翌朝、エ・アセナルを発ち評議国と王国の国境へと向かう。進んでいくと次第に草原は土肌を晒し始め、昼過ぎにはごつごつした岩肌が目立つようになってきた。道も勾配が緩やかについてきている。
昨日の夜遅くに部屋に戻ってから、モモンガは一言も言葉を発していない。戻るのが遅いのを心配したのだろうクレマンティーヌは起きて待っていたが、喋りかけられても謝られてもモモンガは返事をせずに顔を背け椅子に座って押し黙っていた。こういう時ブレインは空気を和ませようとするのではなく一歩引いて静観するので、クレマンティーヌとも必要最低限の会話しかしていないしモモンガにも朝の挨拶をしただけだ。何故モモンガが怒っているのかが分からないのだろうクレマンティーヌはどうすればいいのか分からずに沈み込んでいた。
先頭をモモンガが進んでその後ろをクレマンティーヌとブレインが並んで歩いている。我ながら大人げないとは思うものの誰とも今はモモンガは話す気になれなかった。絶望的に噛み合っていなかった事への悔しさと悲しさはじわじわと今も胸を苛んでいる。全ては自分の意気地のなさ故なのにこうして周囲に当たり散らしているのは本当に大人げがないが、どうすればいいのかが自分でもモモンガは分からなかった。
眼前には乾いた赤い土の色をした険しい山がもう迫っていた。街道は山を登る道に続いている。この辺りが多分国境なのだろう。いつもだったらクレマンティーヌに聞くのにな、と思うとクレマンティーヌをどれだけ自分が頼りにしていたかをモモンガは思い知らされて、それなのに神と従者という関係でしかなかったのだと思うとそれがたまらなく情けなくて、もし涙腺があったなら涙が滲んだであろうほど昂ぶった気持ちが沈静化されじわりとした虚しさが後に残る。
こんなの八つ当たりだ、それは分かっている。クレマンティーヌにとってモモンガが神のような存在だという事は最初から分かっていたことで、モモンガはもっと楽に接するようには言ったけれどもその認識を改めさせようとはしなかった。どれだけモモンガが平凡かむしろ駄目な所を見せようと、ブレインと気安く接して自分は普通なのだと示そうと、そんな事はクレマンティーヌの信仰心の前では何の意味もなかったのだ。
きっともっとちゃんと話すべきだった、それなのにモモンガは怯んで踏み込まなかった。それがこの結果を生んだ。今から話しても遅くはないだろうけれども、何をどう話せばいいだろう。モモンガは神ではないのだと言ったところでクレマンティーヌがそれを納得するかというとしないだろうという気がした。モモンガは元々は鈴木悟というただの平凡なサラリーマンで、神なんて存在とは遥か遠い所にいるのだとどうすれば納得してもらえるだろう。
いやきっと、そんな枝葉の話ではない。もっと大切な、言うべき事がある。昨日喉まで出ていたのにつっかえて出てこなかった、踏み出すのを恐れて言い出せなかった言葉。それを、自分の気持ちをまず伝える事の方が大事だ。
もっと知ってほしいし知りたい、そう思う。モモンガは自分の事などほぼ話していないし、クレマンティーヌの事も知らないに等しい。一ヶ月以上もずっと一緒にいたのに、まるで赤の他人みたいだ。モモンガとクレマンティーヌはきっと今はまだ赤の他人で、そうでなくなる為には、モモンガがまず踏み出さなければならないのだ。手を差し伸べられるのを待っているばかりでは何も始まらないし進まない。たっちさんがどこにでもいるわけではないのは分かり切っている事だ。
だけれども、言えるだろうかという思いがモモンガの胸を過ぎる。昨日あの時本当は言わなければならなかった、あの時以上に言うに相応しい場面などあったろうか。それを十分に理解していたのに、それなのにモモンガは怯んで言い出せなかった。理屈でもなく心でもなくもっと奥深くの部分で何かのストッパーがかかっているかのようにその言葉は封じ込まれてしまう。
まるで、呪縛だ。
アインズ・ウール・ゴウンの皆への思いを呪いなんてものにはしたくない、そう思う。だからその意味でもきっとモモンガは足を踏み出さなければならないのだ。輝いていて美しくて楽しくて暖かい、そんな大切な思い出を呪いになんてしていい筈がない。
