戦国女性の諸事情(2)杯争いの真相 前編 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。


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“事件”は醍醐の花見で起こりました。

ときの権力者、豊臣秀吉晩年の花見。

盛大に催されたこの花見に招待されたのは、2人をのぞいてみな女性でした。
(むろん大名、家臣団も「参加」してはいますが、花見そのものに参加はしていません。)
家臣や大名の妻、仕える女房たち1300人を越えたというから驚きです。

秀吉の「妻たち」も、むろん輿を連ねて花見に向かいました。

第一の輿にはもちろん、正室北政所(おね)。
第二の輿には、秀頼の生母淀殿(茶々)。
第三の輿には、松ノ丸殿(京極竜子)。
第四の輿には、三の丸殿。
第五の輿には、加賀殿(おまあ)。

で、前田利家の妻で北政所の親友、まつの乗った輿が続きました。

秀吉の派手好きは有名で、九州平定後には、北野で大茶会を開きましたが、その時以来の大宴会です。
そのときは、一般庶民も一定の条件をクリアすれば参加できましたが、今回は、大名や家臣たちに警固されるなか、「身内」の大宴会というような感じになりました。

ただ、権力者としての秀吉の末期が近いことを誰もが知っていてのことか、あちこちで、側近や大名たちが出会って「宴会外交」を展開し、秀吉後のことを“ひそひそ話”していたようです。

さて、宴席でのことでした。
もともと秀吉は、酒を嗜まないほうだったのですが、このときは少し口にしたようで、上機嫌だったそうです。

 杯の“お流れ”

という慣習があります。

その座の主席者が飲んだ酒の「杯」を、次席、第三席、第四席… と、手渡されながら酒を飲んでいく、というものです。
そしてこの宴席でも、杯が流されることになりました。

秀吉が飲んだ杯を、正室北政所が受けます。
そして、「では、お流れを…」となったところで次席者に回すわけですが…

次席者は、嫡男の母、淀殿。
淀殿が、北政所から杯をもらおうとしたその時、

 「お待ちください!」

と、声をあげる者が出ました。

松ノ丸殿(京極竜子)です。

「そのお流れ、わたくしが頂戴いたしたく存じます。」
「え…」とためらう北政所。
「な、なにを…」と気色ばむ淀殿。

「そもそも殿下の側室の主席はわたくしでございます。淀殿が北政所さまより杯を受けるのはおかしゅうございましょう!」と松ノ丸殿が申し立てました。

秀吉の寵をめぐる側室間の対立、という“女の争い”だけでなく、もともと京極家は淀殿の浅井家にとっては主筋にあたる家。
家格の上からも、「わたしのほうが先であろう!」というのが松ノ丸殿の主張です。

「杯の順番ごときで何を…」と苦笑いの秀吉。
北政所が何かを言おうとしたその時、

 「お待ちくださいませ。」

と、ずい、と膝を前に進めたのが、末席にいた前田利家の妻まつでした。

「その杯、わたしが頂戴いたしましょう。」

「おお、まつ殿、わたしの流れを受けてくださいますか?」

と、北政所はホッと胸をなでおろす。

「おそれおおきことながら、北政所さまとは、昔からのおつきあい、姉妹以上の間柄、その杯はわたくしが頂戴いたすものでございましょう。」

まつの機転でその場がうまくまとまりました、という話なのですが…

実は、この話、ちょっと“裏”があるんです。
(次回に続く)