おはようございます
昨日は久しぶりの世界混浴ワールドで
アクセスが一気にボルテージ上げ
2000アクセス上がりました
だけどいつものように
お色気過ぎるのか削除写真もありますよ
特にエロくもない由美かおるレベルなんですがね
昨日のシングルスの試合に引き続き
ダブルスの試合にきました!
メンタルコーチング続いてますよ
連日のいじめ問題は
間に入りましょうか?という御仁が出てきてくださいました
で、M iuの怒りが止むことを思ってくださいますが
Miuへの誹謗中傷の公式な訂正と謝罪
いじめたM iu友達への公式な謝罪と補償
自身の公式SNSで
今回の件と他に迷惑かけたいじめ被害者への
謝罪
それと
M iuへの正式な面談での謝罪
これくらいしてもらわないと当たり前のことです。
それを
もうこれくらいでよか
で告発者が男気みせて終わらせる
訳ないでしょー
徹底抗戦するのは
M iuが
勝つための法則を知っているから
これがアメブロ内の
ハッシュタグでずーっと上位にあるのを
お忘れなく
この、ハッシュタグジャンル記事は
何十万とある記事のトップですよ
まずここで勝つ事をこだわることです。
内容が面白く興味を引く
目を引くものをかける事は
コネもマネーも関係ないですよ
意図的に運営に削除されることはあっても
世論が読む記事を書いてるかどうか
ここで自慢できるのは
カネでも人脈でも裏の力でもない
戦う意思があるかどうかです
戦う意思があれば勝てるのか?100パーセントの、勝つ意思と戦いに挑む意思があれば
勝てますし、世界を自分の意思に動かすことができる
なぜ長州が幕府を倒せたか
また、長州征伐を繰り返したのに
幕府はなぜ長州をつぶせなかったか
幕府が自分たちの戦力を他の藩に頼み
幕臣の軍隊を育成するのを忘れ
反乱分子は消していったから
簡単に言えば
徳川幕府といういじめっ子が
長州藩の才能ある軍団を疎ましく思い
配下に頼み、戦争するが勝てない
その戦争は長州は絶対に負けない
なぜなら
その彼らのトップ教育者を血祭りにしてみせ
ひどい扱いをして
幕府が長州にマウンティングしてみせた
だが
幕府を動かしていたのは参謀ら譜代大名
なので
その1人、井伊直弼を刺す
幕府はいじめたことは棚に上げて
直接いじめをした井伊直弼大老のせいにして
下手人の志士は血祭りにして
逆らうとこうなると教える
だが、本当にこの幕藩体制が正しいか?
と藩は疑問に思い始める
なにより
のほほんと
そんなことは遠い世界の、井伊直弼がやったこと、別の大老置いて
将軍はあぐらをかいていた
しかも、天皇家と組み
もっと大名達に長州いじめをさせるよう
計画した
うるさい連中は謀反として
新撰組にパトロール
殺してしまえと
だけどみんなおかしいと思い始めた
死人が出る幕末の戦いの中で
幕府と戦ってないよ
戦う藩も、長州の思想に近づいてみた
長州は完璧な軍備とカネと
松陰先生を殺した恨みで
勝つことしか考えてない
毛利家はこれをうまくコントロールできていた
毛利家ほどの
軍師はいないだろう
メンタルコントロールができていた
強い力はない
この幕末は
吉田松陰先生の死が
長州を強くさせ、怒りが
いつかひっくり返すと決めていたから
様々な藩の藩主にさせるべく
養子をいれていた。
日本の大半の藩主が薩摩藩の藩主の子
そして篤姫もそう。
徳川家の一員にさせ
ゆっくりと牙城を狙う
しかし長州はすぐにも幕府を倒したい
なぜなら
武将が戦を決めるときは
やられると意識したとき
むざむざやられるなら
こちらから戦闘開始だ!とする
本能寺の変もそう
これは明智の末裔の先生も
おっしゃってますね
戊辰戦争となり
上野の山で彰義隊も近くにある将軍のいる寛永寺まで届くよう
長州の大村益次郎 は薩摩が前線にいようがなんだろうが
大砲の弾を打ち込んだ
西郷隆盛が抗議して
薩摩藩士まで殺す気か!というと
もとよりそのつもりだ
と答えたのは有名
それは、甘ちゃんの薩摩藩の島津兵への警鐘
俺たちは
幕府を徹底的に潰すためにやっている
一人一人が
毛利の命令じゃなく
勝つことしか考えてない
それに犠牲は当たり前
将軍の血筋もろとも殺すべきなんだよ!と
決死の覚悟が長州にはありました
もしここで大村が
わかりました!やめときますか!
