珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

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2019-09-17 | S教団について
掲示板の住人からこんな質問を受けた。(ブルー文字、創価公明掲示板より引用)

今現在見ている限りでは
創価脳とは
『私自身が正しい、言う事も正しい』
『私と異なる意見は認めない』
『良いから私の言う事を聞け』
『他人の意見は全否定』
と言う感じですか?


そういう人はどこにでもいるでしょう。
世間にもどこにもゴマンといる。

私は以前、Sアンチブログを書いていたが、ある時期からS問題というけど、多くが騒いでいるのは
「独善的な人やそれに関わった人の人間関係」ではないか?と思った。
例えば独善的な親が子どもに信仰を強要して、嫌だと言ったら金切り声をあげてわめく(または悲しむ)とか、
嫌と言えないような性格の会員に、強引に意見を押し付けるとか。
言われた方は、強い相手に対して悩む。

ほとんどがこのパワハラのようなことや、
または不幸や心配事を煽られること。
それからコミュニティならどこでもある男女のいざこざ
噂好きの人になんだかんだ(ヒソヒソであれ、ズケズケであれ)言われること。

これに気づいた途端、こんなことはどこでも、周りにもいくらでもあることだと思った。

でもなんでこれがS問題になるのか?

それはS憎しと思ったら、学会員のやることなすことが癇に障って、何でもわるく見えてしまうからである。

例えば今まで、ふつうに箸を置いていたAさんが「上から目線で気取って箸を置いた」に見える。
どうしてもそう見える。
いえ、前からそうだったわ、と思う。
今までよくこの人と一緒にご食事ができたな、と思う。
いちいち、すべてに、気に障ってカチンとくる。

Sを叩くには、学会員は自分にとってイジワルな、根性ワルな方が都合がよい。
結果、憎しのS会員は
『私自身が正しい、言う事も正しい』
『私と異なる意見は認めない』
『良いから私の言う事を聞け』
『他人の意見は全否定』
そんな人になる。

私は後に、ちょっと頭が冷えたら、そんな人は掲示板で名無しになった人にこそ顕著だなあと思った。
自分だと特定されなければ、独善を言おうが、偉そうだろうが、ズケズケしていようが、他人の噂をさも嬉しそうにしゃべろうが、誰も咎めないからである。
chが好きな人は、むしろ気楽で楽しい人たちと思う。
実際にSにいて、いろんな人と付き合った私が「両方見て」言うんだからそうである。

ちなみにこの「両方見て」は
Sと、世間やアンチブログの両方見てから言ってね!!と、よく言われた言葉だけどね。

そう思ってから、私はS問題の関心がうすれて、それより元凶である
『私自身が正しい、言う事も正しい』
『私と異なる意見は認めない』
『良いから私の言う事を聞け』
『他人の意見は全否定』
の問題を書き始めた。
世間であれ、ネットであれ、Sを離れても「どこにでもある」これを書こうと思った。

こういう人は嫌われる。
誰もこんな人になりたくない。
私もよく思う。
「なんでこの人は、一つ嫌だと全否定になるの?」とか。

だけど人って嫌いな人ができたら、その人をどうしてもこんな酷い人に貶めて
「それにくらべて自分は違うけどね」と高笑いしたい生き物らしい。

人を貶めなくても、ただ自分がそうあればいいのにね。
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温度差5

2019-09-16 | S教団について
アンチの温度差の理由は、人それぞれの体験による。
体験もしてない、知りもしないことをわかったように言わないで ( ̄  ̄メ)
という鉄壁の印籠を出されると、黙るしかなかったそれ。
でもこれもかなり怪しくなってきたので、更に掘り下げて書いておきます。

①同じ体験をしても影響されるのはタイプによるのでは?

例えばSで「ダブスタ」の指導があったとします。
私なんかは、ピンとこない話は聞いてるような顔をしながら聞いてなかったし、聞いたところで頭に入らなかった。
興味のない勉強や説教を、いくら熱心に聞かされても頭に入らなかったのと同じである。
だからピンとくる話しか覚えていない。

そんなタイプだったから、あれもこれも酷いダブスタだったよね?と言われても
「ダブスタ?そうだっけ?」みたいな感じになってしまう。
確かに同じ体験はしているんだけど、両方を真剣に悩みながら聞いていた人もいれば、好きな方しか聞こえてなかった人もいた。

同じ家庭に育って、同じような体験をしているのに全然タイプの違う兄弟なんかも、おそらくこんな感じと思います。

②人ってその時の感情で、もののとらえ方が大きく左右されるのでは?

