『日本国紀』読書ノート(52) | こはにわ歴史堂のブログ

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52】宣教師は、一様に日本人と日本の文化の優秀さに感嘆していない。

 

日本人として、外国の方からほめられるのは悪い気はしません。

しかし、歴史の著述というのは史料や事実をありのままに明らかにしてみせる、その評価を他者に委ねる、そしてそれを助けるため以外の著述者の推測はできるだけ避ける… というのが肝要だと思います。

 

宣教師ヴァリニャーノの言葉として

 

「日本人の好戦性、大軍勢、城郭、狡猾さと、ヨーロッパ各国の軍事費を比較して、日本を征服することは不可能である。」(P148)

 

と紹介されています。イタリア本国への書簡といわれていますが…

157912月の書簡(イエズス会への報告)の翻訳にしては、「好戦性」や「大軍勢」、「城郭」というような軍事に関する情報に偏っています。こんな内容のものは、この書簡には見当たらないはずです。

軍事や征服に関する内容なので、おそらく、フィリピン総督フランシスコ==サンテ宛に1582年に書かれた書簡と混同されているのではないでしょうか。

実際に軍事行動を起こす場合はフィリピン総督の指揮で実施されますから、「征服には適さない」という感想はともかく、理由の具体的報告をイエズス会にはしないと思うからです。

 

「戦国時代の後半に日本にやってきた宣教師たちは、一様に日本人と日本の文化の優秀さに感嘆している。」(P149)

 

と説明され、その後に「ルイス=フロイス」の「本国のイエズス会」に書き送った「日本人に言及したところ」が「いくつか」紹介されていますが、これは以前にお話ししましたように完全な間違いです。

ルイス=フロイスではなく、フランシスコ=ザビエルで、本国のイエズス会ではなくインドのゴアに送った書簡です。

 

それから「この日本にやってきた宣教師たちは、一様に日本人と日本の文化の優秀さに感嘆している。」というのも誤っています。

 

宣教師による日本人評は、じつは多様で、また極端に偏っているものも多いのです。

 

ロレンソ=メシア(157912)

「日本のキリスト教徒は本性がたいへん悪い。信仰の面でも強固なものではない。」

「日本人はすべてに裏があり、真意を明らかにしない。」

「うそつきで、誠意が無い、恩知らずで、感謝がない。平気で人を裏切る。」

 

フランシスコ=カブラル(159612)

「日本人ほど傲慢で貪欲で無節操、欺瞞に満ちた民族は無い。」

「従順さを要求される共同生活に耐えられない者は人の上に立とうとする。」

 

ヴァリニャーノの日本人評価を否定して、「日本人の司教」をつくることに反対していることがわかる書簡を送っています。

カブラルはこの書簡の中で、「出世とあくなき野望の典型はミツヒデだ」と明言もしています。

 

サビエルもヴァリニャーノも、カブラルも、どうも人物なり日本人なりを偏って誇張して評価しています。

布教の可能性を高めて支援を求めたり、逆に布教したくない場合は、組織に手を引かせようとしたりしていることもわかります。

見方やイエズス会の組織人としての立場、戦国大名の弾圧や保護などの状況によって評価は変わります。

極端さや誇張を差し引いて虚心に双方の説明を読めば、当時の日本人がとくに優れていたわけでもなく、とくに愚かでもなく、善悪・道徳不道徳、普通に持ち合わせていた平凡な人々であったことがわかると思います。。

 

宣教師や訪問外国人、外国人政治家の日本の高評価発言だけに飛びついて(選んで)、それがすべてであるような錯覚に陥ってはいけません。

当時の政治状況、別の史料からの突き合わせ、批判的解釈、というのを経たものだけを著述していく姿勢が大切です。