危ないですもんなー!
と話したら
負けますよ
少しの隙も与えたらダメなんです
特に仲間には
裏切るならお前らも殺すぞ
そんな繋がりで
薩長はいましたね
明治政府になり
さっさと殺されてしまう薩摩の2人の政治家
大久保、西郷
それは、自らの立場が薩摩の藩士から
脱却できなかったから
長州は最初から薩摩に殺された仲間がいるから
それも恨みがあった
だけどいじめられた長州1人では
勝てない戦だから
手を組んだだけ
西郷さんの西南戦争の最後の言葉
もうこれくらいでよか
これが薩摩の軍のトップだった男の言葉
勝てない潮目をみたから
ついに諦めた
しかし、それが敗因です
どんなに潮目が見えても
リーダーが戦いをやめたら
だれもついていけないのが薩摩藩
そういう郷士教育だと思います
総崩れになり逃げ道すら
見つけられず死に至る
その時に熊本隊で戦っていた佐々友房は
この薩摩の将に違和感を感じたと思う
つまりこの戦争に
義がないと気づいたのでは
正しいものは何なのか迷い、牢から出た後
済済黌の前身の塾を作り
世のためになることと
勝つメンタルを教えたと思います。
彼の教えは今も受け継がれ
M iuも
第1期生の曽祖父も
1人でも勝つメンタルを持つようになっています。
なのにいつしか
幕府のようにOB会が大きくなり
大切な正しい意見を受け入れず
あのいじめの4人のようなものを
見て見ぬ振りをしてきた
目立つ奴は排除
それが現実なのかもしれません
徹底的にやること
勝つ事で今度は
そんなにやらなくてもーと声が上がり
あたかもM iuが井伊直弼が如くに
嫌われてしまう
図式も想定内ですよ
いじめ被害者の訴えが
加害者いじめに見えてくる図式ね
それはやり方によるのでしょうが
勝敗をすり替えるな
と言っておきます
これを徹底しないから
負けてもいい!2位じゃだめ?
なんて発想になり
世界で勝てないんですよ!
オリンピックが東京だからと
東京で勝てる方法じゃだめ
世界レベルで勝つ事を考えて!
あえて言います
長州は
1人でも勝てる教育をしてきた
吉田松陰先生が
その人の良いところを引き延ばす
ハーバード式の教え方
だから首相も長州閥も強かった
最初の総理大臣を
長州の伊藤博文がやりましたが
彼も松陰先生に憧れた志士です
黒田官兵衛の居城ではありますが
今は歴史好きなコピーライター様がご経営
誰も生きてないのだから!
の引用はずいぶん勝手な解釈ね
こんな意味で使ってないですよ
福島地名女。
Miuが将軍なら
こうも簡単に考えもせずに人を攻撃する
藩主は即刻改易です
命までは取りませんが
いえ、優しいんじゃなく、
切腹の名誉は与えませんよ
の謝罪もまだですよ
M iuがこの城の軍師なら
即刻謝罪と謝罪文を載せて
事の経緯について
対面して話し合い
その相手の懐に入りますよ
どの生き延びた大名も
負けた相手にうまく入り込み
家来となりその家を繋いでいきました
負け戦かどうか
瞬時に判断するのも大切
特にそれが、たくさんの家来を持つ
藩主ならね
西郷隆盛がもし
もうよか
と言わず
幹部で謝ろう!俺が打ち首されてよかけん
お前たちは政府で使ってもらえるよう
命と引き換えに頼むけん!
生きろ!死ぬなよ!
それが軍将の最後であってほしかったと
薩摩藩ハーフのM iuは思います