【53】検地・刀狩に対する誤解。
「天下統一を果たした豊臣秀吉は全国で検地を行なった。」(P151)
と説明されています。「細かいことが気になるぼくの悪いクセ」なのですが、受験生を教えている歴史教師として、このままだと読者、とくに受験生が誤解してはいけないので申し上げますと、秀吉は、天下を統一(1590年)してから検地を始めたのではありません(1582年から)。
支配地域ごとに後に「太閤検地」と呼ばれる手法で検地を開始しています。
「これにより全国の石高が判明し、日本の国力が正確に把握された。」(P151)
結果としてわれわれが当時の米の生産量を把握できましたが、秀吉は国力を把握するために検地を始めたのではありません。確実に「集税」を行うためです。
「実は信長も検地を行なっていたが、秀吉はこれを徹底させ、そのため『太閤検地』と呼ばれる。」(P152)
これは非常に誤解をまねきます。
前から申しているように、通史には「ネタフリ」と「オチ」が重要です。
戦国時代や信長の話の中で、「貫高制」と「指出検地」をしっかり説明できていれば、秀吉の検地、「太閤検地」の意味が腑に落ちたはずだったのです。
信長の検地を徹底したのが「太閤検地」ではありません。
貫高制を石高制にする、「自己申告」から「調査・徴税」する、平安時代からの升の統一、測量器具の統一、という方針の大転換が「太閤検地」です。納税者を土地所有者から耕作者に変更したことも重要ですが、全体の意義の一部です。
「現代のリベラル学者や進歩的文化人たちからは、『搾取システムの政策』と酷評されることもある太閤検地だが、画期的な政策であった。」(P152)
どうも百田氏はこういう表現がお好きです。「研究者の中には~」「学者の中には~という者もいるが…」などなど。
そんなこと言うてる学者いるかな… 誰だろう… と思うことがたくさんあります。
「リベラルな学者」「進歩的文化人」のどなたが、太閤検地を「搾取システム」と「酷評」されているのでしょうか。
太閤検地の目的は、集税の徹底だと思います。
以下を読めば明白ですが…
「検地実施について申し渡された事がらの趣旨を、国人や百姓たちに納得ゆくように、よくよく申し聞かせるべきである。もしも、これに反対する気持の者がいれば、それが城主であれば、その者を城へ追い込み、奉行らが相談のうえで、一人も残さず、なで切りにしてしまえ。また、百姓以下の者で従わぬ場合は、一郷でも二郷でもすべてなで切りにせよ。このことは日本全土六十余り州に厳しく申しつけ、出羽・奥州といった辺境であってもいいかげんにしてはならない。たとえその土地が耕作者のいない土地になってもかまわないから、この旨を受けて十分に実施せよ。山の奥まで、また海は櫓や櫂で漕いでゆけるかぎりのところまで、念入りに行うことが大切である。もしも、担当者がなまけるようなことがあれば、関白秀吉公自身がお出かけになっても命令されるであろう。」(『浅野家譜選書』天正十八年八月十二日・訳・『史料による日本史』三訂版・山川出版)
教科書で、太閤検地が搾取システムである、とは一行も書いてはいませんし、私もそんな表現はしませんが、これを読めば「太閤検地」が「搾取システム」だと指摘されても「違う」とは言いにくい面を持っていたことがわかります。
「歴史家の多くは、織田信長のもとで一向一揆を何度も鎮圧した秀吉が、武装農民は危険な存在と考えて、『刀狩』を実施したとの主張はするが、私はそれには少し疑問を感じている。」(P152)
「…少なくとも一揆を防ぐためだけに行なわれたのではなかったと思う。」
はい、そうです、としか申し上げようがありません。
何をいまさら力説されているのかよくわかりません。
というか、おそらく戦後の歴史教育で、刀狩の目的を「一揆の防止」だけしか説明しない学者(中高の歴史の先生を含めて)はいないと思います。
ですから、「歴史家の多くは…」とおっしゃっていますが、兵農分離のことを知らずに刀狩を説明されている歴史家などおられません。
「歴史家は全員」、刀狩・太閤検地、そして百田氏がとりあげられてない「人掃令」(あるいは「身分統制令」)によって「兵農分離」をめざしたものだ、と考えています。
教科書にもはっきり書いています。
「…こうして、検地・刀狩・人掃令などによって、兵・町人・百姓の職業にもとづく身分が定められ、いわゆる兵農分離が完成した。」(詳説日本史B・山川出版P164)
私も、学生時代、中学受験塾で教えていましたが、その時から(35年前から)、刀狩の目的を「一揆の防止」・「兵農分離」と説明していますし、テストにも出題してきました。
歴史家や専門家はそんなことを言っていないのに、言っている、としてそれを否定する…
これではマッチポンプです。
少なくとも、小学校・中学校の教科書でよいので、「現在」どのようなことが書かれているのか、よく読まれたほうがよかったと思います。
「教科書に書かれていない日本史」を標榜するには、まず、「教科書に書かれている日本史」をよく確認されたほうがよいと思います。