アンチになってさあ不満や文句を言おうとなった時に、シンパの時は何てことなく、ふんふんと聞いていたことが、さも重要な欠陥となってあふれてきたりする。
感謝していたことですら、はらわたが煮えくり返りそうになったことに豹変。

「同一人物が、同じ体験を」ですよ。

いやいやアンタ、あの時はそれこそをめっちゃ喜んでたやん!!ってやつである。

昔はちょっと感想を言われたら誹謗中傷した!!と激怒した。
誹謗中傷って、ただの感想なんだけど…(・・;)
それが今や、同じことをボロクソに言いながら
「これが悪口?どこが悪口?ただ見たままを言ってるだけだよね?」

これと同じである。

一人の中の同じ体験ですら、コロコロ変わる。
人をコロコロ変わるという以前に、自分こそが変わったのでは?
昔のことはなかったこと以上に「すっかり忘れてしまって」

体験したことが、あなたと私では違うから温度差があるのではなくて、それもあるかもしれないけど、
文句ってもっともっと勝手なものでは?

温度差って、とってもとってもデリケートなものなの…
でもないんじゃな~い( ̄∇ ̄)
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温度差4

2019-09-16 | S教団について
S問題を取り上げたブログはあまたとあるが、一言でまとめるならば
なんでこう、人によってここまで温度差( ̄▽ ̄;)

それは「生きるか死ぬか」の人から、「それほどのもん?」までピンキリなのである。

「生きるか死ぬか」の人は、それを軽く扱われることはブッ殺したくなるくらい不愉快で、
「それほどのもん?」の人は、被害者意識のウンザリにもほどがあると思う。

これは実際に体験した内容というより、仮に同じ体験をしても、それぞれの受け取り方で分かれる気がする。

本当に…想像もつかなかったいろんな人がいるもんだ( ̄Д ̄;;

これに比べたら、思想や宗派の枝分かれくらいたいした話ではないのかなと思う。

多様性の正体って、思想でも支持政党でも宗派でもなくて、
人のタイプなのかもね、と思ってしまう昨今。
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ネチネチの元

2019-09-15 | 日記
以前、ネットの言い合いで意見が割れたという女性に、こういう意見を頂戴したことがある。
「海さんは言いたいことは直接本人に言えばいいというけど、そんなことしてもどうせ分かり合えずに消耗するだけ。疲れました」

私の経験上、「疲れた」「関わりたくない」という人は絶対に関わる。
しおらしい顔をしながら一晩も寝たら、その「疲れた」はケロリンパと復活して、またガンガン言いたくなる。
それ、全然疲れてないのよ(笑)
そんな気がしただけ。
ちょっと話して、すぐ面倒になって、口先からチャラッと軽い言葉を言っただけ。

でもうっかり何かを言った手前、くすぶったエネルギーやモヤモヤが陰口となって、ネチネチネチネチといい続けることになる。

本当に徹底的に話し合ったら燃えカスなんか残らないのに。
「疲れた」なんて軟弱な言葉すら、さっぱりと灰にしてしまうもんね。
お経や御書より、もっと青少年のバイブル「あしたのジョー」の読み込みが足りなかったのかもしれぬ( ̄∇ ̄)
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本音のさじ加減

2019-09-15 | 日記
よほど抑圧された生活を送っている人が多いのか「本音が言える」とネットを利用する人は多い。

「吐き出したい」「スッキリしたい」「嫌なら見るなよ」という鉄壁の正論の前に、返す言葉はない。
ごもっとも。

少なからず「見られている」という美意識をもつ人との間に、流れる深い川。
これは埋められるものではないと私は諦めている。
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プレバト愛

2019-09-14 | 日記
あまりつけないテレビで、私が欠かさず観ているのがプレバトの俳句コーナーである。
(「渡辺篤史の建もの探訪」も観てるけどね(*^^*))

夫から、私の
「一言一言をあまりにも嬉しそうに見聞きしているその様子を見てると、ホントに好きなんだなあと思う」
と言われるくらい、幸せそうに見ているらしい。

はい、ホントにめっちゃ好きです。
書くことと喋ることの両方が、ここまで飛びぬけている人がいることに、ただただ感嘆、感動する。
的確な言葉のセンスも笑いも間合いも、すべてが珠玉。天才と思うわ。

ちなみに夏井先生によると、あの番組の台本は
ないない。台本も1ページもない、リハーサルも1秒もない。
句を書いた大きな貼り紙でするあの添削って、一発勝負なのよ。
だけど、スタジオで浜田(雅功)さんが作った人の気持ちを先に聞くでしょ。
そうすると私が思ってたのと全然違うことがあって、むちゃくちゃ腹が立つ。
その瞬間、準備してきたものが無駄になるから。


どうするんですか?