勇気と切っ掛け、足りないのはそれだ。今日歩いていてモモンガはクレマンティーヌに何度も声を掛けようとしては何を言っていいのか分からずにやめた。昨日からの態度について多分まずは謝るべきだろう。でもその後言葉を続けられるだろうか、そう思うと逡巡が生まれる。臆病者が足を踏み出す為の勇気が足りない。こんな宙ぶらりんの状態はお互いを苦しめ続けるだけだというのに一歩を踏み出せない。どうすればクレマンティーヌは分かってくれるだろう、そんな考えたところで意味のない事を延々と考え続けてしまう。
考えても分からない事を考え続けていても仕方ない、まずは謝ろう、その後の事はそれから考えよう。そうモモンガが思った時だった、右手首の〈
「どうした?」
「敵だ。モンスターかな。それにしちゃ動きが変だけど……こっちを取り囲んで近付いて来る」
やがて周囲を取り囲んだモンスターの群れを見て、後ろの二人が息を呑んだのがモモンガにも伝わってきた。
「ギガントバジリスクが……何でこんなに? この山は巣でもあんのか? ていうかまず群れるモンスターじゃねぇよな?」
「違うよ……これは多分召喚モンスター。そしてこんな事ができるのは……あいつだ……あいつらが来たんだ」
クレマンティーヌの声が低く歪む。振り返ると、後ろを向いたクレマンティーヌは肩を震わせ拳を握りしめていた。漏れ出す殺気が凍り付く程伝わってくる。その視線の向こう、エ・アセナル方面から三人の男が姿を現した。
「……おい、何だ真ん中の奴、桁が違うってレベルじゃねえぞ…………」
「そりゃそうだよ……あいつは神人、血に眠る神の力を覚醒させた人類最強の男なんだから」
「漆黒聖典か」
モモンガの問い掛けにクレマンティーヌは頷いた。
「漆黒聖典第一席次”漆黒聖典”、第八席次”巨盾万壁”……第五席次”一人師団”!」
低く唸るようだったクレマンティーヌの声は最後の一人を呼ぶ時に揺れ乱れ荒ぶった。三人はある程度距離を取り立ち止まり、真ん中の神人と思われる男が口を開いた。
「裏切り者の疾風走破、やはりそのお方と行動を共にしていたのだな。だがお前の処分は後だ。モモンガ様でいらっしゃいますね、わたくしはスレイン法国よりあなた様にお願いの儀があり使者として罷り越しました」
「モンスターで囲んで威圧して話し合いとは、ガゼフの件といい法国はよくよく穏当な手段というものを知らないようだな」
「周囲のモンスターはその裏切り者を逃さぬ為の檻です、ご無礼の段は平にご容赦下さい。この程度のモンスターがあなた様に傷一つ付けられないであろう事は明白、威圧など意味のない事ですしその意志もございません。その裏切り者さえいなければこんな礼を失する行為はせずに済んだのですが。申し訳ございません」
モモンガの不機嫌な声にも第一席次は怯む様子を見せず、詫びると軽く頭を下げた。
「用件を聞こう」
「モモンガ様、あなた様に人類の救い手となって頂きたい、我等スレイン法国と共に人類の為に戦って頂きたいのです。カルネ村での一件は不幸な行き違い、スレイン法国は人類を滅びの運命から守るべく戦っております。無辜の王国民を守るお優しい方ならば、我等の思いについても必ずやご理解頂けると考えております。何卒我等と共に法国へとお越し頂けないでしょうか」
何かと思えばそんな事か。それが第一席次の言葉を聞いたモモンガの偽らざる感想だった。
はっきり言ってしまえば興味がない。人類がどうなろうとモモンガの知ったことではない。エンリとネムやニニャやブレインやクレマンティーヌは守ろうと思うが、人類全体についてはモモンガの興味の範囲外だ。蟻が滅ぶと言われたら生態系への悪影響を心配するかもしれないが、それも運命だと思う程度だろう。生憎モモンガは絶滅危惧種の保護活動に熱心に参加するようなタイプではない、どちらかといえば無関心派だ。
「ガゼフがカルネ村以外の多くの開拓村がほぼ全滅の状態にされ焼き払われたと言っていたが、無辜の民をそれだけ殺しておいて不幸な行き違いとは中々面白い冗談だな。それで、答える前に聞きたいんだが、さっき処分と言っていたな? クレマンティーヌをどうする気だ」
