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2019-09-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・調べたわけじゃないのだけれど、
 うれしいことがあったときだとか、
 称賛したいようなことがあったときに、
 両の手のひらを叩きつけて音を出すこと、ま、つまり、
 拍手をするという習慣は、万国共通なのではあるまいか。
 拍手をする文化のない地域であっても、
 他の国の人たちが拍手をしているのを知ったら、
 わりと自然に、「おれたちもしよう」と
 拍手をする文化に加わるのではないだろうか。

 大人気のロックスターであっても、
 時代の大権力者であっても、
 習い事をはじめたばかりのおばあちゃんであっても、
 小さなこどもや赤ん坊であったとしても、
 拍手をされるとうれしいものである、と思う。
 うれしそうにしているのは、ずいぶん見たものね。
 そう言っているぼくも、うれしい。

 そして、拍手されている側からすると、
 拍手している人のことは、なんだか好ましい人に見える。
 場所や場合によっては、大きな音を立てるのは迷惑だが、
 サイレントで拍手のしぐさをすることだってできる。 
 笑顔が、たくさんの人を笑顔にするように、
 拍手というものも、あちらこちらを、
 しあわせな場面にしてくれる。

 なにかと手を叩いてパチパチ鳴らす赤ん坊を見ていて、 
 ぼくは、このまま大人になればいいなと思った。
 なにかと笑顔を見せてくれるのも、とてもいい。
 そして、なにかといいものやいい人を賞賛したり、
 祝福するかのように拍手をする人になることも、
 とてもいいことだし、人にもよろこばれるとも思うのだ。

 そして、大人になってからでも遅くはない。
 いい人やいいことを見つけて、ちゃんと拍手する。
 いや、いい人のタネや、いいことの可能性を見つけて、
 先回りして拍手をするくらいでいいのではないか? 
 とても粗雑な言い方をさせてもらえば、
 「拍手を惜しんだって得もしない」し、
 「拍手したって、損はしない」、笑顔と同じだよねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
大人って、もったいつけたりケチになったりしがちだよね。


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