口で怒りまくりながら脳内で次の添削を考えてる。
瞬間芸です。


このインタビュー記事を見て呆気にとられた∑(_□_;)ii
いや天才と違う。
ド天才だわ。

俳句などさっぱりわからないという夫が、梅沢富美男と夏井先生のやりとりをチラッと見ただけで
「こんなこと言い合ってるけど、めちゃくちゃ仲いいんだろうなあ」と笑って一言。

記事に、夏井先生は、梅沢さんについて
自称「三百年に一人の役者」梅沢富美男さんとのつきあいも4年になります。
初回から「六花(雪の異称)」なんて季語を使ってきて、もともと俳句やってるんだと思ったら、あの句が処女作だという。
「芸事で生きていく」ことは並大抵の努力ではない。
たかがバラエティー番組でも、このオッちゃんは手を抜かんのや。
オッちゃんは努力の人なんや、と驚きもし尊敬もしています。

結構、カッコエエんです。
「間違っていると感じたことには権威が相手だろうが牙をむく」という気概。
「人の盛り上がりや人気なんて一過性のもの」だと平然と生きるオッちゃん。
そして「困っている人は何がなんでも助ける」という一行にも泣けました。
私が運営にかかわる『俳句甲子園』は今年が第二十回記念大会でした。
『プレバト!!』の撮影スタジオの片隅で、予算繰りの苦悩を誰にともなく呟いたことがあります。
すると、その夜、オッちゃんのマネジャーさんから電話。
「寄付します」の一言に驚きました。
まさに、オッちゃんは有言実行の人でもあるのです。

「劇団員たちと大勢で家族のように飯を食って幸せそうにしてるのを見るのが幸せ」という一文に至っては、わが家族会社夏井&カンパニーの昼食光景とそっくり。
「義理と人情、そして愛」が、このオッちゃんの心身をつくっている成分なんやと、痛く納得する次第です。


と書かれてあった。
俳句はわからなくても、夫はこんなことはわかるんだと思った(笑)

いろんな意味で「好き」が詰まった番組である。
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卵料理の話

2019-09-13 | 趣味の話
昨今は食物アレルギーの子どもが多い中、家族には誰にもそれがないのが救いである。
特に聞くのは「卵アレルギー」だけど、これは本当に同情申し上げる。

私は母親の作る卵焼きが大好きだった。(いまだに及ばない)

トンカツの衣にも卵が使えない、チャーハンに卵が入れられない、
からしバターを効かせた卵サンドイッチ(コメダ珈琲店のは絶品)が食べられないとなったら、私はヘコむわ( ̄Д ̄;)


家族に隠れてコソコソ交際が嫌いな夫は、結婚の意志もないうちから、自分の実家に頻繁に私を連れて行った。
(今思えば、まるで嫁扱いくらい強制的だった( ̄▽ ̄;))

その時、出されて美味しかったのが、タラコ入りの炒り卵だった。
これは、私にはこれまで知らなかった食べ方で感動した。


何コレ、美味しい(;゚∇゚)

私はそれを義母より生っぽくというか、ふわふわ気味に仕上げるようにしたけど、これはお好み。
しっかり焼いた方が好きな方はその方がよいと思う。

昨晩は親子丼を作った。
これもレシピは数限りなくあると思うけど、私は

玉葱と鶏肉を砂糖を多めに入れて炒める。
だし汁を入れて煮て、煮立ったら醤油を加え、最後にボールでかきまぜた卵を数個分を投入。
卵が半熟くらいで三つ葉をたっぷり入れて、火を止めて蓋をする。

で完成。(簡単でしょ)

蛇足だけど、ここまで好き嫌いのない私が、一つだけあるそれ。
お菓子のハッピーターンである。
甘いのかしょっぱいのかはっきりしないそこが、イラッとして全然ハッピーじゃないのよね ( ̄  ̄メ)

お菓子は、甘辛の二極でしょ?(わかったね?頼むよ!!ドーン!!)
(個人的独裁です)
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ずっと衝撃

2019-09-13 | 日記
夫が駆け出しで天気予報の中継なんかをやっていた頃。
葉っぱにカタツムリがいたり、木にクワガタがいたりすると、ああ季節のいい映像を使ってるなあと、これまで何も考えていなかった映像の一つをちゃんと気にするようになった。

