「甘い日本酒はもう終わりだ」吟醸王国山形を創った名将が見据える未来 <前編>

「新政」に大きな影響を与えたロマンチックな芸術家

 「俺が小関先生の最後の忠実な弟子だから」 「あの人には勝てない。世の中で一番かなわない」

 まるで週刊少年ジャンプから抜け出した主人公のようなセリフを大真面目に語るのは、新政酒造(秋田県秋田市)の社長である佐藤祐輔さん(以下、祐輔さん)だ。

 私がプロデューサーとして日本酒メディアに携わるようになってから、蔵元や日本酒関係者の方々と知り合う機会が増えた。自分が山形出身だと言うと、高い頻度で聞かされる名前が「小関敏彦先生」。公務員なのに山形県を「吟醸王国」に育てた人だとか、あの「十四代」の酒質を設計した人だとか、耳にする逸話や実績が褒め言葉ばかりなのだ。山形県の日本酒関係者だけではなく、地域や年齢を問わず、誰もが敬意を持ってその名前を語るのである。

 気になった私は、隣県の秋田でもその先生の評判は高いのかと、祐輔さんへ“気軽に”尋ねてみたところ、なんと話がまったく止まらなくなってしまった。気がつけば1時間以上も、祐輔さんが熱っぽく語る「小関先生への愛」に耳を傾けていた。憧れの男子の話で盛り上がる女子高生のようで、なんだか微笑ましい。

新政酒造 佐藤祐輔さん
小関先生から指導を受けた日々を追想する佐藤祐輔さん

 東京でジャーナリストとして活動していた祐輔さんが、新政酒造を継ぐために実家へ戻ったのは2007年。その頃の新政酒造は現在とは違って、大衆向けの「普通酒(※1)」を主力商品とする、昔ながらの酒蔵だった。売れ残りの在庫を大量に抱え、経営状態が逼迫していることを知った祐輔さんは、愕然とする。「酒造りにジャーナリズムのような創造的価値を見出して秋田に戻ってきたのに、これでは酒造りを楽しむどころか、数年以内に蔵が潰れてしまいそうじゃないか」と。藁をもすがる思いで、「十四代をプロデュースした名将」として知られていた「小関先生」の教えを請うため、山形まで約3時間半、夢中で車を走らせた。

 「小関先生は、俺の話を少し聞くとすぐに『経営が大変なことになっているだろう?』と。追い詰められているのがわかったんだろうね。そして、『会社を生き残らせるためには普通酒から逃れろ。在庫をなくして、自分たちで良質な酒を造れ。やるなら早い方がいい』と、アドバイスしてくれて。それから一気に、小関先生の言うことを忠実にやり遂げたんだよ。そうしたら、経営状態が良くなった。あまりにもすごいスピードでやったから、『まさか本当にやると思わなかった』と驚かれたけど(笑)」

 それから祐輔さんは、何度も山形に通った。約10年の時を経て、今では国内屈指の人気を誇る酒蔵となった新政酒造。けれども、今も祐輔さんの精神を支えるのは“小関イズム”だという。

 「実はほとんど知られていないんだけど、“酸が高くて、香りや甘さが穏やか”という新政の酒の特徴は、その頃に小関先生から学んだことが影響しているんだよね。小関先生は甘さを強調しない、いわゆる質実剛健な酒を推奨していたから。当時は今以上に、香りが高くて甘い酒の全盛期。でも小関先生は、『売れることよりも大切なものがある』と教えてくれた。その言葉が、今の自分の礎になっていると思う」

新政の人気銘柄
新政の人気銘柄

 これには驚いた。新政の人気たる所以である酒質に、ひとりの山形県職員が大きな影響を与えていたなんて。

 「各県の食品センターみたいなところの職員さんたちは、たいてい理系出身のいわゆる技術者。でも小関先生はそうではなく、“全方位型”の教養人なんだよ。もちろん技術的な知識にも長けているけれど、第一に経営的な視点を重んじるし、マーケティングなどにも造詣が深い稀有なタイプ。だから、カリスマ的な指導者になったんだと思う。また何よりも、小関先生が人の心を惹きつけるのは『ロマンチックな芸術家』だということ。師としてだけではなく、人間として魅力的だよね。今でもまったく頭が上がらないよ」と、頬を紅潮させながら恩師を絶賛する祐輔さんに、よほどすごい人なのだろうと血が騒いだ。

 山形県外の蔵元にまで敬愛される「小関先生」とは、いったいどんな人なのだろう。そして、「ロマンチックな芸術家」というのはどういう意味なのだろう。私は、はやる気持ちを抑えられず、さっそく小関敏彦さんへ取材を申し込んでいた。

