(3)卑弥呼の時代、巫女という言葉はあったのか?
P16~17にかけて、卑弥呼の名の由来に関する考察がおこなわれています。
卑弥呼がシャーマン、つまり「巫女」であったことは、『魏志倭人伝』の記述、「鬼道を事とし能く衆を惑わす」というところからもまず間違いはないところでしょう。
また日食と卑弥呼の関係、卑弥呼の死と日食を関連付ける話が述べられています。
『神話』には何か意味があるのは確かだと思いますし、その中の描写も、実際の何かを説明している、と考えるのはおかしなことではありません。アマテラスオオミカミが岩戸に隠れて世界が闇に包まれる…
「日食」があったんだろうな、と、とくに歴史や理科の知識がなくてもついつい想像しちゃうところです。
ヤマタノオロチをやっつけて剣を得た、という話も、出雲地方の豪族たちをやっつけて金属資源を手に入れた、という話を想像したっておもしろいかもしれません。(すいません。まさに蛇足。)
しかし、「巫女」と太陽、つまり「日」を組み合わせて「日の巫女」=「卑弥呼」と考えるのは適切でしょうか。
巫女という単語が「みこ」と読まれたのははるか後年(平安末期の『梁塵秘抄』には出てきます)。
『日本書紀』の時代では「かんなぎ」と呼ばれていました。
3世紀の日本で「みこ」という言葉がすでに使用されていて、「卑弥呼」が「日巫女」である、と考えるのは少し慎重さが必要ではないでしょうか。
また、卑弥呼の死去の年代247~248年の日食は日本列島では皆既日食としてみられず、日本海側のかなり北の地域での部分食であったと考える天文学者もいるようです。
ところで、P16で「『魏志』倭人伝には日本人の性格や日本社会の特徴についての記述もある。」と説明し、「風俗は乱れていない」「盗みはしない」「争いごとは少ない」という箇所をとりあげ、「こうした記述は、多くの歴史研究者にとっては些細なことであり、見過ごされがちだが」と、ややお怒りのようなのですが…
研究者のみなさんに成り代わって弁明させていただきますが、そんなことはありません。
確かに教科書などでは抜き出しているものは少ないですが、『魏志』倭人伝はたいへん重要な史料ですので、この時代の研究者の方で、あるいは日本史の教師の方で、些細なことだと見過ごされている方はいません。
中学生や高校生には、教科書以外の副教科書で史料集が配られる場合が多いのですが、この部分も掲載されているものが多いです。社会の様子(社会・経済史)は入試でもよく出るので、史料の説明も詳しくします。『魏志』倭人伝の内容は正誤問題にもなりますので、「些細なこと」だとは考えてはいません。
ちなみに、『魏志』倭人伝で、私が注目しているのは、
「其の会同・坐起には、父子男女別なし。」
こここそ見過ごしてはいけないところだと思っています。話し合いなどで集まるときは、男女長幼なく座る…
男女共同参画社会っぽい?
ついでに、その直後、「人性酒を嗜む」って書いてあって、なかなかよい社会だったな、て、思いました。
身分制度があって、下戸(げこ)が大人に道で出会うとしりごみして草むら入る、というしきたりもありました。
酒が好き、て、書いてあるからといって、下戸は「酒が飲めないヤツ」って意味じゃないですから念のため。