画面一つも注意深く見るようになったわ、と得意になっていたら、帰宅した夫が笑いながら言った。
「いや、あれ捕まえてきて撮っているから」

嘘ではない。
でも
ありのままでもない。

報道って、いろんなテクニックを使って常に印象操作しているんだなあということを知った。

マスコミがそれに携われる一部のものでしかなかった時代から、自分が発信できる時代になって、私はこんな自由を感じたことはなかったなあ。
大袈裟にいうと、背中に羽を貰った感じ。
学校で読み書きを習ったことの意味と有難みを、やっと理解と感謝ができた感じ。

発信されるものを受けとるだけしかできなかった時と、
「私ならこう書く」と思った時。

人生に覚醒なんて大袈裟な言葉を使うとしたら、私はこれかな。
Sがどうこうなんてことより、これができる時代になったことの方が、私には今でもずっとずっと衝撃である。
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或る事件

2019-09-12 | 日記
夫の職場の技術スタッフで、あろうことか女性タレントをスマホで盗撮していた男がいた。
女性自身がそれに気づいて事務所に通報し、男はそれを認めて解雇された。
こんなことは、この業界で長らく仕事をしている夫からも初めて聞く話である。

番組プロデューサーが女性方の事務所に詫びを入れて、何とか穏便に済ませたものの、困ったのは突然人員が足りなくなった現場である。
そこのポジションは誰でもいいというわけじゃなくて、簡単に代わりが見つからないのである。

上の方は番組のイメージが大事なんだろうか、
穏便に、騒ぎを大きくしないように必死で、不祥事は関係者のごく一部しか知らされなかった。
それをよいことに、当人は表立って多くに知られることも、責められることもなく、
夫をはじめ、身近なスタッフに謝罪の一言もないままさっさと去ってしまった。
「後任は探したけど見つかりませんでした」と無責任極まりないことだけを言って。

なんという責任感のなさ!!
ちなみに50過ぎたオッサンである。
代わりを見つけるために夫は何十人にも連絡しているが、長期でしっかりやってくれる人はなかなか見つからない。
当人のしたことは責める気はないけど、周りに迷惑をかけて知らんふりというのが私にはわからない。

改めて、自由と責任は表裏一体と思う。
好き勝手というのは、それに伴うリスクを受ける覚悟がある人のみがやれることである。

それから組織とはこういうもの。
何かあると穏便がいいのか、隠ぺいがいいのか。
賛否ともがその正義に激しく主張し合うのを見ていると、それもわからなくなる昨今なんだけどね。
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おばちゃん3

2019-09-11 | S教団について
非常識なおばちゃんも、気が強いおばちゃんも、デリカシーのないおばちゃんも、独善的なおばちゃんも、ズケズケしたおばちゃんも、噂好きなおばちゃんも、そうでないおばちゃんも、
どこの世界でもいる。

職業で分けても、サークルで分けても、宗教で分けても、無宗教で分けても、いる。
同じだけいる。
突発的に起こる災害の被害が、職業やサークルや宗教を選ばず、関係ないのと同じように。

Sのおばちゃんが独特に見えるのは、
会員の頃、卵を割ったら黄味が二つ出てきたのも、誰かさんが乗った飛行機が揺れなかったのも、交差点で100円拾ったのも、何でもかんでも功徳にしか見えなかったのと一緒では?

Sアンチの口癖。
「自分の頭で考えてください。そうすれば自然と目の前の現実が見えてきます」

ならばアンチのおばちゃんが、自分の頭でこれを考えたら、
「おばちゃんの性格による言動とSは無関係」という現実は見えるのだろうか?

見えないなら、この言葉はSに特定して送る言葉としても無意味と思う。
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こんなスパン

2019-09-11 | 仕事の話
台風が三日たってやっと終わった。
というのは、私の仕事は台風後が最も大変だからである。
三つの物件を、それぞれ週二回づつ担当しているので、三日間で一応その片付けが全て終わる。

うち一つは道路を挟んで建物があって、庭と駐車場がとても広い。
まる3時間1分の休憩も入れずに(性分)、倒れた自転車を直し、一人ほうきで黙々と落ち葉その他の残骸を掃き続けても、それは思うより果てしない( ̄▽ ̄;)

日陰のない場所で容赦ない日差しと気温に、「これは私だからできる」と自画自賛しながらやる。
(いや体力と、誰も見てない中でもやる生真面目さがあれば、誰でもできること)

