幕間 -シンジの場合-
ガドラ老師とシンジ達は、迷宮の支配者に紹介すると言われ、目の前のスライムについて歩いていた。
どうも、その迷宮が自分達の職場になるようなのだ。
国に受け入れた以上、ただ飯を食わす事は出来ない! そうシンジ達は言われたのだ。
ポヨンポヨンと身体を揺らすように、しかし音も立てずに流れるように移動するそのスライムは、どことなく気品が漂うような感じがする。
恐らくは気のせいなのだろうが、他のスライムのように意思も無く掃除するだけの、最底辺の魔物とは違う何かが感じられるのだ。
何しろそのスライムこそが、彼等の亡命を受け入れたこの国の王であり、魔王リムルなのである。
見た感じ、不意打ちの一撃で勝てそうに思えるが、決して油断してはならないだろう。
何しろ、魔王の従者として隣に並び立つ悪魔は、一種異様なまでの気配を漂わせているのだから。
その悪魔はディアブロと名乗った。
シンジ達には理解出来なかったのだが、ガドラ老師はディアブロを一目見るなり目を見開いて、
「これほどとは……まさか、
と言って絶句した。
余程の魔物なのだろう。
後で詳しく聞いた所、
"紅に染まる湖畔"事件の際、
とにかく、魔王リムルを怒らせる事だけは無い様に、細心の注意が必要だとお互いに頷きあったのだった。
さて、そんなディアブロを引き連れて、迷宮の中を歩いていく。
案内された部屋の中に、ソイツは居た。
「やっほ〜! アタシはラミリス! 君達が、新しい助手かな?」
目の前を飛び回る、小さな妖精。
体長30cm位だろうか? 可愛らしい女の子のようだ。
「おお! スッゲー! 本当に妖精だぜ!?」
マークが、オウ! ファンタスティック! な感じに驚きと興奮の雄叫びを上げていた。
気持ちは判る。
だが、その言葉が妖精を調子付かせる事になったようだ。
「フフン! アンタ達、見所がありそうね。いいわ、合格にしてあげる。
けどね、アタシの命令には絶対服従で仕事して貰うわよ!」
無い胸を反らし、偉そうにそう言う
どうやら遊びたい盛りのお子様の様だと理解するシンジ。
迷宮とは、本当に魔境だ、そう思う。
何しろ、
こんなお子様の言いなりになるのもどうかという思いもあるが、何よりも自分達は迷宮の支配者にお世話になる身だ。
マークは嬉しそうにしていたが、残念ながらここで働く訳にはいかないだろう。
(迷宮の支配者とは、恐らくは
何しろ、ガドラ老師とも旧友だと言うし、間違いないな)
そうシンジは考えていたのだ。
しかし、ラミリスという名前には聞き覚えがある気がするのだが……
まあいい、そう思いシンジは断りの言葉を口にする。
「残念だけど、俺達は迷宮の支配者様にお会いして、その下で働く事になるんだよ。
君とも遊んであげたいんだけど、仕事があるから――」
そう続けようとした時、突然ガドラ老師がシンジの頭を叩き、言葉を遮る。
何が何だか判らぬシンジ。
そんなシンジに構う事なく、
「これはこれはラミリス様! 私めは、ガドラと申します。
どうか、お見知りおき下さいませ!」
「う、うん……。大丈夫なの、それ?」
「はっはっは、無論です。柔な鍛え方はしておりませんので、問題ありませぬ!」
そんな会話を続けるラミリスとガドラ。
そこでようやく、ラミリスが魔王の名前だと思い出すシンジ。
マークとシンも、シンジとガドラの遣り取りを見て思い出していたようで、直立不動になっていた。
緊張でガチガチになった三人に、
「ああ、紹介しなくても知ってたのかな?
