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いい子とは
2019年09月13日 (金曜日)
いい子になるように子供にあれこれと言うのってね、それって本当にいい子になるための注意ですか?
そもそも、いい子とはどんな子のことですか?
ご自分にとっての“都合のいい子”、なんてことはありませんよね。
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伊達政宗
2019年09月13日 (金曜日)
独眼竜正宗、このように書くだけでも、頼もしい男の姿が目の前でちらつく思いがします。
彼ほど天下に名が轟く人物との縁を持つ人はいないかもしれません。
北海道に伊達市という所があります。伊達藩の出先といいますか、伊達政宗の息吹が今も感じられるこの街の山と海を見ていますと、神戸の舞子に似ている思いがしてまいります。
千歳空港からどれくらいだったかなぁ~、北海道に行かれたら、一度訪れてみてください。家の屋根がカラフルで、まるでどこかの国のようです。
お洒落な男性を「伊達男」と言ったのは、伊達政宗に端を発していますから、街が丸ごと伊達に見えて来ます。
幼名を梵天丸と言った政宗。幼少時に右目を失明、正宗が後10年早く生まれていたら、正宗が天下をとっていたかもしれません。
本能寺の変が起きた時、正宗は15歳でした。
秀吉が関白になった時、正宗の胸が高鳴る気を私は感じるのです。
正宗の腹の中では、秀吉は「好いてはいない」しかなかったのですから。
正宗が秀吉と初めて会う一年前、正宗は、秀吉に自分の存在を植え付ける動きをします。このことで秀吉は、北条の次は伊達征伐、と決めていたのを今は感じます。
ところが、正宗は秀吉へのかけ引きを見事成功させます。
その後は秀吉に目を掛けられるのですが、正宗の人気運の方が秀吉より優っていたとしか思えません。
55歳の秀吉が24歳の正宗に出会った瞬間、秀吉は敗けていた、そんな思いもして来ます。
片目ながら人を引き付ける何かを持っていたのが正宗。秀次が無実の罪で謀反の疑いを受けて自害した時が、正宗が人生で最高に困った出来事だった、と今日は感じます。
正宗が家康には心を寄せたと思われるのは、正宗が愛しい長女を家康の息子に嫁がせたことでわかるのです。
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【好評連載中】月刊ムー「松原照子の大世見」今月のテーマは「ポンペイ島のナンマドールにムー大陸の遺産が眠っている!?」
2019年09月10日 (火曜日)
月刊「ムー」で、松原照子が「不思議な世界の方々」から得た情報を編集部が調査していく〈松原照子の大世見〉を連載中です。 10月号(2019年9月9日発売)のテーマは、「ポンペイ島のナンマドールにムー大陸の遺産が眠っている! […]
【第33回ムー制作担当者のこぼれ話+】照子さんの部屋で毎晩のように不思議な音がする!!
2019年09月10日 (火曜日)
月刊「ムー」の制作担当者が、過去の取材から掘り起こした話題や最新の話題をお届けします。 第33回のこぼれ話では、照子さんの部屋で、毎晩のように起こる不思議な出来事をレポートします。
月刊SYO9月号をアップしました!
2019年09月01日 (日曜日)
月刊SYO9月号の「世の中の動き」は、アメリカについて松原照子が「感じる」ことを書かさせて頂きました。 徒然コラムでは、人の「名前」をテーマにコラムを書かさせて頂いております。 ◉月刊SYO掲載内容 ・今月の言葉 →松原 […]