国宝 三十三間堂  二十八部衆

国宝 三十三間堂には千一体の千手観音立像があり、まるで極楽浄土に導をかれたような荘厳さがある。更に、このお寺には国宝 風神・雷神像を含む二十八部衆の仏像が完備している。私の知る限りでは、二十八部衆が全部揃っているのは、三十三間堂と常楽寺(滋賀県)の二寺のみである。但し、絵画はかなり残存している。この二十八部衆は、仏像の中では天部に属する。天部はインド語で「ガーナ」と言う。仏教に帰依した仏法守護を誓うインドの神格である。これは仏教の院外団のようなもので、大別して貴顕天部と武人天部に別れる。貴顕天部は梵天王・帝釈天王・吉祥天王などインテリ層の紳士淑女であり、武人天部は執金剛神・仁王・四天王・十二神将などを言う。天部像は、貴顕天部・武人天部ともそれぞれの服装をなし仏・菩薩とはおのずから異なるが、なお仏・菩薩像とは、次の点で区別される。①白毫相がない。②頭光だけはあるが身光は無い。③蓮華座に乗らず、荷葉座または岩座にのる。こうした階級制度が厳守されるのは大乗仏教の特徴である。仏教は平等思想を説くというが確立された大乗仏教はむしろ階級的であり、封建的な反面をかなり濃厚にもっていたと言わねばならない。二十八部衆は、観音の眷属(けんぞく)である。これは大乗仏教の主要な天部である金剛力士(1)・梵釈(2)・四天王(4)・八部衆(8)・風神雷神(2)・弁財天(1)・金毘羅(1)・婆籔(ばすう)仙人(1)に六王一大将一天を加えたいわば天部総動員の結集である。だから二十八部衆の像が全部揃っている事例は極めて珍しい。

国宝 風神(右)・雷神(左)像 木造 彩色                       鎌倉時代

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千体千手観音立像の前に並ぶ二十八部衆を両側から挟む形で、南に風袋を持つ風神像、北に太鼓を持つ雷神像が安置される。両神は千手観音に侍し、観音を信仰する者を擁護する役割を担う。二十八部衆と同様、内刳を行う寄木造りで、彩色を施し玉眼を挿入する。鬼神らしい怪異な容貌と隆々たる筋肉を写実的に表した、いかにも鎌倉時代盛期の慶派仏師らしい作行きで、建長の再興にあたり中尊と千体仏制作を主導した湛慶一門の作と見られる。私は、俵谷宗達が、この「風神・雷神像」を見て、「国宝 風神雷神図」(建仁寺蔵)を書いたと思っている。それは、宗達が世に認められるきっかけとなった養源院は、三十三間堂の目の前だからである。宗達は養源院の仕事をする前に、この「風神雷神像」を見て、その図を描くことを考えたに違いない。以来、「風神雷神図」は琳派の得異分野となり、尾形光琳(重要文化財)、酒井抱一等が描いている。

国宝 迦楼羅王(かるらおう)像  像高 163.9cm  鎌倉時代

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金翅鳥王(こんしちょうおう)ともいい、鳥の頭と翼を持った人身で表す。龍を食うヒンズー教の聖鳥ガルーダに源流がある。笛を吹く姿は儀軌になく、浄土で楽の音に舞う迦陵頻迦(かりょうびんが)のイメージが重なる。天竜八部衆の一に数えられる。本質は翼を持つ鳥身人頭で横笛を吹く姿である。

国宝 婆藪仙人(ばしゅせんにん)像 像高154.5cm 鎌倉時代

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杖をつき、経巻を捧げて歩む半裸の老人である。多くの罪人を地獄から釈尊のもとへと連れてゆくところである。鎌倉時代彫刻の動性と写実性を余りあるほどに伝える。老衰痩骨(ろうすいそうこつ)にして志操(しそう)の厳しさが漂う名品である。

国宝 那羅延堅固(ならえんけんご)像 像高 167.9cm 鎌倉時代

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仁王像の一対神である。金剛力士の方が一般的である。仏法の敵を撃退する法具、金剛杵の威力を神格化した像である。この像は開口して阿(あ)形、もう一方が吽(うん)形となる。筋骨を強調した裸身で下半には裳(も)をまとう。鎌倉時代らしい力強さがよく表現されている。

国宝 大弁功徳天(だいべんくどくてん)像 像高166cm 鎌倉時代

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原語シュリー・デービーの訳である。古くから千手観音の脇侍とされる財宝神・吉祥天である。仏教にいう「天」とは、神を意味する原語デーバの訳で、生死をくり返すという六道の最上位に位置し、飛空自在・読心術などの「五神通」を具えるという。やさしい風貌が特徴である。

国宝  緊那羅王(きんならおう)像 像高 164cm  鎌倉時代

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原語キンナラの音写語である。馬頭で一角をもつ音楽神とされるインドの土俗神で、インド神話には、ヒマラヤ山中に棲み美しい声で歌い舞う人首鳥身の神として登場する。仏教では、護法神・天竜八部の第七に数えられ、帝釈天、毘沙門天に仕える音楽神とされる。本像も鼓を打つ楽神の相である。

 

今まで、すべて三十三間堂として述べてきたが、実は単独の宗教法人では無い。京都府文教課の宗教法人名簿には、三十三間堂の名前は無い。それは、法住寺殿(ほうじゅうじどの)の復元図で示した通り、後白河上皇が造営した法住寺殿の「常の御所」と呼ばれる住居に宗教施設が附設されたからである。現在は、妙法院(東山通り沿いの600Mほど離れたお寺)と一体で宗教法人となっており、天台宗妙法院の名簿に含まれている。この妙法院は門跡寺院であり、多くの宝物を持った寺院として名高い、いずれ、このブログで紹介したい古寺の一つであるが、世間では三十三間堂の名前の方が通りが良い。この稿で紹介した二十八部衆の仏像は、極めて珍しい仏像であり、是非、この程度の仏像は覚えておいて頂きたい。中でも、風神雷神は琳派の名品が多い。例えば、俵谷宗達は国宝(建仁寺)、尾形光琳は重要文化財(東京国立博物館)、その他酒井抱一(出光美術館)などの名作もある。琳派の絵画としては馴染みが深いが、仏像表現は少ない。三十三間堂の近くに養源院がある。そこには、宗達筆の白象図、唐獅子図、襖絵「松図」など多数の重要文化財がある。前にも述べたが、京都で3時間程度の時間が空いたら、京都国立博物館、三十三間堂、養源院、智積院等を回遊すると、思いがけない名品に接することが出来る。お勧めのコースである。

 

(本稿は、図録「国宝三十三間堂」、古寺巡礼京都第18巻「妙法院・三十三間堂」、現色日本の美術「第9巻中世寺院と鎌倉彫刻」、探訪日本の古寺「第7巻京都Ⅱ」、石田茂作「仏教美術の基本」を参照した)