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消え行くアメリカ車たちを追って
余り省みられる事の無い80、90年代のアメリカ車たち。その姿を少しでも記録に残しておきたいと思い、当ブログの開設に至りました。

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1979年、日本の自動車業界の間に激震が走りました。既に世界的にトップの座にあったカメラや電気製品、バイクなどとは違い、日本車の海外での成功は随分後のことで、2度のオイルショックや排ガス規制のお陰で、ようやく北米輸出が軌道に乗ってきたいう具合でした。

アメリカ・ビッグ3と競合しない小型車に於いて、ようやく一応の成功を収め始めたという矢先に、世界の巨人GMが、日本車と競合するマーケットに、FF車を投入することになったのです。
現在の感覚では信じられませんが、当時は、本当に「これで日本の自動車産業も終わった」・・・と思われたのでした。
それどころか、更にひと回り小さいJカーを2年後に発売するとあっては、規模で劣る日本の自動車業界が恐れ慄くのも無理ありませんでした。

コンパクトな車体ながら、アメリカ的な内外装を備えたそれらの車は、当初かなりの人気を得て、アメリカでは、カー・オブ・ザ・イヤーにも選定される程でした。
ところが、直ぐに操縦性の悪さや品質の悪さが問題になり、実際、度重なるリコールが行われることとなり、欠陥車も同然の扱いで、アメリカ車としては異例に短い、4年で生産を終了しました。

そして、後に登場したJカーも、余りに酷い品質、性能、コストパフォーマンスの為、全く日本車の敵にはなりませんでしたが、85年のプラザ合意以降の円高のお陰で割安感が出た為、それなりの販売実績を残し、10数年に及ぶロングセラーとなりました。

写真:Xカーの一つ、オールズモビル・オメガです。左右に分かれたグリルが、当時のオールズモビルのアイデンティティーでした。 

他にはシボレー・サイタイション、ビュイック・スカイラーク、ポンティアック・フェニックスが用意されていました。

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    サイテーションは世界の「最悪」クルマ大全で見ましたが今でいうプリウスのように予約数は何カ月待ちだったそうですね。
    スカイラークの方は日本のヤクザ映画で壊されてましたけどこうして兄弟車を見るとたいした事無い車なんだなとふと思いました。

    [ オールズモビル ]

    2012/12/12(水) 午前 1:36

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    前評判だけは物凄い車でしたね…今からは考えられませんが、やっと北米輸出が軌道に乗りつつあった日本のメーカーの中で、「これで全てが終わり」と言われた位の存在だったんです。
    実際は欠陥車レベルの劣悪な車で、かえって日本車の評価を高めた位でしたが…。

    [ 消え行くアメリカ車たちを追って ]

    2012/12/12(水) 午前 1:40

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    2.8リッターのV6で115馬力.....それも世界一厳格なSAE-NET表示でのこととなると、当時のヨーロッパ車のDIN規格に換算して123-125psとなり、絶対的にも同時期のフランスのルノー30TS(2664cc/125ps)やドイツのオペル・コモドーレ(2490cc/115ps)に勝るとも劣らない上、これらヨーロッパ車が98オクタンの有鉛ハイオクで弾きだした数値なのに対してGM Xカーは91オクタン無鉛、しかもohv機構のエンジンで発揮したからには燃焼効率は「紙の上では」世界レベルにあったと取れよう。
    しかしその「世界レベル」が全く紙の上のモノに過ぎないと判るまで幾らも要さなかった.....度重なる欠陥、低性能、なんたって車軸が走行中に折れた個体までがあったと噂される同車、まさしく我らが日本車の引き立て役として「世界の最悪クルマ大全」にリストアップされるのも宜なるかなというものです!

    [ 真鍋清 ]

    2012/12/14(金) 午後 8:22

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    少なくとも、日本の自動車業界が、もうコレで終わりだ…という位のインパクトが有った訳ですが…その実物が酷いモノで…。

    まあ、日本車も終わったなんて書くメディアも、それ以前のシボレー・ベガやフォード・ピントの失敗を知らなかったのか?と思う位、稚拙な情報だった訳ですが…。

    あのネオンですら、日本車キラーと呼ばれ、むしろ、こういうカス車を騒ぎ立てるのは、日本のメディアのレベルの低さも大いに問題だと思います。ネオンの前にも、サンダンスという同じく安車が有った事も知らずに、単にネオンのスペックを見て騒ぎ立てるメディア…もう少し何とかならないものでしょうか?

    [ 消え行くアメリカ車たちを追って ]

    2012/12/15(土) 午後 7:33

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    私は1980年に米国勤務になり、現地で直にXカーに乗ることが出来ました。車に並々ならぬ興味を持っていた私は、Xカーに乗れるということだけで、米国勤務をOKしたようなものです。Xカーの中でスタイルが気に入ったスカイラークを購入しました。まず驚いたのは助手席と運転席がセパレートでないこと。アメ車が前席ベンチシートが普通であることを始めて知りました。エンジンはV型6気筒2800CC、日本のセドリック並でした。2000回転位までは静かなエンジンで実用上差しさわりありませんでしたが、現地で知ったGM社のメカニックから、このエンジンは4万マイルを超えるあたりから、コンロッドが折れて、エンジンの壁をぶち破る事故が多発しているから、長距離は走らないほうが良いと忠告されました。コロラドのヴェイルスキー場まで2000Km以上走ってきた後だったので、胸をなでおろしました。結局この後アメリカ製のアコードの新車に乗り換えました。

    [ k1 ]

    2013/6/30(日) 午後 2:37

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    当時は、本当にコレで日本の自動車産業は終わり…と言われた程、インパクトのあるモデルとして紹介されましたよね…特に日本では。

    この2.8リッターV6は、最後まで評判悪いエンジンで、正に悪しきアメリカを象徴するエンジンに一つでしょう。

    それでも、走りの雰囲気やデザインは、これだけ小さくても、見事にアメリカそのものでした。もう少し真面目に作りこんで入れば…という惜しい車ですね。
    コレの改良版といえるAボディは、96年まで生産されました。

    やはりアコードの方が、全てに於いて高性能で安心ですよね…錆以外は。

    [ 消え行くアメリカ車たちを追って ]

    2013/7/1(月) 午前 3:58

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    あの頃のGMは、小型車開発の参考として世界各国の小型車を分解し研究していたそうなのですが、その中の一つであるアルトに関しては入念にやったらしいとか。

    …のはずが、XカーやJカーよりも後発のサターンSシリーズでさえ同クラスの日本車どころかガラ軽よりも故障が酷かったというのはどうしてこうなってしまった感があります。

    [ サカB ]

    2019/7/20(土) 午前 7:35

  • > サカBさん
    あの辺も基本設計自体、特別変わっているとかではないんですが、アメリカって途中で猛烈なコストダウンをやるんです。更には古い性能悪いエンジンの使い回し…

    [ 消え行くアメリカ車たちを追って ]

    2019/7/23(火) 午前 4:07

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