「……では、そちらの話を先に済ませましょう。その者はスレイン法国の神器を奪い巫女姫を発狂させ逃亡した大罪人、然るべき裁きを下さねばなりません。何卒お引き渡しを」
「断る、と言ったら?」
低いモモンガの声に、漆黒聖典の三人が息を呑んだのが分かった。だが第一席次はいち早く我を取り戻し口を開いた。
「ご存知かどうかは分かりませんが……その者の本性は人の命を弄ぶ快楽殺人者、もしご存知でなかったならあなた様を騙し利用しているだけなのです。ご存知でありながらその者を庇うのであれば、納得のいく理由をお聞かせ願えますでしょうか」
何かと思えばそんな事か。再びその言葉がモモンガの頭を過ぎる。先程の話も合わせて考えると、どうやらスレイン法国はモモンガの事を人間に対し慈悲深い慈善家か何かと勘違いしているらしい。それにしてもあれだけ献身的に尽くしてくれたクレマンティーヌを事もあろうにモモンガを利用しているなどとは何という不愉快な勘違いだろう。その上始末? 強い苛立ちが湧き上がり沈静化されるが不愉快さはじわりと心をざわつかせ続けるし胸の奥に滲んだどす黒いものは段々広がっていく。
深い溜息を一つつき答えようとすると、先んじて第一席次の少し後ろ脇に控えていた、そう、クレマンティーヌによく似た男が口を開いた。
「クレマンティーヌよ、お前はまだ罪を重ねるのか! その尊いお方を欺いているのがどれだけ罪深い事かお前は理解しているのか! そうであるならば、最早妹とは思わん……この手でお前の罪を清算する!」
その叫び声の声色は悲痛だったが正直な話勘違いも甚だしい。しない筈の頭痛がする気がした。クレマンティーヌを始末するというのならばこの三人は間違いなくモモンガの「敵」だ。神人の力が未だ未知数であるのだけが不安要素だが、非常に腹立たしいし面倒臭くなってきたし全員始末して終わらせようかと考えていると、クレマンティーヌがモモンガの方へと首だけで振り返った。
「モモンガさん……お心を理解できず本当に申し訳ありませんでした。法国と敵対すれば
えっ、何その死に際の別れの言葉みたいなやつ? 問い質そうとする前にクレマンティーヌは前に向き直りスティレットを抜き放って構えを取る。
「ちょっと待てクレマンティーヌ……」
「いいよぉ兄貴……心ゆくまで殺し合おうか。どうせあんたがいたら、アタシはまともに
モモンガの制止を無視して放たれたクレマンティーヌの叫びは、兄とは違う種類のものだがやはり悲痛な声色だった。
クレマンティーヌはこれまできっとずっと孤独だった。そしてモモンガが理解しようとしなかったのだから、モモンガといた間も孤独だったろう、誰にも心を開かずに孤独でいたのだ。神の高みにある者が人の事など理解しないのは当たり前かもしれないからクレマンティーヌはそれで良かったのかもしれない、だがそんなのは嫌だとモモンガは思った。だってモモンガは神なんかではないのだ。悩み痛み悲しみ、喜び笑うごく平凡なアンデッドだ。種族は違えどクレマンティーヌとどれ程の差があるというだろう。
一緒にいたのにクレマンティーヌはずっと独りだった。モモンガだけが独りではなくなったと思っていて、クレマンティーヌを独りにしてしまっていた。
そんなのは、嫌だ。
クレマンティーヌと出会ってから今までの一ヶ月強の事を思い返す。旅路を思い返す。心の奥底の軛となっているものと比較してその日々は軽いものだろうか。いや違う、そもそも比較すべきものではないのだ。思い返す、心から嬉しそうな笑顔、サイコパスと呆れた事、何回か感極まって泣かれて困り果てた事、絶妙なタイミングのフォロー、豊富な知識に助けられた事、他愛のない会話の数々。
――楽しかった、本当に、楽しかったんだ。
失いたくない、昨日だって言った、これからも旅は続く、これからもきっと楽しい日々になる。そこにクレマンティーヌとブレインがいてくれたらきっとモモンガの旅は一人でするより何倍も楽しいものになる。
だから、これからは苦しみも悲しみも分け合おう。分け合ってしまえば案外笑い話にできたりするものなのだから。そうでなくても、独りで背負わなくてもいいように、孤独にならないように、話せるだけでいいから知りたい、心からそう願った。
