Anti-Suffering Anti-Life:アンチ-サファリング アンチ-ライフ

Anti-Suffering Anti-Life

アンチ-サファリング アンチ-ライフ



"何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?ー世間は常に燃え立っているのにー。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?"

―ガウタマ・ブッダ[1]


美しい惑星の物語



我々の多くは、他のものを幸福にするために、意図しない苦しみを他者に強制することは悪いことだと信じている。しかし、これこそ出生のルーレットが行っていることである。例えば、ある赤ん坊は生まれて数日で痛みの中死んで行くだろうし、また別のものは生涯に渡る耐えがたい鬱病に苦しむだろう。これらの人々は、他のより幸福な人々が生まれて来られるようにするために生を強制されるのだ。

...最良のオプションが自殺しかない一生に人々を強制的に送り出すことは、他のものが良い生活を送るために支払う代償としては大きすぎるものである。

―ブライアン・トマシック[2]

WHOの発表では、世界では推計3億2200万人が鬱病に苦しんでいる。世界人口の4%であり、日本の人口の3倍近くの数である。鬱病を主要原因として、年間80万人の人が自ら命を絶っている。これは、15歳から29歳の死因第2位で、40秒に1人が自らの生に終止符を打っている計算になる[3]。

想像してみてほしい。息苦しく、出口の見えない言い知れぬ不安や悲しみに襲われ続ける日々を。自分や自分に近しい存在の経験するものとして想像してみてほしい。

国連による発表では、2016年の飢餓人口は8億1500万人に達していた。これは、世界人口の11%、実に9人に1人の割合である。6秒に1人の子供が、その飢餓によって命を落としている。2050年には、この飢餓人口は(このままのペースで人口が増加するのならば)20億人増加すると予測されている[4]。

想像してみてほしい。栄養失調のために貧血、壊血病、皮膚発疹を起こし、壊疽(えそ)性口内炎によって顔面の組織が壊死していくことを。一時も満たされることなく、無力なまま息絶えていく一生を。自分や自分に近しい存在の経験するものとして想像してみてほしい。


世界には1億4000万人の孤児がおり、1億6800万人の子供が労働を強いられ、2億6300万人の子供が教育を受けられず、5000万人の子供が国を追われ難民となっている[5-8]。

世界は苦しみに満ちている。

これは、貧困国や遠く離れた場所に限った話ではない。

日本の自殺者数は、1977年以降(2016年までの統計で)年間2万人を下回ったことは一度もない[9]。1年の間に自殺未遂を行った人数は推定53万人を越え[10]、鬱病患者数は、医療機関を受診している人の数だけで100万人を超えている[11]。

こうして、何千、何万、何億と数字にまとめられてしまうと、人はその現実の持つ意味の深刻さが理解できなくなってしまう。

しかし、1つの例だけでいい。真剣に自分に身近な問題と思って想像してみてほしい。悪人のために、善人が無力に絶望の底に突き落とされることを。目の前の苦しみを救えない無力感を。どんな慰めも通用しないような悲しみを想像してみてほしい。

何ものでも埋めることの出来ない苦しみは、日常に溢れている。これは考え方の問題ではない。楽観主義的なバイアスを取り除いてありのままを見れば、世界がいかに悲惨な場所なのかは明らかなはずである。

こんな世界を存続すべきではない。新たに知覚ある存在を生み出してはいけない。これは意見じゃない。事実なのだ。

なぜ苦しみが問題なのか



"極度の身体的痛みに襲われたとき、人はその恐ろしさにいつも衝撃を受ける。 孤独、拒絶、実存的不安、嘆き、不安、鬱などの純粋な「心理的」痛みは、極度の身体的痛みほど残忍なものにはなりえないと考えたい誘惑に駆られる。しかし、世界で毎年80万人以上の人々が自分で命を絶つのは、主に心理的苦痛が理由である。他のもの――偉大な芸術、友情、社会正義、ユーモアのセンス、人格の向上、奨学金など――に価値がないわけではない。しかし、激しい身体的苦痛、あるいは心理的苦痛が――自分の人生にであれ、愛する誰かの一生にであれ――侵入してきたとき、我々はこの激しい痛みこそが、迅速な優先性と緊急性を持つものだと認識するのである。あなたが扉に手を挟んで悶えているときに、人生のより良い側面を思い出せ、などと誰かが言っても軽くあしらうだろう。恋愛で不幸な目にあって打ちひしがれているとき、軽々しく外は美しい日であるなどと指摘してほしいとは思わないだろう。"

―デイヴィッド・ピアース[12]

