”14” | 彼岸花

”14”

テーマ:万里の先

山崎由佳理のプロフィール

彼岸花


ちらっと読んだ漫画の意味は分かったけど、こっちの意味はさっぱり分からないわ!
よーへいズルいよ~。
交流しないと分からないように書いてるじゃない。
ダメ、そういうセコいの。

胃が痛いのは、コーヒーの飲み過ぎと働き過ぎ。
ライブ、新曲、ライブ、新曲ってギャーギャー喚くファンなんて相手にしてるからだよ。

そういえばね、本当のところはどうか知らないけれど、昨日の夜にアップした曲を歌ってるペンタトニックスさん。
一人脱退して、今は新しいメンバーで活動しているよう。
脱退した理由は、人気が出れば出るほど忙しくなって、大切な人達との時間がゆっくり取れなくなってしまったので、時間を作るため…だって。

あたしね、いつもファンて馬鹿なんじゃなかろうかと思っていたのよ。
誰のファンってことないけど。
どの人のファンもかな。
自分らだって仕事や勉強で忙しい毎日送っていて嫌だったりするだろうに、アーティストに求めてばっかりで、休んでもらうってこと知らないもん。 
口や文章では休んで~なんて言ってるけど、休むと離れたり、長いと文句出たりするでしょ。
ファンのこと忘れないでとか言うし。
知り合いでもないのにね。
あなた、ただ作品買ったりライブ来てるだけの間柄でしょって。

アーティスト側も休むってこと知らん馬鹿も多いし。
食べてけるだけのカネあればいいわけだから、働きすぎなくてもいいでしょ。
ファンのためとか、売れるためとかアホらしいわ。 
何したいのかさっぱり分からない。
作品を生み出すって、誰かに認められるためとかなのかな。
自己表現の追求とかじゃないのね?

そもそもこの世界の仕組みっておかしいとか思わないのかな。
作品を作って売ることは当然のようになっているけれど、これらは生活に絶対的に必要なものではないよね。
腹じゃなく、心が求めてるものでしょ?
飢えに苦しむ人は作品なんて買わない。
飢えていないという現実があって、手を出せるものだよね。
現代の作品の売買って、心が求めるものに価値をつけて商売してるって感じがするけど。

作品を作るなかで、技法とかそんなのも色々生まれてきて、現代では名前までつけて過去に習ってやったりしてるよね。
その価値って誰がつけて、誰が支払う金額を決めていったんだろうね?

あたしさ、音楽にも絵画にも、いいなぁと思うものは沢山あるけれど…。
作品に価値をつける時、本当は何を基準にすればいいのか人間って全く分かってないんじゃないかと思うよ。
生きることに直接関係ないものは、一体何に価値を置けばいいか?は、実は技法でも伝統でも、表現でもないんじゃないかな。

作る人間の本質にある素晴らしさと、表現の技術や表されている内容が一致した時、初めてそこに「価値」というものが存在できるんじゃないかと思うんだけど。
あたしはそう感じるね。
作り手本人がどんな本質を持っているかが重要。
表現や技術って、作り手の本質に全く関係ないところで存在出来るものだよね。だから、現代で売れる要素を持つものを作り出せさえすれば、極端な話、悪どい商売だって出来るわけよ。
でも本質に素晴らしいものを持っている人は、商売関係無く、表現するものの中に自分の生き方を宿らせる。
ただ、現状では、作り手の本質なんて全く見えてこないでしょ。ファンは見えてると勘違いして、こういう人!と思い込んで、ファンになっちゃってる人が多い。
アーティストなんて全く本質は分からないじゃない。

あたしはいいなと思う曲は沢山あっても、そこに感情移入はしないよ。
人生のバックグランドミュージックにはなってもね。
人生の主人公はあくまでも自分なので。
音楽もそうだし、着物とか習い事とかも、みんなバックグランドミュージック。
バックグランドミュージックにならないものがあるとしたなら、あたしと素で直接向き合ってくれる人や生き物だよね。
あとはみーんなバックグランドミュージック。
だって知らないものだもの。
自身が中で本当に大きな存在になることはないよ。

だからね、馬鹿馬鹿しく思うのよ。
何も知らない人に入れ込んでって。
曲に力をもらったとか言ってるけど、あんた相手の本質分かって言ってんの?って。
テンション上げるのに、自分の慰めに利用させてもらったわ♪ってくらいにしかならないよ。
知らない人が作った曲だし、書いた詞なんだから。
作り手を好きになるとかあり得ない。
直接心を通わせずに好きになれるってとても器用ね。

買い手(ファン)は、本質を知らない作り手には入れ込まない。売り手は知らないファンのためにやり過ぎない。
これで無駄な労力はいらなくなるでしょ。


ちょっとのらりくらりしながら、今後書くことを纏めたりしてるんだけど。
一応ね、テーマは「愛」なのよ。
その中でも「男女の愛」を中心に進めていこうかなと思ってるところなんだけど、何故これがテーマかというと…。
あたし自身が自分の中にあるそれを見ていかなきなゃならないってのと、この世界には胡散臭い男女愛がやたらと多くて気色悪いので、その辺をね…ズバッと切り捨てていこうかと思ってね。

生まれては消え、生まれては消え、どれだけあるのか知る術が無いくらいこの世界には愛の歌が溢れているけれど、その歌の言葉そのものを自分の全てで表すことが出来る者はどれくらいいるかしら?
歌に感動するのは簡単だし、言葉とメロディーにして世に出すことは現代で売れる要素のあるものなら出来るだろうけれど、自分の体と心に愛の歌が生きているかは分からないでしょ。
意外とね、みんなおままごとな恋愛しか知らないのよ。
おままごとな恋愛しかしてないの。
だけど言葉だけは溢れているのよね~。
このくだらない世界には。
ファンが入れ込むのも、おままごとの一つでしかないのよ。
幼稚な恋愛しか出来ていないのに、大袈裟に愛を口にする者が多いと、ネットが存在するこの現代では流石に鬱陶しくてね。
嫉妬合戦するしさぁ。
勝博もダブル真由美も、気持ち悪い恋愛論を持っていてホント厄介だったから、あたし自身が恋愛と向き合いながら、そういう者を切り捨てて行くのよ~。
相手のことばかりあれこれ言うんじゃ、あたしも口だけ人間になっちゃうからね。


こんな話する予定じゃなかったのに~。
よーへい、今日の記事全く意味が分からないわ。


あ、ここに書いておくわ。
ひろりんは実名出さないから~。
彼女は自分を省みれてたいし、いいわけしたりしない人だったからね。
あたしを尊重してくれていたし。
それ以外の人は覚悟しておいてね。