自然と脚が動き出していた。数歩歩き後ろからクレマンティーヌをモモンガは抱き竦めた。
まずい、あの方が騙されていたのかそうでないかの真偽は定かでないが、このまま静観していてはあの裏切り者を引き渡してもらえなくなる。そう考えた第一席次が一歩前に踏み出そうとすると、クレマンティーヌの横にいた青毛の男が前に出てきた。
「今大事な話が始まりそうなんでな、邪魔しないでくれるとありがたいんだが」
「あなたの方こそ邪魔しないで頂けますか。ご自分が邪魔ができると?」
「あんた相手じゃ無理だろうな。でも例えそうでも退けねえ時ってのはあるもんだ」
青毛の男は皮肉げな笑みを浮かべると抜刀の構えをとった。刀使い、待ちの構え。間合いに踏み込んだところに攻撃が来るのだろう。だが恐らく対応不可能な速度ではない、己の歩みを妨げるものではないと判断して第一席次は碌に武器を構えもせずに前に進んだ。
第一席次は知らない。その強者の余裕――驕りこそが、青毛の男、ブレイン・アングラウスにとっては利用すべき強い武器になるのだと。
少しずつ両者の距離が近付き、四~五歩ほどの距離となった刹那。
〈領域〉〈神閃〉――〈四光連斬〉
刹那の間に四閃の斬撃。一瞬の出来事の後に、かちりと鍔が鳴りブレインの刀が納刀される。第一席次は元いた位置に飛び退いていた。長い前髪が半ばからはらりと断ち切られ、頬から鼻梁へ浅い刀傷がすっと走り血が流れ出す。
「今の、技は……あなたは、一体……」
「さしずめ窮鼠猫を噛むってやつだろうさ。さて、どうする? 続けるかい?」
口の片端を上げブレインは不敵に笑んだ。第一席次の見立てでは漆黒聖典の他の面々には匹敵するかもしれないが、第一席次をどうにかできる程の力はこの男にはないと思っていた。だが今の技の鋭さは何だ。何らかの武技であるのは間違いないだろう。恐ろしい程に正確な狙いの斬撃が四閃、捌けない事はないがその後の攻撃に力を抑え対応できるのか。単純に無力化すればいいと思っていたが、今の技に対応するならば本気でかかる事も視野に入れなければならない。しかしあの方に随伴しているこの男を万一にでも殺してしまえばあの方の不興を買うことになり交渉は決裂が確定するだろう。結果として第一席次はその場に釘付けにならざるを得なかった。
後ろから抱き竦められたクレマンティーヌの肩はびくりと震えた。意識せずにクレマンティーヌの体が強張る。
「モモンガさん……?」
「もういい、もういいんだクレマンティーヌ……ごめんな、お前はずっと、独りぼっちだったんだな。俺がお前を、独りぼっちにさせてた、ごめんな。俺は協力者なのに、お前の為に何も協力してこなかった、お前にしてもらうばっかりだった、本当にごめん」
無骨な手甲と骨の身体、温もりなど微塵もない。だけれども、存在だけでも感じ取ってほしかった。ここにいるのだと知ってほしかった。
クレマンティーヌの体の力が抜けたところで体を離し、肩を掴んで正面を向かせる。何が起きているのかよく理解できていないのだろう、クレマンティーヌは呆然とした顔をしていた。
「クレマンティーヌ、俺は……お前の協力者をやめる」
「えっ……」
見捨てられたと思ったのか、クレマンティーヌの顔が頼りなさげに歪む。親に見捨てられた子供のような寄る辺ない表情に胸が痛むが、これは必要な事だ。間を置いてモモンガは口を開く。今度こそ喉はつかえない、詰まらない。もし妨げられたとしても絶対に声に出してやる、そう決意して言葉を紡ぐ。
「協力者じゃ駄目なんだ。仕えるなんてもっての他だ。俺は、お前とブレインと、仲間になりたいんだ。俺の、仲間になってくれるか?」
そう問い掛けると、クレマンティーヌはぽかんと口を開けまじまじとモモンガを見つめた。
言えた。今度こそ言えた。伝えなければならない事を、怯まずにモモンガは口にできた。勇気は絞り出さずとも湧き出てきた。本当に必要だったのは勇気でも切っ掛けでもなく、相手を思う気持ちだったのかもしれない、そう思った。クレマンティーヌを独りにしておくのは嫌だ、その思いが自然に体を動かし言葉を紡がせていた。
