こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

☆ こはにわ歴史堂のブログへようこそ ☆


ABC朝日放送で2013~14年に放送されていたコヤブ歴史堂にて、「こはにわ先生」を担当していた歴史教師の浮世博史のブログです。進学塾浜学園の社会科主管・教育研究室主管、進学塾希学園社会科主管を歴任、大阪の私立四天王寺高校・中学の教諭を経て、現在奈良の私立西大和学園高校の社会科教諭をしています。歴史の楽しい話など、色々していきたいと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。

【 活動報告 】
摂津市公民館・富田林東公民館・奈良県立図書情報館にて歴史の講演をさせていただいております。来年度もお招きいただいています。「歴史おもしろ裏話」「ここまで変わった歴史教科書」の講演を実施しました。また各種、楽しい歴史の講演などの依頼も受け付けております。


【 お知らせ① 】
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よろしければご購読ください。
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【 お知らせ② 】
テレビ朝日Qさま!12/3(月)放送の幕末スペシャル。歴史監修に携わらせていただきました。
よろしければご覧ください。

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「四大文明」というが「四大河文明」とは言わなくなりました。

 

メソポタミア・エジプト・インド・中国を「四大文明」と説明します。もちろん、文明はこの四つだけではありませんが、あくまでも代表的な「四つ」として紹介する、という形になっています。

授業では、「この四つだけでは無いんだよ」と説明した上で、それぞれの話が始まります。

四十歳以上の方ならば、「四大河文明」と「河川」と関連付けて説明します。

そのため、インド文明は「インダス文明」、中国文明は「黄河文明」とかつては説明しました。いまでも、間違いではありませんが、「インドの文明」として、インダス川流域に紀元前2500年ころから出現したインダス文明に限定せず、紀元前1500年以降にガンジス川にまで支配が達したことを受けて、大きく「インドの文明」と括るようになりました

ちなみに、かつては紀元前1500年に北方遊牧民のアーリヤ人が「侵入」した、と説明していましたが、「侵入」を「進入」と表記するようになりました。

「侵入」だと、インダス文明をアーリヤ人が「滅ぼした」かのような誤解を与えてしまいますし、しかもかつてはアーリヤ人がインダス文明を滅ぼした、というように説明していた時もあったのですが、現在では、インダス文明の衰退後、アーリヤ人が「進入」したことがわかっています。アーリヤ人がインダス文明を滅ぼしたわけではありません。

中国文明の場合は、「黄河・長江流域にも文明が成立した」というように、黄河流域だけでなく、長江流域の文明にも言及するようになっています。よって「黄河文明」と限定することはなくなりました。

エジプト文明の「ピラミッド」の扱いも、昔とはずいぶん変わりました。

「エジプトはナイルの賜物」とその著『歴史』で書いたヘロドトスが、「ピラミッドは10万人の奴隷が20年かけて造った」と記していたこともあり、長くピラミッドは王の墓で、奴隷が造営したもの、と考えられてきました。

ところが、クルト=メンデルスゾーンという学者が論文を著して以降、この考え方が大きく変わっています。

奴隷労働によって建てられたのではなく、報酬(ビールやパン)を与えた農民による労働によって造られた、というように考えられるようになりました。ピラミッド造りは「公共事業」としての側面が強かった、という考え方です。

ピラミッドを造るための村に残された人々の日記からも、お祭り行事のように楽しんでピラミッド造りに参加していたことがわかるようになりました。

ただ、農閑期の失業対策、とまで断言していいかどうかは、議論の余地が残されていますが、奴隷による強制労働の成果、という説明は現在ではしません

 


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人類の誕生は700万年前です。

 

中学生や高校生のお子さんをお持ちの保護者のみなさんは、人類の誕生は400万年前と習っている場合がほとんどのはず…

そして猿人のうち、最古の例を「アウストラロピテクス」と紹介されているかもしれません。現在でも猿人の「代表例」として紹介しますが、「最古の例」としては、

 

 サヘラントロプス=チャデンシス

 

を紹介する場合が増えました。

 

「人類の誕生」という単元は、断定的な表記を避けるようになりました。そりゃまぁそうで、これから研究が進むと、どう変わるかわからない…

 

人類は、「猿人→原人→旧人→新人」と進化してきたと説明します。かつては原人が「火の使用」をしていた、と明記していましたが、原人のうち、シナントロプスは火の使用が確認できていますが、ピテカントロプスは確認できていません。

ですから、「火の使用」に言及する場合は、「北京原人の化石が、石器や動物の骨、焼けた木などとともに発見されている」というような含みのある表現になっています。

 

まだ教科書には反映されていませんが、「洞窟の壁画」も今後、改められるはずです。今までは、新人(クロマニョン人)の段階で絵画を描いていた、という説明でしたが、現在では旧人(ネアンデルタール人)が洞窟に壁画を残していることがわかっています。

「新人が洞窟壁画を描くようになった」という表現ではなく、「フランスのラスコーの壁画は、新人が描いた」というように具体例に限定して説明するようにしています。

「最初の」、「世界初の」、「唯一の」、「初めて~したのは」というような修飾語は歴史の教科書からは消えつつあります。

 