「世界には様々な喜びも存在しているのに、なぜ苦しみだけが問題なのか」。こんな答えが自明なことに、敢えて説明を求められることが珍しくないという現実がまた絶望的である。

苦しみを取り除くことは何ものにも代えがたい圧倒的優先性を持つ。そもそも私たちの日々の営みの全ては、苦しみからの逃走に他ならない。『鏡の国のアリス』の中で赤の女王は言う:「同じところに留まるためには、全力で走り続けなければならない」[13]。

孤独、空腹、渇き、性的欲求不満、暑さ寒さ、退屈、これらの種々の苦しみから逃れるために、私たちは休むことなく走り続けなければならない。そしてその苦しみが遠ざかったほんのわずかに持続する状態を「幸福」と呼んでいるに過ぎない。さらに意識ある生物は、しばしばそこで与えられる余剰の快楽に生得的に中毒であり、その余剰な快楽は理性を麻痺させ、現実を正しく把握することを妨げる。

私たちにとって苦しみがデフォルトであり、幸福はそれに従属する消極的な存在でしかない。「幸福は幻であるが、苦痛は現実である」というヴォルテールに帰せられる言葉は、その本質を記述している。

以下のショーペンハウアーの洞察に付け加えるべきことは何も無い。

一切の生あるものを駆り立てて動かし続けているのは、生存への努力だろう。ところが一旦生存が確保されてしまうと、彼らはこの先どうしたらよいかわからなくなってしまうのだ。そのため彼らを動かす第二のものは、今度は生存の重荷から逃れ出して、それをもう感じないようにしようという新しい努力となるのであり、「時間をつぶす」こと、すなわち退屈から逃れようとする努力となるのである。…だからまた退屈を防ぐためには、どこの国でも他の一般的な災難を防ぐのと同じように公の防止対策が講じられている…この退屈という害悪は、その反対の極である飢饉と同じように人間をはなはだしい無法状態へと駆り立てかねないものだからである。民衆というものは「パンとサーカス」を必要とするのである。

あらゆる成就、あるいはひとびとが通例幸福と呼んでいるようなことは、もともと本質的に言えばいつも単に消極的なことにすぎないのであって、断じて積極的なことではあり得ない。それはもともと向かうからわれわれの方におのずと近寄ってくる祝福ではなく、いつの場合もなにかの願望の成就といったことであるほかないものである。願望、すなわち欠乏があらゆる享楽を成り立たせる先行条件である。ところが願望が成就すると、その願望も、したがってまた享楽もなくなってしまうであろう。そういうわけだから満足とか幸福とかいってみても、それはなんらかの苦痛、なんらかの困窮からの解放という意味以上のものではあり得ない[14]。

例え幸福がどんな存在論的性質を持つものであっても、苦しみが配慮の優先性と、世界の価値を決定づける重みを持っていることを否定することは出来ない。

事故で片足を失い泣き叫んでいる人の前で、「人生は素晴らしい」、「何もかもうまく行くよ」などという言葉が意味をもつと思うだろうか? 少しずつ視力を失いやがて失明してしまう不治の病を抱え悲観に暮れている人に、「人生は考え方次第だ。ネガティブになるな」という安い言葉が励ましになると思うだろうか?

あなたが最良の一日だと感じるその日が、別の多くの誰かにとって長く耐えがたい一日であったとしたら――実際にどの一日もそうであることは間違いないのだが――、それでもその一日を素晴らしい一日と呼べるだろうか?

例え彼らの苦しみが次の日に癒えたとしても、また別の誰かが絶望に突き落とされる。そして運良くあなたがその絶望的な一日を過ごしていなかったとしても、あなたが別の誰かの絶望に寄与していたらどうだろうか?

アフリカのカカオ農園では数十万人の子供たちが厳しい労働に従事させられ[15]、1億7000万以上の子供たちが、先進国のファストファッション産業のために劣悪な労働を強いられている[16]。

工業畜産場では数千億の動物たちが強制的に生み出され、そのうち数百億が、屠殺場に向かうまでの数年間の短い期間を生き延び、殺されている[17]。この畜産場と、家畜の飼料を栽培するための土地を確保するために、広大な森林が開拓され、そこに住む動物たちが住処を失っている[18]。

脳みそが頭のバランスを保つための重り程度の役割しか果たしていないようなものたちが、味覚の快楽のためにこの狂気を支持している。余剰な快楽がどれほど理性を麻痺せてしまうのかを示すわかりやすい例である。そして、彼らが「知性」と呼ぶ、搾取と自己弁護と、他者の不幸を自分の得点稼ぎに利用するための「狡猾さ」が、その行為を正当化する特権を与えるのだと信じているのである。