きっと困っている人を助けるたっちさんも、こんな風に自然に体が動いていたんだろうな。そう思うと心の中で苦笑いが漏れた。モモンガは自分と大切な人の為にしかできないけれども、たっちさんは見も知らない人の為にも動ける。その差異は埋まらないだろう。でもきっと、それでいい。
「俺ぁとっくにダチで仲間だと思ってるよ」
構えを崩さず後ろを見ないままブレインがそう言葉を投げ掛けてくる。その声に反応したのかクレマンティーヌの口が一旦閉じ、幾度か開きかけては閉じられ、躊躇うようにそっとやがて開かれた。
「私なんかが……モモンガさんの仲間になんて、なれる訳……」
「お前がいいんだよ。お前がいないと困るし、何より楽しくない」
「だって私は……モモンガさんのお気持ちも分からなくて……」
「それは俺がちゃんと言わなかったからだ、お前が悪いんじゃない。俺はずっと、仲間が欲しかったんだ。だから仕えるなんてやめてほしい、お前に仲間になってほしいんだ。俺も自分の事お前に話すよ、だからお前も、話せる事だけでいいから、お前の事を俺に教えてほしい。何だっていい、好きな食べ物でも小さい頃の思い出でも腹が立った事とか面白かった事とか、どんなつまらない事でもいいから、役になんて立たなくたっていいから、教えてくれ」
言って聞かせるようにゆっくりとそうモモンガは告げた。緩く口を開き見開いた目を何度か瞬きした後クレマンティーヌの目に涙が溜まって、ぽろぽろと零れ落ちた。瞬きをする度に大粒の涙が零れ頬を伝い筋を作る。イルアン・グライベルを着けたこの手で涙を拭っては痛いかもしれない、早速対応にモモンガは困ってしまった。
「仲間になんてなりたくないっていうなら無理にとは言わないよ、でも、お願いだ。お前に居てほしい」
「仲間なんて私、そんな、畏れ多くて……」
「なあクレマンティーヌ、最初から言ってるだろ、俺は神様じゃないんだ。後でゆっくり話すけど、ここに来る前は平民だったんだ。お前と何も変わらない、泣いて笑って喜んで怒って、そんな感情を持ってる人間だった。アンデッドになって大分変わっちゃったけど、でもやっぱり、平凡なただの元サラリーマンだよ。すぐじゃなくていい、少しずつでいいから、俺が神様なんかじゃないって知ってほしいんだ」
「でも、私がいたら、ご迷惑が……」
「よし、じゃあ今からそれを解決しよう」
クレマンティーヌの肩を離し漆黒聖典の三人へとモモンガは向き直り進んだ。下がってろとブレインに告げると、ブレインは構えを解き後ろに下がる。すれ違いざまにブレインの視線がモモンガを見やったのを感じた。
分かっている、ブレインの願い。モモンガが
それでも譲れないものはある。もしも
「待たせたな、先程の提案と質問に答えるとしよう。まず質問、クレマンティーヌの本性など会った時から知っていたしその上で一緒にいたとも。ふふ、お前達の勘違いが心底おかしくてたまらないな」
「勘違い、というのは……?」
問い掛けてきた第一席次の静かな表情から感情は読み取れない。神人に傷を付けるとはブレインやるじゃないか、やっぱ本気出せば
その姿を見た漆黒聖典の三人は、明らかに動揺を見せた。おお、と感極まったような声を上げ、膝を突いてしばし呆然とし、その後に三人共が跪き頭を垂れた。この反応はモモンガの予想の範囲内だ。
「誤解が増えるといけないから説明しておくが、俺はスルシャーナではない、全くの別人だ。同族で装備が似ているだけだろう。さて、お前達はアンデッドであるこの俺が人の命などというそこらの虫と同様に価値のないものに頓着するとでも思うのか?」
「……恐れながら、申し上げます。御身のこれまでの行いは無辜の王国民を救うもの、慈悲深き方であると推察されました」
「それは結果としてそうなったというだけで、俺は俺の大切な者以外の命などそこらの羽虫ほどの興味も持たないぞ。好んで命を奪う趣味もないがな。だが……」
そこで言葉を切りモモンガは
「お前達は事もあろうにクレマンティーヌを始末すると言ったな? この俺の大切な仲間をだぞ? これが許せるか? 〈
モモンガの魔法の詠唱の直後、周囲を囲んでいたギガントバジリスクの群れは糸が切れたように一斉に巨体を揺らして倒れ、召喚された体は黒い塵となって
「一撃……一撃の魔法で全て……」
