでした。
(「おんな太閤記」では、かなり影が薄く登場していましたが…)

秀吉の、出世物語の中で、欠かせぬ役どころのもう一人に蜂須賀小六がいます。

官兵衛と小六…

物語やドラマでは、今までこの二人の“深いつながり”が描かれることは少なかったように思います。
中国攻めのみならず、四国の攻略、さらには九州攻めなどにおいても、この二人はいっしょに戦ったり離れていても連携をとっていたりと、かなり良好で深いつきあいがありました。
良好どころか、秀吉の外交戦略で、成功しているケースはほぼ、この二人がコンビを組んでいるときで、「中国大返し」はこの二人がいなくては実現していなかった“企画”です。

さて、戦国時代の“深いつながり”というと、主として婚姻関係、というのが常套です。

蜂須賀小六の娘と、黒田官兵衛の息子が結婚することになりました。
二人のつきあいの深さから考えると当然といえば当然でしょうし、秀吉が信頼する二人の家臣の紐帯を深める、という意味でも、たいへん重要な婚姻だったはずです。

この小六の娘で、黒田長政の正室となるのが、

 糸姫

でした。

長政と糸さんの間には、お菊さん、という娘が生まれます。
この子は後に、黒田家を支えた家臣、井上之房の子の妻となるのですが…

ところがこの夫婦には、“悲劇”が待ち構えていました。

長政と糸は離縁させられ、長政のもとには次の正室(継室)として

 栄姫

が嫁ぐことになります。
栄姫は、保科正直の娘ですから、徳川家康からみると、姪っ子ということになりますか…

関ヶ原の戦いの直前(1600年6月)に、黒田長政のもとに嫁ぐことになりました。
しかも、栄姫は、いったん徳川家康の養女となって黒田家にゆきます。

明明白白な政略結婚。

さて、ここからがややこしい話なのですが…

糸姫と長政が離婚してから栄姫が嫁入りしたのか。
栄姫と結婚するために糸姫と離縁したのか。

さらに一歩進んで言うならば、栄姫と結婚させるために糸姫を離縁させたのか…

家康を“狡猾な”権力者として描くならば黒田家に圧力をかけて糸姫を離婚させ、栄姫と結婚させた、ということになります。

ただ、戦国時代の武将の娘たちの事情を考えると…

糸姫と長政には、女の子しかおらず、男子がいないのですよね…
これが実は糸姫の“運命”を変えてしまったと思うんです。

この時代、男子を生まない“正室”というのは、基本的に歴史の上でけっこう“行方不明”になるんです。

栄姫と結婚させるために糸姫を離縁させた、という“圧力”説は、ちょっぴり割り引いたほうがよいと思います。
たしかに黒田家にしてみれば、徳川家とのつながりが深まるほうがよいので、政略結婚としての価値は高い縁組なのですが、もし、二人の間に男子が生まれていたとしたなら、家康は別の政略結婚を考えていたと思いますよ。
すなわち、その男子に、徳川の身内の幼い女の子を結婚させる、という方法です。

実際、蜂須賀小六の息子で糸姫の兄にあたる蜂須賀家政は、実は息子の至鎮に徳川家康の養女を妻にむかえているんです。

家康による婚姻ネットワークは、確実に作動していて、関ヶ原の“東軍”の根は諸大名の間に広がりつつありました。

蜂須賀家と黒田家を味方に引き入れるのに、この二つの家を切り裂くようなことを家康が画策したとはどうも思えない…
だとすると、家康の“圧力”で離婚させられた、とするのは、ちょっとおかしいような気がします。
黒田家側の事情で、糸姫を離縁した、しかし、蜂須賀家に対してはちょっと言い訳も必要…
で、「実は徳川家康さんからの圧力で」というようなことにしたのかもしれません。

実は、黒田家と蜂須賀家は、それぞれの家祖、官兵衛と小六の深い友誼に反して江戸時代を通じて“不通”の関係にありました。
“不通”とは、江戸城などの廊下で出会っても、お互い会釈もしない、会話もしない、同じ場にはいない、という間柄になることです。
明治時代になって徳川政権が終わり、「家康のせいだ」と説明できるようになってようやく「和解」できたのかもしれません。

以下は蛇足ですが…

NHKの大河ドラマで、「糸姫」を演じておられる女優の

 高畑充希さん

は、実は、わたしの勤務する私立中学出身で、わたしが中2、中3と担任をした教え子です。
すっかり立派な女優になられました。
どうか、皆さん、応援してやってください。