1934年、渋谷駅東口に開業した東急百貨店。戦前の呉服屋、白木屋の系列だったが58年に東急の傘下に入った。
2019年7月、東急百貨店東横店の閉店が発表された。20年3月末で86年の歴史に幕を閉じることになった。戦火から逃れ、営業を続けた東横店。歴史的な存在意義のわりには、さして大きな話題にはならなかったように思う。
厳密には、最初期の東館は2013年に閉店済み。今回営業を終了するのは、後に増床された西館、南館で、それぞれ1954年、70年より営業していたもの。歴史的建造物として保護するには新しすぎ、継続するには古すぎたということか。この百貨店大閉店時代にいまさらなのか、東急グループが渋谷駅周辺に商業施設を同時並行的に開業させているラッシュのさなか故に埋もれたのもあるだろう。
かつて東館の屋上に存在していた「ちびっ子プレイランド」。写真は2013年の閉鎖前に撮影されたもので、哀愁を感じさせる。現在、東横店では南館のみ屋上を開放している。(c)Tokyu Corporation/amanaimages
東横店といえば屋上である。最も古い東館屋上の施設「ちびっ子プレイランド」は、既に閉鎖済みだが、残りの一部はビアガーデンなどで残されている(19年夏現在)。さすがに敷地面積も小さく、盛り上がっている感じは受けない。かつての百貨店の屋上は、だれでも入れる憩いの場のような場所だった。いや、それ以前には、子どもたちが目の色を輝かせてやってくる百貨店の華が屋上だった時代がある。僕の世代は、その時代のことは知らないが。
百貨店の屋上は、よくドラマや映画にも使われていた。1984年公開の映画『チ・ン・ピ・ラ』では、かつての東横店屋上が撮影に使われている。主人公2人がベンチに並んで子どもの頃の百貨店屋上での思い出話をしている。
1980年代の渋谷の街を、当時30代の柴田恭兵とジョニー大倉が駆け回る。開襟シャツやリーゼントなど男気あふれるファッションにも注目。『チ・ン・ピ・ラ』(監督:川島透 1984年 東宝 販売元:フジテレビジョン)
「俺がガキの頃なんか、あまり高いビルなんかなくてよ。この上登ると東京中がみんな見渡せる気がしたんだけどな」
「そうだろうなあ俺が東京出て来た時に比べてもずいぶん変わったし」
「たっけーなあ。ほらあのビルなんてまだなかったしよ」
「やっぱり屋上はデパートが最高だね」
「まあな」
超高層ビルが立ち始める1970年代以前、デパートの屋上は街で一番高い場所だったのだ。『チ・ン・ピ・ラ』の主演は、柴田恭兵とジョニー大倉のコンビ。彼らは、やくざの下で競馬のノミ屋の仕事をしているが、本物のやくざになることは拒んでいる。自由でいること=チンピラなのだ。そんな彼らが根城にしているのが渋谷。デパートの屋上をたまり場、連絡場所にしているというのも彼らが大人になりきれない故。
映画『チ・ンピ・ラ』は、それ以前の実録路線、任侠路線とはまったく違った、都市に浮遊する新しい時代のやくざ映画だった。地元の利権をめぐってのいざこざが描かれたかつてのやくざ映画と違い、地元に根ざさない浮遊した存在。だからこそ高いところが好きとの解釈もできる。
ゲリラ的に銃撃戦の撮影が行われたという東急百貨店本店の入り口。九州朝日放送のラジオで監督の川島透が当時を振り返り、映画の撮影中のエピソードを語っていた。
映画のクライマックスである銃撃戦の場面にも百貨店が使われているが、そのシーンの撮影秘話を監督の川島透がラジオで話していた(『川島透ほぼノンフィクション劇場 映画を追いかけて』第48回 九州朝日放送)。銃撃戦は一発本番、エキストラを使わずに撮影が行われたという。ジョニーと恭兵が撃たれて血まみれになる場面に出くわした客の表情が、あまりに突然のことで驚くことすらできないでいる。一瞬後に及び腰で逃げ出す。人は、本当に驚くとこういうリアクションになるのか。彼らは、本当に百貨店の客だったのだ。いまでは考えられない。もちろん、百貨店や道路の撮影許可は取っていたという。だが、客には伝えないまま、ゲリラ的に撮影が行われた。別の場所でリハーサルが行われ、入念な準備の上で東急本店前にスタッフたちは集合した。騒ぎになれば、撮影はできなくなる。カメラは目立たないところにセットされ、監督の川島は、無線機を通じて小さな声で「用意スタート」の合図をかけたという。
直前のシーンは東横店の屋上だが、映画のマジックでエレベーターで降りてくるところで渋谷東急本店に変わっている。なので、このクライマックスシーンは、東急本店前である。