「改めて言うが、俺は人類がどうなろうと興味はない。スレイン法国には味方するつもりはないが積極的に敵対するつもりもなかった。だが、俺の大事な仲間に手を出そうというのであれば話は別だ。そんな事をしてみろ、貴様らの国民を最後の一人まで残さずその命を刈り取ってやる。まさかとは思うがそんな事は不可能だなどと思っているんじゃないだろうな? その結果
モモンガの宣告に場は静まり返った。息遣いさえ聞こえてきそうな緊張感の中沈黙が続き、やがて第一席次が顔を上げた。
「……分かりました、ですが疾風走破の罪を無条件で許すわけにはいきません」
「隊長、それでは!」
「控えろクアイエッセ! お前は、あの方と戦えるのか……? 己の短慮で国を滅ぼす気か……?」
横から口を出そうとしたクレマンティーヌの兄を第一席次が嗜める。反論は出来なかったらしくクレマンティーヌの兄は上げかけた顔を再び下ろした。
「無条件では、という事は何か条件を出したいという事か」
「疾風走破は国の宝である叡者の額冠を強奪しております、それを返却するよう命じてはくださいませんか。叡者の額冠の奪還をもって今後疾風走破の罪は問わないようわたくしの責任において上層部を納得させます」
「確約できるのか」
「あなた様と敵対する愚が分からぬ程我が国も愚かではございません、いえ、六大神に創られし国であればこそ、ぷれいやーの力の計り知れぬ強大さは他の国よりも弁えておりますれば」
「いいだろう」
答えるとモモンガはアイテムボックスを開き、クレマンティーヌから貰っていた叡者の額冠を取り出した。無造作に放るが、第一席次は危な気なく受け取った。正直なところアイテムコレクターとしてはあのアイテムはとんでもなく惜しいし後ろ髪を(髪はないが)引かれる思いだがクレマンティーヌには替えられないだろう。
「それは俺が貰っていた、つまり俺も強奪犯の共犯というわけだ。今後この件についてクレマンティーヌを尚も罪に問おうというなら、俺も一緒に裁く心積もりで来ることだ」
「……そのような畏れ多い事はできかねます。快くご返却頂けた事、誠に感謝いたします」
叡者の額冠を捧げ持ち恭しく頭を垂れ第一席次は礼を述べた。盗まれたものが返ってきただけなのだから本来ならば礼を言うような場面ではないだろうとモモンガは思ったが、変にツッコんで藪蛇になっても困るので黙っておくことにする。失礼いたしますと言い置いてから第一席次が叡者の額冠を布で包み背負い袋にしまいこむ。
「他に用件がないなら国に帰れ。俺はお前達と敵対する気はないが協力する気もない」
「誠に遺憾ながら……確かに承りました、国にはそのように伝えさせて頂きます。ご無礼の数々何卒お許しください。では、失礼いたします」
漆黒聖典の三人は立ち上がると深く礼をし、山を下りていった。その姿が見えなくなってからモモンガは漆黒の後光と絶望のオーラを切りローブを着替えて邪悪な魔法使い変装セットを装備する。
「はい、これで問題解決、だろ?」
「……ヒヤヒヤさせんじゃねえよ、お前絶対本気だったよな、あの国民一人残らず狩り尽くすってやつ」
「うん、本気だけど多分やらなくてよくなったし結果オーライじゃない?」
「そういうのマジでやめろ! 大体にして問題解決って力技にも程があんだよ!」
「何だよ、解決したんだからいいだろー」
「そういう所が危なっかしいっていうんだよ!」
いつもの調子で始まったモモンガとブレインの口論をきょとんと眺めていたクレマンティーヌが、くすりと笑いを漏らした。頬には涙の跡が残っていて目も赤いけれども、晴れやかな笑顔だった。
「昨日の夜から今日の俺の態度最悪だったよね、ごめんなクレマンティーヌ。俺、自分が悪いのにお前に八つ当たりしてた。怒ってもいいよ」
「怒るだなんてそんな……」
「こういう時は怒るんだよ、仲間だったら」
モモンガがそう言うと、クレマンティーヌは困ったような苦笑を返してきた。仲間になりたい、そう言ったけれども本当の仲間になれるのにはまだしばらくの時間がかかるだろう。何せモモンガとクレマンティーヌはまだ赤の他人も同然な程にお互いを知らないのだ。