コイツがラミリス。君達の上司になる。
小さいからと舐めてたら、後の秘書にお仕置きされるだろうから気をつけろよ」
そう言って、ラミリスの背後に気配も無くいつの間にか現れた人物を指差す魔王リムル。
その人物はベレッタという名前で、ラミリスの秘書兼護衛との事だった。
その人形のような仮面の人物を見て、
「なんと……」
とだけ言って、ガドラが呻いた。
どうやら、ガドラが呻く何らかの理由があるのだろうと察するシンジ達。
つまりはあの仮面のベレッタも、只者では無いのだろう。
ここもまた魔王の棲家に相応しく、人外魔境のようであった。
シンジ達の最初の仕事は、部屋の中で迷宮に攻め入る者達を監視する、というものだった。
攻めて来るのは、今まで仲間だった帝国軍の兵士達である。
大半が知らない人物だったのだが、中には知り合いも居る。
余り気分の良いものではないが、命令なので仕方ない。そう思いつつ、監視作業を続けた。
一日目は、帝国軍は快調に進んでいた。
しかし疑問もある。シンジ達が入った迷宮と、まるで構造が異なるのだ。
疑問に思い聞いてみると、
「あったり前じゃん! だって、迷宮は100階構成で、簡単に入れ替え可能なんだよ!」
魔王ラミリスは無邪気に返事を返してくれる。
この妖精も同じ部屋で、大スクリーンに映された光景を一緒に見ていたのだ。
意外でもなんでもなく、見た目通りにラミリスは気さくだった。
ノリも良く、緊張も直ぐに解けてくる。
魔王リムルも気さくそうだったが、流石に気軽に話しかけるのは躊躇われるのだが、ラミリスは向こうから話しかけてくれるので、シンジ達も会話しやすかったのだ。
その魔王リムルは管制室の方に居るらしく、ここには居ないのである。
だが、ラミリスの隣には謎の美形の人物が居た。
此方はつまらなそうに読書している。
どこで手に入れたのか、シンジも読んだ事のある漫画だったのだが、どう突っ込めばいいのか――或いは突っ込んでもいいものか――判断に苦しみ、声を掛ける事は出来ないでいる。
叶うなら、懐かしい気持ちもあるので、後で借りたいと思ったのだが、声を掛ける事も出来ないので頼みようもない。
気になるがどうしようもないままに一日は過ぎ去ったのだ。
ちなみに、仕事開始前に説明を受けたのだが、手当ては月に金貨3枚。
年間36枚になるのだが、ボーナスもあるらしい。もっとも、気分で出すと言っていたので、充てにはならないだろう。
帝国に勤めていた時は年間で70枚程貰っていたシンジは当然として、マークとシンも50枚程度貰っていたので大幅に減った事になる。
半額に減ったようなものだが、不満は無い。
初年度は様子見で、翌年からは働きぶりに応じて昇給があるようなのだ。
何よりも、帝国と同様に衣食住の面倒を見てくれる上に、此方は物価が安いのである。
仕事着は支給で、寝る場所も用意してあった。
嬉しい事に、個人部屋で炊事場に風呂、そしてトイレまで付いている。
完全水洗なのは目を疑ったほどだ。中世レベルから、一気に現代のワンルームマンションにランクアップである。
帝国では、首都でさえも個人部屋にトイレなど付いていなかった。
風呂にトイレの付いたような個人部屋があるのは、一泊金貨10枚は取る、超高級旅館くらいのものである。
しかも、トイレは汲み取り式。
魔法による消臭滅菌は完璧だが、気分的に水洗の比では無いのだ。
恐ろしく待遇が良いと思える程なので、お金の問題など些事に過ぎないとシンジ達は感動したものであった。
ガドラに至っては、想像を絶する便利さに、ここでも絶句する他無かったようだ。
そして、仕事時間は決まっている。毎日朝6:00にラミリスを迎えに行き、6:30にはエルフのレストランで朝食を採る。
昼食もラミリスの付き添いで無料で食事を堪能出来るのだ。
そして、夕方の15:00には仕事終了である。
表の店は夕方18時頃までしか開いていないそうなので、早めに仕事は切り上がるのだと説明を受けた。
時間にして9時間だが、きちんと昼休憩も1時間ある。しかも、自分達が表の冒険者達と交流も出来るように考えてくれていると、シンジ達も直ぐに理解出来た。
かなり優遇された職場である。
ちなみに、夕飯は各自で好きに採る事になっている。
迷宮内を自由に移動出来る機能も付いた腕輪を支給されており、その腕輪を見せれば迷宮内の宿屋の料理は無料なのだそうだ。
だが、エルフのレストランはお金が掛かる。
