YouTubeにアップされた『願栄光帰香港』のオーケストラ&フルコーラス版。有志による日本語歌詞もついている
Text by Jun Tanaka
大規模抗議活動の開始から100日余り。なおも警察との激しい対立が続くなかで、その歌は「これぞ香港の“国歌”にふさわしい」「励まされる名曲」と、市民の士気と連体感を高めているようだ。
「教会音楽」や「新約聖書」を参考に──
なぜ涙が止まらないのか
なぜ怒りに震えるのか
顔を上げて沈黙を破り叫ぼう
「自由よ、ここ香港に舞い戻れ」
なぜ恐怖は消えないのか
なぜ信じて諦めないのか
なぜ血を流しても邁進し続けるのか
それは自由で輝く香港のため
(※中略)
勇気と叡智よ、永遠に朽ちないで
夜明けだ、さあ取り戻せ我が香港を
同志たちよ、正義のために今こそ革命を
どうか民主と自由よ永遠であってくれ
香港に再び栄光あれ
悲愴感のある格調高いメロディが胸を打つ。
歌詞からは、1997年に香港が英国から中国に返還された当時、「一国二制度」で向こう50年間は保証されていたはずの自由と民主が急激に失われつつあることへの危機感だけでなく、将来、必ず香港に希望と誇りを取り戻すという強い決意が籠められている。
作詞・作曲をした20代の音楽家、トーマス(※ハンドルネーム)氏もデモ参加者のひとり。香港ニュースメディア「立場新聞」の取材によると、6月に「逃亡犯条例」改正案の撤回を求める大規模デモが始まった頃から、民主化運動を象徴するテーマ曲の構想を始めたという。
2014年に香港で巻き起こった、普通選挙を求める市民運動「雨傘革命」の時には、ロックバンド・Beyondの『海闊天空(遥かなる夢に~Far Away~)』や『光輝歳月』がテーマ曲として愛唱された。トーマス氏はこれらの曲について、「市民の共感を得ていたものの、やはり商業的なポップソングの域を出ていなかった」と述懐。デモ現場の空気感が感じられるような曲が必要だと思うにいたったようだ。
「雨傘革命」で愛唱された『海闊天空』
トーマス氏は作曲にあたり、クラシックや軍歌、国歌をベースとする、短くも品格あるメロディを重視。欧米の国歌や教会音楽「いと高き処に神に栄光あれ」などを参考にした。歌詞は新約聖書や李白の詞、魯迅の小説からも言い回しを取り入れ、タイトルになった最後のフレーズ「我願栄光帰香港(香港に再び栄光あれ)」には、「将来、香港がもう一度、栄えある都市として復活するように」「香港人が自分自身の栄誉と誇りを香港に捧げるために」という2つの意味を籠めたという。
「デモ参加者は疲労の色が濃くなってきている。今一度、皆がひとつになって士気を高めるツールとして音楽は最強だ。この曲を聴いた全ての人にも、香港は決して屈しないということが伝われば」(トーマス氏)
「ボーカロイド日本語版」だって配信済み
約2カ月を経て曲を完成したトーマス氏は8月26日、SNSで合唱の録音に参加する市民を募集し、8月28~29日に20人のコーラス版を収録。YouTubeに配信したミュージックビデオ(MV)第1弾は10日足らずで140万回の再生回数を超えた。
憶えやすいメロディと歌詞が多くの市民に受け入れられ、9月6日には香港MTR太子駅に集まったデモ隊200人が「願栄光帰香港」を大合唱。9月10日以降はデモ現場だけでなく、試合後のスタジアムで、ショッピングセンターの吹き抜けで、駅構内で、学校で、あるいは街角で、集まった市民が思い思いに大合唱するようになる。そして9月11日には、オーケストラの演奏に合わせたフルコーラス版MVがYouTubeに登場した。