これから知っていける、絆はより強く深まっていくだろう。そう、例えば、アインズ・ウール・ゴウンの皆とモモンガがそうだったように。心の中の席を置く場所はモモンガが勝手に自分で壁を作って狭めていただけで、本当は果てなどない、いくらでも席は増やせる。それぞれが別の席で、どれも同じ位に大切な重みのある席だ。
アンデッドには寿命がない、人間である二人との別れは避けられないだろう。きっと耐えられないほど辛くて寂しい、イビルアイが言っていたようにモモンガもまた同じようにその思いを抱くだろう。だけれども心の奥にしまいこんだ宝石のように煌めく思い出は色褪せることはなく、またその宝石をしまいこんでおく場所も広さに果てなどないのだから、いつでも会いたい時に会えるように宝石の数を増やして沢山しまいこんでおけばいいのだ。
後でニニャに〈
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という言葉を教えてくれたのは誰だったろう。思い出せないとついぷにっと萌えさんにしてしまうのは本当に悪い癖だ。もしかしたらウルベルトさんだったかもしれない。人間・鈴木悟にはその言葉がぴったりだった。一人きりで腰が砕けそうなほど重い荷物を背負って先行きの見えない暗い道を何の希望もなく歩いていた。アンデッドであるモモンガの道は終着点が見えないけれども、今は重い荷物を一緒に負ってくれる人がいる。先の見えない道である事に変わりはないけれども、今胸に抱いているのは未知への期待だ。世界を知る、というのはそれだけで冒険なのだと、今までモモンガは知らなかった。閉じた小さな世界の中だけで生きていた
赤い岩肌の露出した山道は空の蒼とのコントラストがくっきりとして、写真で見ただけのリアルのグランドキャニオンとかエアーズロックのような昔の名所を彷彿させた。こんな贅沢な景観、リアルの富裕層だって誰もきっと見たことがない。後で〈
こんな感動がこの世界には後どれだけ隠されているだろう。寿命のないアンデッドであるモモンガならば全てを見尽くす事も可能なのだ。勿論、その時には仲間と呼べる誰かが隣にいてほしい。モモンガは寂しんぼなのだから。時間の許す限りはクレマンティーヌとブレインと、今まで知らなかった景色を見ていきたい。
「さて、さっき話すって言ったから俺の話なんだけど。俺が別の世界から来たのは知ってるよね?」
「はい、ぷれいやーとはそういうものだと聞いています」
「その別の世界、ユグドラシルっていうんだけど、その世界ってゲーム……何て説明すればいいんだろうな、ユグドラシルでの俺は仮の姿で、現実世界に本当の俺がいたんだ。本当の名前は鈴木悟、さっき言った通り平民で、仕事は……これも説明が難しいな。例えば、商人に雇われてその商人が売ってる品物を他の店とかに仕入れてもらえるよう売り込みにいくみたいな仕事をしてたんだ」
「変わった仕事ですね……販路拡大は商人が自分でコネクションを作ってするものですから、そんな事を雇われでしている人はいません」
「そうだよなぁ。まあそういう仕事があったんだけど、それってすごく給料が安い、平民の中でもスラムに行かなくて済んでるだけマシっていう仕事だったんだよ。いなくなっても誰でも替えが利く社会の歯車、それが鈴木悟だった。モモンガはそんな現実を忘れて遊ぶための仮の姿だったんだけど、それがどういう訳か本当の姿になっちゃったっていうのが今かな」
「……よく分かんねぇな。二重人格か?」
「違うよ。まぁそうだよな、ビデオゲームって概念が分からないと理解してもらえない話だと思うよ……とにかく、俺はこの世界に来るまではスラムに落ちる手前の平民だったって事。だからほんと神とか言われるの勘弁してほしいんだよね……クレマンティーヌだってある日突然自分が神とか言われたら困惑するだろ?」
「崇められるのも中々気持ちよさそうですね」
「駄目だこいつ……」
陽は西に傾いてきているので今日中には山を越えられないかもしれない、野営地探しをした方がいいかな。そんな事をつらつらと考えながら自分の身の上を話して、昨日までと同じように楽しいけれども昨日とはまるで違う道をモモンガは一歩一歩己の足で歩んでいった。
誤字報告ありがとうございます☺