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2019-09-12

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・同じようなことを何度か書いた気もするけれど、
 次の段階にステップする手前で、
 激しい停滞感に襲われることが、よくある。
 身体や頭の中が腫れぼったい感じになったり、
 漠然とした不安に覆われてしまって、
 何から手を付けていいのか、見当がつかなくなったり、
 周囲の散らかった状況が気になってみたり、
 親しい人たちのなんだか無理解な反応にいらだったり、
 そういえば天気もよくないから気が晴れなかったり、
 とにかく、いったんどんより沈むことがある。

 ある程度の時間が経つと、きっかけもないまま、
 空が晴れるようにあかるくなってきて、
 新しい地点からものごとを見られるようになっている。
 そして、しばらく前のあの停滞感は、
 ここに来る前の成長にともなうものだったのかと、
 気がつくことになる。

 じぶんで何度も経験してきたことで、なおかつ、
 友人や知人たちの発言やらから感じとることでもある。
 次のフロアに出る前の、薄暗い階段の踊り場。
 気分はよくもないし、そんなところにいたくもないが、
 かならず通過しなきゃならないものなんだよね。
 その時期に、簡単に気晴らしをしてしまうと、
 前の階にもどっちゃうのか、そういうルールなのか、
 確かめたこともないので、いまだによくわからない。

 「なんだかなぁ」などと、ちょっとぼやきながら、
 ちょっと辛抱して腫れぼったく過ごして、
 黒雲が風に流されるのを待つしかないのだろうな。

 実を言うと、ぼく自身がここしばらくそういう時期で、
 どうしたものかと足取り重く生きていたのでした。
 ただ、長年生きてきた経験もあるから、
 次の階にやがて上がれるという自信みたいなものが、
 こころの奥にあったのはありがたかった。
 「停滞感」は悪いものじゃないと、これは、ほんとう。
 前を向いていながら足が動いてないと気づいているから、
 感じることができるものなのだ。
 で、いま、もう次のフロアが見えてきてるんだ〜。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いろいろ、おもしろくなりそうです。接戦上等、苦労厳禁。


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