一食金貨1枚――夜が高いのを考慮しても、一番安くて銀貨3枚とかなのだ。超高級ホテル並なのだが、味は間違いない。朝昼の食事が証明していた――とか下手すれば掛かるので、迂闊に利用は出来ないのである。
ラミリスのお供で無料だったので、夜も利用しようと出掛けて驚いたのだった。
その日は、仕方なく一番安いものを注文し、逃げるように店をでたのである。
だが、食事出来るのは迷宮内だけではない。
外に出れば、冒険者が経営する料理屋も多い。
焼肉や居酒屋もあるのだ。当然、酒屋もあるので迷宮内の宿屋の無料料理よりも、外で食べる方が良いというものである。
台所もあるので、普段は自炊というのも一つの手だろう。
そんな感じで職場に慣れて行く事になるのだが、それはもう少し先の話なのであった。
帝国軍が迷宮に侵入開始して二日目。
初日の興味無さそうな態度が嘘のように、今日は興味津々で画面を眺める謎の美形。
聞けば、邪竜ヴェルドラが人に化けた姿だとの事。
驚愕したが、それはその日最初の驚愕となる。
人生で最高に、一日で最高に驚いた日、となるのだ。
2時間も経過した頃、ガドラは瞑目しつつ呻き声を上げ、シンジ達三人は自分達の幸運を感謝する事になった。
迷宮内最強と思っていたアダルマンやアルベルトだけではなく、その他にも圧倒的な強者が居ると十分過ぎる程に理解出来たのである。
シンジ達に与えられた仕事は、手伝いをしてくれて知識ある"異世界人"を探す事。
その戦いぶりも検討し、人物の本性を探るのも仕事の内容であった。
だからこそ、各階層の戦闘をじっくり観察し、その出鱈目さに絶句する事になったのだ。
「な? ワシの言う通り、コッチに来て正解じゃったろう?」
どこか遠くでガドラ老師の声が聞こえたが、ただただ頷く事しか出来ないシンジ達三人である。
50階層までが表で、51〜60階層までが裏面。
そんなアホな事を思っていた自分達が、滑稽過ぎて涙が出そうだ。
全然笑えないのに、乾いた笑いが出る。
正しくガドラの言う通り、一緒に連れて逃げて貰えなかったら、自分達ももう一度道案内として
そう考えるとゾッとする。
シンジ達は、ガドラ老師の先見の明に、ひたすら感謝を捧げたのだった。
圧倒的に強いと思っていたアルベルトが敗北した。
帝国皇帝近衛騎士、No.17 クリシュナとの一騎打ちに於いて、剣が折れたのが敗因だった。
実際、剣の腕ではアルベルトが圧倒していたのだが、打ち込んだ剣が
アダルマンは近接を苦手としているようで、前衛であるアルベルトの敗北が痛かったようである。
コンビネーションが崩れて敗北したのだ。
ガドラは不機嫌そうに、
「骨になっても、まだまだ甘いわ!」
と、自分の事のように悔しそうにしている。
だが、シンジ達からすれば別次元の強さであり、コメントのしようもないのが本音だった。
シンジ達には自覚は無かったが、ここで強者の戦闘を見る事が出来たのは幸運であっただろう。
後に、自分達が強者と戦う際に、この経験が生きて来る事になるのである。
今はまだ、自覚ないままに観戦するのみなのであるけれども。
結局、35万もの帝国兵は全滅する事になった。
あれほど強かった帝国近衛騎士クリシュナ達も、ゼギオンという魔人の敵では無かったのだ。
クリシュナが一瞬で負けた時は、シンジ達は驚き過ぎて反応する気力も尽きていた程である。
もうど〜にでもな〜れ!
そんな心境になっていたのだ。
だが、一応仕事内容は覚えていたので、知り合いでもあったミシェルとレイモンドを推薦する事にした。
最後まで彼等が生き残っていたのも幸運だったが、何より偽の腕輪を壊した事をラミリスが気に入ったのも良かった。
こうして、新たな助手となる"異世界人"を探すという最初の任務は、無事に終了したのだった。
この後、ガドラ老師はアダルマンと旧交を温め直し、迷宮管理の仕事もこなすようになっていく。
そして迷宮十傑として認められて、ボスの一人として活躍する事になるのだ。
シンジ、マーク、シン、ミシェル、レイモンドの五名は、ラミリスの助手として様々な研究を手伝う事になった。
とは言え、それは遊びと区別するのが難しく、新たな遊びを開発する部門の設立と言ってよい内容である。
たまに侮れない研究成果も出るので、周囲の目には遊んでいるとは思われていないようであったのだが。
「しかし、人生って、何がどう転ぶか本当に判らないよね」
とは、シンジの言葉である。
正しく、ついてないと思った直後の人生の転換に翻弄された、彼等らしい感想であった。
本編はもう少しお待ち下さい。