娘が朝から「眠い、だるい、疲れた」のいつもの決め台詞の他に、今朝は
「早く年金暮らししてグータラしたい」と言っていた。

どうぞ。
その頃に年金が機能しているかは知らないし、母でさえまだ辿り着いてない、それは長い長い道のりだゾ。
そんな長い展望は、気の短い私には持ってないなあ。

これ終わったら一杯飲もう。
ワタシ、せいぜいこのスパンで生きてるもんね( ̄∇ ̄)
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テイクアウトの話

2019-09-10 | 日記
私は「持ち帰り」が好きなちょっと残念なところがある。
何を「持ち帰り」なのかというと、
「店内でお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」
横文字でいうと
「イートインかテイクアウト」
そう、食べ物なんですよね。

お寿司など絶対店内!!というものも一部あるけど、たいていは「家でゆっくり」が好き。
本当は外で食べる方が、お洒落をしてお行儀もよくして、それがいい緊張感やマナーや若さ?を保つ気がするんだけどね。
大事だよね、こういうことは。

でも10月から変わる消費税はこの二つで税率が変わるとか。
お持ち帰りだと8%のまま。店内で食すと10%。

有難い話のようなんだけど、お持ち帰りばかりしていると「おばちゃん化」するゾ~( ̄∇ ̄)
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ネットにまつわるあれこれ43

2019-09-10 | ネットにまつわるあれこれ
ネットの悪口の一つに、
何気に「××がいいね」というと、即刻信者!!という声が矢のように飛んでくるというものがある。

ミュージシャンとかスポーツ選手だったらいいのに、ちょっとモノ申してる人などに迂闊にこれをいうと、支持してるの?信者?ゾッコン?と待ち構える人。
レッテルを貼りたくてうずうずしている人。

人を「信者」で「マンセー」で「妄信」で「お花畑」にしたい(思慮深く、客観的な自分と違って)のかな。知らんけど。

一度「アドラーのいうことってわかるなあ」みたいことを書いたら、早速「アドラー信者って」と言う人がいたもんね。
好きと嫌いの間には、ここが好きとかここはわからないとかあるでしょ?
一つじゃないでしょ。一色じゃないでしょ。

これは、私がいい加減飽きたワンパターンの一つである。
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私はこっち

2019-09-09 | 日記
週刊誌を売ろうとか、テレビの視聴率をとろうとか、ネットのアクセスを稼ごうとすれば(つまりお金を儲けようとしら)、デタラメでも刺激的なことを書けばいい。
全部がデタラメじゃなくても10のうち2くらい本当に事を書けば、目的は達成される。

見る人も「なるほど、確かに」じゃつまらなくて、批判して満足するのが目的の人もいっぱいいるもんね。
炎上なんて聞くと、昨今は「また嘘ばっかり。何やってんの?」と批判目的の視聴者がよほど集まったりするのかと思うわ。
客層も話半分で楽しんでるなら、万々歳でそれは成立する。

ネットの憂さ晴らしも「憂さを晴らす」目的さえ満足させられれば、言ってることなんてデタラメでもいいんでしょう。
嘘でも事実でも、それでスッキリするなら効果は同じ。
目的は憂さ晴らしなんだから。

宗教も、何も「本当」とか「真実」を売ればいいのではなくて、「満足」を売ればいいのである。
つまらない事実より、満足できるデタラメの方が儲かるなら、内容なんて事実である必要がなく、満足させればいいのでは?

満足させられる商品を提供する。
需要もそこにある。
これの何がわるい?


確かに。

数字のために必死で、ノルマを請け負っている人は大変と思うわ。
そんなものから解放されても、「ポチしてください」「押してくだされ」が好きな人はいいけどね。

私は数字や人気より、自分の違和感がはるかに大事。
(両方ちゃんとある人もいると思うけど)

自分の居心地のわるさに、とても寛容になれないわー。
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元〇〇だから

2019-09-08 | 日記
元〇〇。
何かといえばこんな肩書きが好きな人いますよね~、元が好きな元子ちゃん。

元ヤンキーだとか、元イジメらっれ子だったとか、元貧乏とかやたら言いたがる感じ?
元神童でも元富豪でも、元アイドルでも元AKBでもいいよ。
こういう人って、元カレだの元妻だのといつまでも未練がましく言ってるんでしょうかね?

私はどっちかというと、一つ終わると次のことしか考えない方。
そういうのはめんどくさーと思う方かな。

美人女優が政治家になったり、アスリートがタレントになったり、そういうことも世の中には結構あるけど、その世界では「だから何?」っていう方が多いんじゃないだろうか。

栄光も挫折も失敗も平等に通り過ぎる。
一つのこと、一つの顔がずっと続くって殆どないんじゃないかなと、スピーディーな年月を思う昨今。
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Original text