諫早湾の干拓をめぐる争いが法廷で続くことになった。
漁業者の訴えに基づき、湾を閉ざした水門を期限を区切って開くよう命じた判決が確定したのが2010年。これに対し、その後の事情の変化を理由に、命令を履行しなくてもよいという判決を求めて、国が裁判を起こす。福岡高裁は認めたが、おととい最高裁第二小法廷はこれを破棄した。本当にそれだけの「事情の変化」があるか、高裁で改めて審理が行われる。
福岡高裁判決は明らかにおかしかった。開門命令が出た当時の漁業権は13年8月末で消滅したから、もはや開門の根拠は失われたと結論づけたのだ。
最高裁は、同じ内容の権利が与えられることを前提に開門命令は出ていたと述べ、高裁の判断を否定した。実際に、漁業者は切れ目なく新たな免許を取得し、漁を続けてきた。
形式的・表面的な法解釈で国側に軍配を上げた福岡高裁は、混迷に拍車をかけただけだ。破棄されたのは当然である。
ただし、では開門への道が見えたかといえばそうではない。
同じ第二小法廷は6月、諫早干拓に関する別の裁判で「開門せず」との判断を支持した。おとといの判決でも菅野博之裁判長が補足意見を書き、「事情の変化」の判断にあたっては、開門命令の確定後に積み重ねられている司法判断も考慮材料になるとしている。
だがこの見解は承服し難い。気に入らない判決については、従わず、時間をかけて別の既成事実をつくっていけば、やがてほごにできるというメッセージを、社会に発することになる。
この間(かん)の国の態度は、誠実とはほど遠いものだった。
命令が確定した後、今度は干拓地の営農者が開門しないよう求めて提訴すると、国は積極的に反論せず「開門禁止」の判決を引き出した。そして相反する判断の板挟みになったとして、対応を先送りにした。問題の根本にある、湾の閉め切りと漁業被害の関係は不明のままだ。
そこからは、長年進めてきた干拓事業の否定につながりかねない開門は、何としても避けたいという、事業者の顔しか見えない。公共の担い手としての使命は放棄され、結果として漁業者と営農者の対立は埋まらず、逆に分断を深めた。
解決は容易でない。だが、仮に裁判所の判断が「開門せず」で決着しても、このままでは地域の真の再生は期待できない。
差し戻し審理の中で、あるいは法廷を離れて、関係者に真摯(しんし)に向き合い、ぎりぎりの合意点を探る。それを主導し調整するのが、ここまで事態をこじらせてしまった政治の責任である。
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