※1 普通酒: 吟醸酒・純米酒・本醸造酒などの「特定名称酒」として区分されない日本酒。当時の新政酒造は、普通酒を主力商品とする大きな酒蔵だった。

俺たちはゲリラだ! 弱者たちの団結

 その日、私は緊張していた。そんな大先生なら、きっとカタブツに違いない、と。しかし、「いやあ、暑いね〜」と、軽快な足取りで山形県酒造組合の応接室に入ってきた小関さんは、良い意味で私の想像を裏切った。背が高く、すらりとしていて若々しい。イメージしていた「カタブツの大先生」とは真逆の印象だ。山形弁でジョークを交えながら話しかけてくれる小関さんに、緊張の糸がみるみるうちにほぐれていった。

 小関さんは1980年から山形県職員として「山形県工業技術センター」に勤務。長きに渡って、山形の酒造業界に貢献してきた立役者だ。2016年に定年退職したが、現在も「山形県酒造組合」の特別顧問や「山形県産酒スーパーバイザー」などを務め、山形の酒に情熱を注いでいる。

山形の日本酒
山形の日本酒 (山形市「酒縁 しょう榮」にて)

 小関さんが残した功績のひとつとして、「山形県研醸会(けんじょうかい)」の設立がある。1987年に山形県工業技術センターの研究員だった小関さんたちによって結成された研醸会は、山形県酒造組合に所属する蔵元や製造技術者などで構成される“官民連携型”の酒造研究会だ。当時、そうした組織は全国のどこにも存在せず、非常に画期的な試みだったという。

 「私が工業技術センターに配属された1980年代初頭頃は、消費者の日本酒離れが加速度的に進んでいました。業界全体に『この先、どうしたものだろう』という不穏な空気が蔓延し、山形の酒蔵も例に漏れず深刻な状態でした。爛漫(※2)などの大手に桶売り(※3)をしていた酒蔵が多かったのですが、どんどん切られはじめていたんです。だから、なんとかしなければと焦っていました」

 酒造業界に暗雲が立ち込めていた80年代後半、32歳だった小関さんは衝撃的な宣告を受ける。工業技術センターの醸造関係業務を大幅に縮小するというのだ。上司が全員異動になり、醸造部は新人の部下と小関さんの二人だけが所属する“零細チーム”となった。まるで、山形の酒には未来がないという烙印を押されたようだった。

 「悔しくて、悔しくて。絶対に山形の酒を盛り上げて、見返してやろうって。でも、自分には実力も知識もない。だから、毎週末に県内の酒蔵を回って勉強していたんです。このあたりの蔵の裏口はだいたい把握していたから、そこから忍び込むわけです。蔵人のじいちゃんたちから見ると、私なんて孫みたいなものだから、かわいかったんでしょうね。いろんなことを教えてもらいました」

 反骨精神が、若かりし小関さんを突き動かした。休日の酒蔵に裏口から潜入するなど、普通の公務員がけっしてやらない型破りな行動力で、徐々に蔵元や杜氏などの信頼を得ていく。そうするうちに横の繋がりが広がっていき、官民の垣根を越えた研醸会の結成に結びついた。

 「山形の上と下、そして西には、たくさん日本酒を売っている県(※4)があるから、同じように普通酒を売ったって太刀打ちできないんです。山形の酒蔵はみんな弱かったから。それならば、弱い者同士、力を合わせて戦おうじゃないかと。その頃はあまり市場に出回っていなかった吟醸酒(※5)で勝負しようということになりました。『俺たちはゲリラだ! みんなで掴みに行こうぜ!』と、結束したんです」

 逆境をプラスに転換していった小関さんと研醸会。当時、吟醸酒の“先進国”は西日本の広島県や灘(兵庫県)などだったが、“後進国”である北国の弱者たちが捨て身の覚悟で猛追していく。そして、研醸会結成からわずか4年後の1991年には、山形県は全国新酒鑑評会(※6)の金賞獲得数で3位に。「吟醸王国」として、その名を全国に轟かせるのだ。

研醸会
研醸会では結成から約30年を経た現在も、官民の垣根を超えてさまざまな研究開発が行われている。

※2 爛漫:秋田県湯沢市にある大手酒造会社・秋田銘醸株式会社の主要銘柄である「美酒爛漫」のこと。

※3 桶売り:造った酒を瓶詰めなどせずに、原酒のまま別の酒造業者へ売ること。買う側は「桶買い」と呼ぶ。

※4 山形の隣県:山形の上(北側)には秋田県、下(南側)には福島県、西側には新潟県という銘醸地に囲まれており、それぞれの県には大手の酒蔵がいくつも存在している。

※5 吟醸酒:精米歩合60パーセント以下の高度に精米した酒米を使用し、もろみを低温でゆっくり発酵させ、特有の芳香(吟醸香)を有するよう醸造したもの。

※6 全国新酒鑑評会:独立行政法人酒類総合研究所と日本酒造組合中央会が共催する、新酒の鑑評会。毎年5月頃に結果が発表される。全国規模で開催される唯一の清酒鑑評会で、酒造業界での注目度が非常に高い。

