延命院の将門公の胴塚から出て
5キロくらい先の
将門公を祀る国王神社に行きました
将門公はこの地にたたずむ
以前より明るい雰囲気に
桓武天皇の血を受け継いだ将門公が
本にも書きましたが
武家はこの家紋をつけて先頭に旗印つけて
戦いましたね
どちらが何家かわかるようにです
清和源氏からの流れにある熊本の藩主となった
細川家も九曜紋ですが
これとの関係も興味深いですね!
ちなみに、桓武天皇の流れで桓武平氏
清和天皇の流れで清和源氏という姓と家系が生まれ、しまいには源平が戦います
細川家は鎌倉時代中期の御家人 足利氏が岡崎の細川郷に入り、細川と名前を変えます
それ以来家門は途絶えていないのをみると
九曜紋の強さも感じますね!
南北朝時代には、足利氏のたてる光明天皇が北朝
もちろん細川家も北朝サイド武将になりますよ
おや?後醍醐天皇の南朝についた有名な武将菊池氏も、熊本の北部にいましたが
その子孫が西郷隆盛ですよね、以前の家紋と明治維新をアーカイブしてみてね!
ちなみに現天皇は南朝です。
個人的に後醍醐天皇と明治天皇が
似てるイメージなんですが
昔からの感覚です
前にごちゃごちゃ抜かしてきた歴史家気取りが
いえ、意味不明な指摘してきた歴史ファンから
歴史勉強してから言えとか
M iuに言ってきましたよね
誰もその時代を生きてないんだからね!
といつも言いたいですよ
そして、謎に対し推理を働かせない歴史感覚には
ウンザリします
そういう
源氏と平氏が敵同士、負けたら逆臣のような発想しかないのかも、変
同じ皇族がいがみ合うのも
天皇が政治の中心にいたのか
幕府はどんな位置付けか
江戸時代の幕府とは大きく違うことも考えてね
当時を捉えることは
将門公の木像がありますよ
風が吹き荒れ
この場所は公民館もあり社殿の間の
結界でもあるようです
知ってますか?神様は
いつもここを眺めているんですよ
ここで悪いことしてたら
もしくは参道ど真ん中に何か邪魔なのあると
いらっとされるの
わかる気がします