例えすでにビーガンであっても、このような犠牲への寄与をゼロにすることは出来ない。そして、例えその寄与を最小限にし、安定した生活を確保する保証があったとしても、この世界に新たに子供を生み出すことは絶対に許されない。

その生まれた子に善良な心があるなら、その子自身の生活がどれほど恵まれていようと、苦しんでいる他者のことを想像して同じように苦しむだろう。これはその子自身にとって生まれるべきでない理由になる。もしそのような心を持たないとしたら、それは世界にとって生まれるべきでない理由になる。

生まれた子供が主観的な評価で幸福だと感じようとも、あるいは不幸に感じようとも、いずれにしても悲劇的であることに変わりはない。幸福とは、他者の苦しみに対して無知で無関心でなければ成り立たない状態なのだから。

詩的願望で城壁を作り上げ、周りの絶望から隔絶された狭い狭い領域で享受する甘美な生活を、より広い視点から眺めてみてほしい。その外で苦しんでいる何億ものものたちと、その中にいる少数のものたちの喜びを対比し、その虚しさを噛みしめてほしい。

もう新たに加害者も被害者も生み出してはいけない。この生命世界を存続させることに寄与してはいけないのだ。

自然は偉大ではない



"自然はDNAの生存に影響を及ぼさないかぎり、苦しみには関心がない。たとえば、ガゼルが致命的な噛み傷を負いそうなときにガゼルを鎮静させるような遺伝子を想像するのはたやすい。そのような遺伝子は、自然淘汰に選り好みされるだろうか? ガゼルを鎮静させることによって、遺伝子が増殖しやすくなって将来の世代へ伝えられる機会が増えるのでない限り、否である。そうなるとは考えにくく、ガゼルが追いつめられて死ぬ――彼らのほとんどが結局そういう運命をたどる――ときには、恐ろしい苦痛と恐怖に苦しむことは想像に難くない。

自然界における一年あたりの苦痛の総量は、まともに考えられる量をはるかに越えている。私がこの一文を考えている瞬間にも、何千もの動物が生きたまま食われているし、恐怖に震えながら命からがら逃げている動物もいるだろうし、身体の内部からいらだたしい寄生虫に徐々にむさぼり食われているものもいる。またあらゆる種類の何千という動物が飢えや渇きや病気で死につつあるのだ。そうにちがいない。たとえ、豊饒のときがあるとしても、それは自動的に個体数の増加につながり、結局は飢餓と悲惨という自然な状態に戻るのである。"

―リチャード・ドーキンス[19]

本来素晴らしいものであった生命の営みを、人類が台無しにしてしまっただけだ、という考えも救いようがないくらいナイーブなものだ。

人類が誕生し、ほんの一部の守られた環境にあるものたちが、生まれることや生きることの素晴らしさを詩的に語り始めたのは、生命の歴史のうちで極最近の出来事でしかない。

それまでこの惑星で行われてきたことは、無慈悲で無計画な奪い合いと殺し合いだ。では人類がそこに加わった今行われていることは何か? 相変わらず無慈悲で無計画な奪い合いと殺し合いである。


現在自然界にはどれくらいの動物がいるのだろうか? 正確な数はわかっていない。人類はそれに真剣な意図を持って関心すら向けてこなかった。私たちと同じように感情や感覚を持ち、痛みや苦しみを経験する途方もない数の動物たちが何億年にも渡り繰り広げてきた、一切の慈悲もない虐殺の歴史を、単なる機械的な営みとしか認識してこなかった。

世界に先駆けて、野生動物の苦しみについての真剣な取り組みを始めているFundational Research InstituteやWild Animal Suffering Researchの研究者の見積もりでは、哺乳動物だけでも数千億から1兆は存在していると考えられている[20][21]。苦しみを感じる能力が分かっている鳥類や爬虫類や魚類などを含めれば、苦しみを経験する存在の数が文字通り桁外れになることは間違いない。

彼らは調和した美しき自然の従順な歯車の役割を、自ら誇りを持って務めているとでもいうだろうか? 捕食動物に狙われた動物は、自然淘汰によってそのために最適化されてきた身体を使い全力で逃走する。逃げ切れず捕獲されてしまった場合は、張り裂けるような声を上げ、内臓をむき出しにして死んで行く。