香港には、アニメやマンガを通じて日本語を習得した若者が多い。MVには日本語歌詞が用意され、それとは別にボーカロイド日本語版も作るなど熱の入れようだ。MVの撮影に当たっては、オーケストラ団員とコーラス隊が黒シャツにヘルメットや防毒マスクなどを装着し、デモ参加者そのもののいでたちで臨んだ。200万人大行進や警察の催涙弾が炸裂するシーン、市民が手をつなぐ「人間の鎖」といった実際の映像も挿入され、編集レベルも非常に高い。
今回の香港デモはリーダー不在が大きな特徴と言える。『願栄光帰香港』だけを見ても、作曲から演奏、演出、撮影、録音、翻訳、動画編集まで「名もなき熟達者」たちが自発的に集まり、ひとつの作品を作っていった点が興味深い。
“香港国歌vs.中国国歌”の抗争も…
香港には元来、香港そのものを象徴する歌が存在しない。1842~1997年の英国植民統治期は英国国歌『神よ国王(女王)を守り給え』が、1997年以降は中国国歌『義勇軍進行曲』が公式の場で歌われている。
市民の多くは「BBC」中国語電子版の取材に対し、『願栄光帰香港』を絶讃。
「初めて聴いたとき心から感動した」
「歌いながら皆を励まし、自分も鼓舞される感じがとてもいい」
「香港初の“国歌”は『願栄光帰香港』でキマリだ」
「この曲には香港の自由や民主、香港人のココロが詰まっている。これまで、国歌斉唱で涙を流す外国人の心情が理解できなかったが、『願栄光帰香港』を口ずさみながら初めて分かった気がする」
などと思い思いに心情を吐露した。デモは長期化で先が見えず、次第に方向性を失いつつあっただけに、作者の狙い通り、この曲が再び団結する契機になったのは間違いない。
9月12日、香港島中環(セントラル)のショッピングセンター「国際金融中心商場(IFCモール)」で1000人超の市民が『願栄光帰香港』を合唱していると、中国国旗を掲げた建制派(親中派)の香港人や中国人旅行客らが現場に乱入。『義勇軍進行曲』や愛国曲『歌唱祖国』をがなりたてる一幕があった。
中国人が国旗を振りかざしたり国歌を叫んだりしながら香港人の民主活動を妨害する「愛国的行動」は、香港だけでなく東京など世界各地で頻発している。『願栄光帰香港』を歌う香港人がハーモニーを大切にしながら柔らかな雰囲気で一体化していたのに対し、中国人グループはこぶしを突き上げながら「脱口罩(マスクを外せ)! 脱口罩! 脱口罩!」とヒステリックに絶叫。その姿はおせじにも洗練されているとは言えず、文化大革命(1966~77年)に狂騒していた紅衛兵そのものだ。
同様の衝突は13日以降も各地で発生。「デモ隊は完全に狂っている」「香港は中国の一部分にすぎない。中国は素晴らしく偉大だ」と話す建制派市民からは、『願栄光帰香港』で絆を取り戻した民主派への苛立ちと焦りが垣間見えるようだ。
台湾では『島嶼天光』が「ひまわり学生運動」を盛り立てた
2014年の台湾民主化運動「ひまわり学生運動」では、地元ロックバンドの滅火器楽団(Fire EX.)が学生らを鼓舞するため、『島嶼天光(Island’s Sunrise)』を作る。この曲は運動のテーマになり、2016年に就任した蔡英文総統は就任式典で滅火器楽団とともに、新生台湾のシンボルとして熱唱した。『願栄光帰香港』が最終的に勝利のテーマとなるのか、それとも敗残と鎮魂の象徴になるのか。その答えは当分出そうにない。
PROFILE
田中 淳 編集者・記者。編集プロダクション、出版社勤務を経て中国北京大学に留学。シンクタンクの中国マーケティングリサーチャーや経済系通信社の台湾副編集長を務め、現在、香港系金融情報会社のアナリスト。近著に『100歳の台湾人革命家・史明 自伝 理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい』(講談社)。