酒は情緒あるもの。データを追うべからず

 研醸会でもっとも革新的だったことのひとつが、酒造りに関するデータの集積と公開だろう。それぞれの酒蔵が酒造りのデータを提出し、お互いを比較しながら学習し合うシステムを構築したのだ。それまでは、ライバル関係にある他社に、自社の酒造りの核ともいえるデータを見せることなど考えられなかったという。そうした風潮に、小関さんはメスを入れた。

 「そりゃあ、前例がないことをするんだから、最初は大変でした。あの蔵のあいつは嫌いだとか、なんでデータを渡す必要があるんだとか、反発だってあったと思う。でもね、わがままなど言わせなかったですよ。勉強会だって、タクシーなどで逃げられないように、山奥に閉じ込めて合宿させるんです。勉強会の内容よりも、部屋割りのセンスが問われました。個性の強い蔵元や杜氏などを、いかに仲良くさせるかが鍵になるから」と、小関さんは笑いながら当時を回想する。

 そして、小関さんの予測通り、山形の酒は飛躍的に向上していった。それまでは孤軍奮闘していた酒蔵たちがまとまり、同志としてお互いを高め合うようになったことが功を奏したのである。

 ちょうどその頃、研醸会のメンバーでもあった出羽桜酒造(山形県天童市)の仲野益美社長が、ひとりの青年を連れて小関さんの元を訪れた。その青年とは、高木酒造(山形県村山市)の跡取りとして、仕事を辞めて実家に戻ってきた高木顕統さん。蔵に戻ってきたばかりの高木さんは、思うような酒がなかなかできず、かなり悩んでいたという。そこで小関さんは仲野さんとともに、高木酒造の特性を活かした“新しい概念”の酒質を考案する。

 「当時は新潟を中心とした淡麗辛口の日本酒が全盛期。でも私は、淡麗辛口の酒は絶対に飽きられると思っていたんです。また、あの蔵の麹室の設計や発酵経過などを考えると、濃醇な方が合うという確信があった。そこで思い切って、トレンドとはまったく路線の違う、芳醇旨口な酒質を設計しました。だけど高木くんは当時、良いコメをあまり融通してもらえなかったり、いろいろと難しい環境でね。だから、非常に苦労しながらやっと良い酒を完成させたものの、ごくわずかな量だった。彼はそのなけなしの酒を持って、東京へ売りに行ったんです。そうしたら、あっという間に人気に火がついて。時代がああいう酒を欲していたんでしょうね」

 こうして1994年に、今日では「幻の酒」などとも呼ばれ、国内外を問わず高い人気を誇る銘酒「十四代」が誕生した。フレッシュでエレガントな芳醇旨口の十四代は、業界にセンセーションを巻き起こす。このような実績の数々が認められた小関さんは、県内だけではなく、全国にその名が知られるように。東北をはじめとした全国の蔵を回って指導し、あらゆる酒造関係者から尊敬される存在となっていくのだ。

十四代
今では垂涎の的となった「十四代」

 ところで、気になったことがある。小関さんが旗手となって実現した酒造りのデータ公開は、リスクも伴うのではないか? 売れる酒が真似されてしまったり、似通った酒ばかりになったりしないのだろうか? そんな私の素朴な疑問は、小関さんに一蹴された。

 「データなんて、所詮データに過ぎないんですよ。データを集めて共有したところで、同じ酒を造れるかというと、そうではない。酒って“作品”ですから。そこから先は、造り手の思いや個性など、いわゆる人の力が試されるんです。酒は情緒あるものなんです。美しい作品は、データをいくら真似したって生み出せない。どう頑張っても、無理、無理!」

 ああ、なるほど。祐輔さんが小関さんを「ロマンチックな芸術家」と評していた理由がわかった気がした。小関さんは誰よりも酒をアカデミックに研究し、酒造りのデータも科学的に読み解いてきた第一人者。しかしながら、美しい酒を生み出すものは、データではなく情緒だと説く。このように人間味溢れる人だからこそ、旧態依然としていた山形の酒造業界をひとつにまとめ上げることができたのだと。

酒は情緒だと語る小関さん
酒は情緒だと語る小関さん

 <お知らせ>
後編は、近日中に公開予定です。
後編では、業界トップクラスの指導者として長年活躍してきた小関敏彦さんならではの視点で、今の日本酒業界が抱える課題や今後の展望を深掘りします。さらに、山形の蔵元や農家の方なども登場。さまざまな角度で「山形の日本酒」を描き出します。お楽しみに!

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