彼らは何が起こっているかを理解していない。何も知らないまま、馬鹿げた遺伝子の競い合いにマシンとしてエントリされ、組み込まれたミッションを原始的な衝動に駆られこなしているだけなのだ。ヘマをすれば苦しみという罰が与えられ、上手くやれば見事次の世代に自分のコピーをエントリできる。いかなる生産的なビジョンもない、苦しみだけが生産されるこの無益な競い合いに。そして結局自分は破壊され消え去る。

これが何億年とひたすら繰り返されてきたことだ。目的もゴールもない。誰も何も得ることはない。

イヌやネコや私たち自身ともその生理システムの大部分を共有する彼らが、恐怖も苦しみも痛みも一切感じないと本気で信じているものは、以下の動画を観て、自分の軽い頭がファンタジーな風に吹かれ現実からどれだけ遠く離れた場所まで飛ばされて来たのかを確認するべきだろう。



希望の犠牲者たち



"あなたの子供や孫やひ孫がたちが、言い表すことも出来ないほどの苦しみを経験する代わりに、その先の世代のものたちがみな至福に満ちた生を送ることが分かっていると想像してほしい。その場合にも、あなたは次の世代を生み出すことを選択するだろうか?"

―デイヴィッド・ベネター[22]

世界が苦しみばかりなのは、世界がまだ未成熟であり、平和へ向けた発展の途中段階だからだというものもいるかもしれない。

ナイーブな楽観主義者として名高い心理学者スティーブン・ピンカーや、科学史家マイケル・シャーマーらは、世界は進歩しており、人類は現在最も道徳的で平和な時代を生きているという[23][24]。人類のみを切り取れば、それ自体への批判もあれど、確かに事実と言える側面もあるかもしれない。しかし、シャーマー自身が認める通り、それは「人類」に関するものに限った話である[25]。

いずれにしても、進歩への希望という見方自体がまた、許容しがたい暴力的発想である。もちろん、存在している限り目の前の問題を解決し、改善する努力を絶やしてはならない。しかし、誰かの「理想的」未来のために、積極的に世代をつないでいくことは誤った考えである。

辿り着くかもわからない未来の世代のものたちが安い脚本を実演するために、新たに何百、何千、何万世代と苦しみの連鎖を継続することが、何らかの意味で前進的な考えだと言えるだろうか? 孫たちの喜びのために、我が子を拷問することが善だと言うのだろうか?

誰かの血と涙で描かれた絵を美しいという感性に疑いを持たなければならないのだ。そもそも、自分たちが一体何を目指しているのか今一度冷静に考えてみてほしい。死体を積み上げた先に一体何があるというのだ? 地球上の生物が意識を獲得して以来、この惑星で生じてきた途方もない苦しみを埋め合わせられるものが、元々意味も目的もない営みの先に存在するという発想の根拠が、一体どこにあるのだ?

トーマス・メッツィンガーは人間の苦しみと意識モデルについての洞察の中でこう分析している:

成功するどんな主体者も、自発的な動機付けが可能でなければならない。この自律的動機付けの問題への一つの解決策は...より大きなタイムスケールへの自動的逃避によって構成されるかもしれない。進化は、現在が退屈であったり、単純にあまりに不快となったりした途端、自動的に自分の境界を拡大する自己モデルを生み出してきたのだろう[26]。

つまり、人間は、現在の退屈さや不満足さに打ちのめされないように、未来に快楽への希望を見出し、それによって積極的に生きるための動機付けをするのだと。これに、より根深い「生きることは素晴らしい」、「子供が生まれ、系統が存続することは祝福すべきことである」という信仰とも呼べる信念が組み合わさることで、恐らく漠然とした未来の世代への希望が形成されるのだろう。

だが改めて、その先に価値あるものなどない。始めから不完全なものが存在しなければ、完全さへ向けた努力と、それに伴う犠牲の必要はない。足りないものがなければ埋める必要はない。壊れたものがなければ直す必要はない。病がなければ治療の必要はないのだ。

世界は根本的に破滅している。生物も根本的に破滅している。意識ある生物にとって、苦しみという病は命と不可分にある。私たちはそれをほんのわずかずつ修正する、あるいは「誤魔化す」ことを進歩と呼び、何倍にも誇張された希望によって、向う見ずな苦しみの再生産を続けているだけなのだ。

アンチ-ライフという答え



"私は何も望んでいない。ただお前たちが狂気や、キチガイな行為――この破滅したシステムに投資し続けること――から身を引いてくれること以外は。それは根本的に破滅しているんだ。この忌々しいゲームに勝者などいない。出来ることはせいぜい、愚かなDNA分子によって設計された欲求の一部を満たすことだけだ。お前たちは、何をどうしようがその分子に支配されているんだ。私は知性を弁護しているんだ。論理を使いお前たちが投資している狂った病的な方程式をよく見ることを弁護し、「待て、立ち止まれ!我々が投資しているものが一体何なのか、立ち止まって考えなければいけないんだ」と言っているんだ。"