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先日、ラジオ番組に出演させてもらいました。現代に通じる歴史のお話の一つとして、「児童虐待」は昔にあったのか? という話がありました。

 

結論から言いますと、もちろんありました。「虐待」どころか、奈良時代には「捨て子」がたくさんみられました。

税の負担を逃れるために、子どもを捨てる、ということがみられたのです。

口分田は、6歳以上の男女に班田されましたから、偽籍(戸籍を偽る・男子を女子と偽る)ということのほか、もっとも直接的に捨てる、ということもみられたわけです。

聖武天皇の后、光明皇后は、悲田院をつくり、これを救済する、ということもなさっています。

ラジオでは、短い時間でしたので、部分的にしか例をあげられませんでしたが、子どもが大切にされる、というのは近代になってからだ、という説明をしました。

子ども服の文化は近代に入ってから生まれたもので、それまで子どもはブカブカの大人の服を着ていました。

衣料が発達していないので病気やケガで抵抗力の無い子は死んでいきましたし、何より出産のリスクは現代よりもはるかに高い…

たくさん産んで、その中から生き残った子を育てる、ということがおこなわれていました。

子どもの名前も仮の名が多く、上級武士や大名のお子様などの幼名では、「梵天丸」とか「竜王丸」とか「虎千代」だとか「竹千代」だとかがみられましたが、下級武士や農民では、太郎や次郎、三郎のような幼名もみられました。(太郎、次郎、三郎の名称は平安時代の初期にはみられ、嵯峨天皇などは自分の皇子の幼名にもしています。)

このような場合、まるで「番号制」のようではありますが、「連番制」とは限りません。

長男は太郎、次男は次郎、三男は三郎、と言いたいところですが、次男なのに八郎、なんていう例もありました。

これ、ちょっと悲しい話なのですが、流産や幼くして死んだ子もカウントしている場合もあります。

すべてがそうではありませんが、次男で「小一郎」「小太郎」という場合もあり、これは後妻の子どもの長男、という場合にそうしたケースもみられました。

太郎、次郎、三郎… というのはいわゆる武士の「輩行名」だけとは限りませんでした(ちなみに輩行名は物語の中だけのフィクションの場合もあり、実際はどうだったか不明な人もいます)。

すぐに死ぬかもしれない子には、まだ名前をつけない、という場合もあります。

庶民・農民の女子は、花の名前や虫の名前などがつけられている場合もたくさんみられました。

本名を隠して、通称で呼ぶ、というのはやはり上級貴族や武士の娘である場合が多かったようです。

 

さてさて、一部の言説で「江戸時代は犯罪が少なかった」などという方がいますが、大きな間違いです。

このあたりは『日本国紀・読書ノート』でも指摘したのでご参照ください。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12430631616.html

 

「むかしはよかった」というのはかなりファンタジーな部分があり、現代と変わらぬ犯罪や、そして今回ラジオで話題となった「児童虐待」はみられました。

 

海保青陵の『東贐』には、江戸の犯罪事情がまとめられていて、現代にみられるような凶悪犯罪や詐欺事件がみられます。

『街談文々集要』には、槍の稽古をしているうちに、ホンモノの人間を突き刺したくなった猟奇的な殺人事件が紹介されています。

加賀藩の『断獄典例』には、後妻が前妻の子に火箸を押しつけて虐待する話も出てきます。

 

児童虐待、子ども問題は古くて新しい問題でもありました。

 


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江戸時代にも「都構想」がありました。

 

佐藤信淵という人物がいます。

「経世家」とよばれる人で、経世家は「経世済民」を実現する諸論を立てる学者です。

19世紀前半の学者で、ペリー来航の前にはお亡くなりになっています。

教科書では海保青陵、本多利明、そして佐藤信淵の三人が紹介されています。

著作としては『農政本論』『経済要録』などがありますが、弟子に口述したものがまとめられた『垂統秘録』はなかなかおもしろく、現在に通じる省庁のようなものを作る政治体制を説いています。

融通府と製造府は経済産業省、本事府と開物府は農林水産省… といった具合です。

強力な国家統制経済を説くものでしたが、幕末・明治の政治家にも影響を与えているようです。

 

よく冗談で、「日本の首都はあくまで京都。東京都は『東・京都』と読むべきだ。」な~んて話をします(ラジオ番組でもこの話をしたと思ったのですがオンエアでは編集されていたかもしれません)が、江戸時代は政治をおこなう「首都機能」は江戸に集中していました。

佐藤信淵は『宇内混同秘策』という書も著しているのですが、その中で、江戸を首都として「東京」、大坂を「西京」にする、という構想を描いています。

地方にも役所を移転し、さらには地方大学の設置も提唱しています。まさに首都機能の分散…

 

そして現在。

大阪府も「大阪都」としよう、という構想が大阪では話題となって市長・府知事選挙がおこなわれました。

東京一極集中、という現在、その機能の分散も進んでいます。

はるか170年前の江戸時代にも、「首都機能分散」が考えられていたことはなかなか興味深いですね。

「東京」という名称は、明治時代に安易に考えられた名前ではありません。このことは『日本国紀・読書ノート』でもお話しさせてもらいました。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12438819880.html

 

「東京」という名称は、江戸時代にいろんな思想が込められた言葉です。