―インメンダム[27]

しかし、これだけ広大で底の見えない苦しみの海に囲まれ、私たちに何が出来るというのだ、という嘆きもあるかもしれない。だが私たちに出来ることはある。

まず、直ちに生殖という選択を放棄することだ。すでに子供を生みだしたことがあるものでも、そうでないものでも、これ以上新たに生命を創造してはならない。

これは自分自身の子供に限った話ではない。増やすことだけでなく、増やさせることもしてはならない。畜産、ペット産業など、知覚あるものたちを繁殖し、拷問を加える産業をボイコットするのは当然だ。だがそれだけじゃない。希少種の繁殖、絶滅種の再現、そして人工意識の開発。これらすべてにも全力で反対していかなければならない。

そして、野生動物の管理と苦痛のない不妊化の技術開発を後押しし、真の意味での知性を、未来の収縮の方向に向けて利用していかなければならない。

存在とその連鎖の無意味さと悲惨さを声にし、書き記し、広めていかなければならない。知覚を持つすべての存在の第一の権利として生まれない権利を、自由な不妊化の権利を、そして望むものには安楽死が与えられる権利を、訴えていかなければならない。

何十億年と続いてきた地球の生命の歴史で、偶然その営みの恐ろしさを認識する能力を得た一群に属している私たちは、それを行わなければならない。終わりにしなければならない。

強がりはやめにするんだ。現実に目を向けるんだ。伝統、文化、習慣、プライド、利己的願望、そんなつまらないものに振り回されるな。残念ながらあなたが産み落とされたこの世界には絶望しか存在していない。あなた自身もまた、DNAという分子の複製のために最適化された、悲しい機械でしかない。

これはあなたの良心の生存確認である。この思いが届かないのなら、これはあなたの良心の墓場に捧げる供物である。この思いが届いたなら、良心に従って行動に移してほしい。これ以上散らかすのはやめて、片づけにとりかかろう。

Anti-Life

どうか一人でも多くの人に、この思いが届きますように。


K-Singleton



[1]中村元, "ブッダの 真理のことば 感興のことば" 岩波文庫. (1978)
[2]http://reducing-suffering.org/strategic-considerations-moral-antinatalists/
[3]http://www.who.int/mediacentre/news/releases/2014/suicide-prevention-report/en/
[4]https://www.un.org/sustainabledevelopment/hunger/
[5]https://www.unicef.org/media/media_45279.html
[6]http://www.ilo.org/global/topics/child-labour/lang--en/index.htm
[7]http://www.unesco.org/new/en/education/themes/leading-the-international-agenda/education-for-all/single-view/news/263_million_children_and_youth_are_out_of_school_from_primar/
[8]https://www.unicefusa.org/mission/emergencies/child-refugees
[9]https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/jisatsu.html
[10]https://www.nippon-foundation.or.jp/news/pr/2016/img/102/2.pdf
[11[http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2010/07/03.html
[12]http://therealarg.blogspot.jp/2017/10/blog-post.html
[13]Carroll, Lewis. Alice through the looking glass.
[14]アルトウール・ショーペンハウアー. "意志と表象としての世界." I-III, 西尾幹二訳, 中央公論新社 (2004).
[15]http://fortune.com/big-chocolate-child-labor/
[16]https://labs.theguardian.com/unicef-child-labour/
[17]http://thevegancalculator.com/animal-slaughter/
[18]http://documents.worldbank.org/curated/en/758171468768828889/pdf/277150PAPER0wbwp0no1022.pdf
[19]リチャード・ドーキンス. "遺伝子の川." 垂水雄二訳, 草思社文庫 (1995).
[20]http://reducing-suffering.org/how-many-wild-animals-are-there/
[21]http://therealarg.blogspot.jp/2017/11/blog-post_11.html
[22]https://samharris.org/podcasts/107-life-actually-worth-living/
[23]Steven Pinker. The better angels of our nature: A history of violence and humanity. Penguin, (2011).
[24]Michael Shermer. "The Moral Arc: How Science and Reason Lad Humanity Toward Truth." Justice and Freedom, New York, Henry Holt (2015).
[25]https://twitter.com/michaelshermer/status/388364946611793921
[26]http://therealarg.blogspot.jp/2018/03/blog-post_24.html
[27]https://youtu.be/Ep1hcPYuu4w

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