北の村 02
翠髪のエルフの娘が顔を洗っている間に、女剣士は固焼きのパンを古びた暖炉で炙っていた。
「何はともあれ、まずは腹ごしらえをしようよ」
差し出されたパンを受け取り、部屋の隅に座り込んで魚の干物をおかずに簡素な朝食を取っていると、旅籠の奥で親父が朝食の支度をしているのが見えた。
水を入れた土鍋に雑穀や野菜屑を足して、囲炉裏に吊るして盛んに煮込んでいる。例の特製粥を作っているのだろう。
「服もいいが、その前に、まず君の巾着を先に捜しにいこうと思うのだが」
「……有り難い意見だが、時間の無駄だと思うな。広い丘陵の何処を探せばいいか。
皆目見当もつかないのだから、とても見つかるとは思えないよ」
アリアはパンを指で毟りながら、優美な所作で一口ずつ口元へと運んでいく。
「そうでもない。服を破かれた所か、さもなくば其処から私と出会った場所までの何処かに落ちていると思うぞ」
エリスは魚を口元へ運んで咀嚼しながら、首を傾げて反論した。
「何故?走っている時に落としたかもしれない」
「服を破かれた時、腰帯はついていたか?」
少し俯いて、エリスは昨日の記憶を探った。
「……いや。破かれる前まで棍棒を持ってた。確か腰帯に財布もついていたな」
「町中で落とすよりは、丘陵でなくしたほうがまだ見つかる筋もあるさ。
なくて元々だ。時間を区切って、午前中は財布を探しに行こう」
「財布は捜しにいくが、貴女は宿で休んでいてくれ。
さすがに私の落し物で貴女に迷惑は掛けられない。私一人で行くよ」
「何故?二人の方が見つかりやすいだろう?」
エリスは眉を顰めてアリアを見つめた。やや不審そうな口調で訊ねる。
「……何故、其処までして私を助けてくれる?」
「君が気に入ったから、では足りないか?」
その答えでは足りなかったのか。
微かに迷いを浮かべた半エルフの表情に、女剣士は少し考えるように目を閉じた。
改めて黄玉色の瞳でエリスを見つめると、考え深そうに言葉を紡ぎ始めた。
「ふむ。昨日の襲撃。私は君を助けたが、君が私を助けた側面も在るんだよ。エリス。
お互い一人では切り抜けられなかった。それに二、三、確かめたい事も合ったしな」
此の答えはエリスを納得させたようで、肯いたエルフの娘が堅くて噛み切れなかった古パンの欠片を暖炉へ投げ捨てて立ち上がると、傍らであっと叫ぶ声が聞こえた。
小柄な少年がエリスの後ろに佇みながら、涎を垂らして暖炉の中で炎に飲まれていくパンを眺めている。
「なにやってんのさ。このうすのろ!」
宿屋の少女が慌てて走り寄って来ると、プリプリしながら幼い少年の耳を掴んだ。
「いっ、痛い。ジナ」
「すいません。お客さん!
もう!金も食べ物もないのをお情けで置いてやったのに、お客さんに迷惑掛けないでよ!」
二人の旅人に頭を下げると、ジナは情けない悲鳴を上げる少年の手を掴んで奥へと引っ張っていく。
顔を見合わせて少し肩を竦めると、半エルフと人族の娘は荷物を担いで宿屋を出た。
外に出ると、空は昨日とは打って変って透明の色をしていた。
早朝の澄んだ空気を味わいながら、青く晴れ渡った天蓋を見上げると、
白い筋雲と競うように渡り鳥の群れが雁行しているのが見えた。
街道筋の古びた旅籠の正面には、樹齢を重ねた楡の樹が生えており、目前の地面に胡麻塩頭の老人の亡骸が横たえられていた。あんな垢と埃に塗れた衣服でも、欲しがる者はいたらしい。
身包み剥がされた姿で縄に縛られており、近くに住む村人か。中年男と若い小僧が、太い枝に吊るした縄で亡骸を少しずつ引っ張り上げていく。
吊るされるのは、他の盗賊共への見せしめなのだろう。哀れな末路ではあるが、自業自得だった。
斬首や絞首刑、吊り男に十字架刑など、此の手の見せしめは国中で見られるものの、しかし一向に賊が減る気配は見えてこなかった。
エリスが横を通り過ぎた時、その秀麗な横顔に見とれた小僧がぽかんと口を開けて振り返り、手にした縄を放してしまった。
老人の死骸が、下にいた中年男を直撃し、老賊の思わぬ反撃に怒りの叫びを上げた中年男が、我に返って逃げ出した小僧を捻り潰さんと唸り声を上げて猛然と追いかけ始めた。
「……罪な女だな。君も」
「……なにが?」
悲鳴を上げて逃げ回る小僧と、猛牛のように追い回す中年男を眺めて、黒髪の女剣士が呟くと半エルフは憮然とした表情になった。
降り続いた長雨に街道の状態は悪かったものの、荒れてない場所の上を歩いて、四半刻(30分)ほどで昨日の決闘の場所へと辿り着いた。
女剣士は、まず盗賊達の死体を捨てた溝へと歩いていった。屈みこんで匂いを嗅ぎ、ついで衣服を改めて舌打ちした。
冬だから死臭はそれほどでもないが、血糊が乾いてしまっている。
乞食たちは汚いし、頭目の衣服は比較的、上物だが血糊がべったりでとても着れない。
「どうしたものか。昨日、直ぐに剥げばよかったな」
ぶつぶつ云いながら、血に染まった巾着や指輪などを奪い取っていく。
まさか、いい服があったら自分に着せる心算ではなかろうか。
「幾らなんでも、死人から奪った服を着る気はないよ」
疑念に襲われたエリスが念の為に告げると、アリアはため息を漏らした。
「贅沢な娘だな。服は服だぞ」
抗議しなければ、その心算だったらしい。
次いで、アリアは頭目のはいている上等な革靴に目をつけた。
革袋に木製の靴底をつけたもので中々に良さそうな靴だった。
「よっと。此れなんか履けそうだぞ。持っていなよ」
エリスは靴を掲げてしげしげと眺めた。
頭目の足はオグルかトロルと見紛うばかりの大きさだ。
「足のサイズが合わないよ」
「後で詰め物するなり、濡らして炙るなりで合わせればいい。
最悪、売るなり交換するなりすればいいではないか」
少し迷ったエリスだが、結局は靴も戦利品として貰う事にする。
「うわ、臭いなあ。こいつ足臭いよ。目に染みる」
「洗えばいい。大丈夫」
とりあえず紐で結んで肩に担いだ。
巾着や金目の物を抜け目なく奪ってから、もう用はなかったので道に戻った。
五つの巾着を入れた為に、アリアの財布はかなり膨らんでいた。
真鍮や青銅の指輪に腕輪、ピアスや耳輪、首飾りなど安物の装飾品類も鞄に入ってる。
人族の娘は草叢に座り込むと財布の中身を広げて、貨幣を種類別に分け始めた。
選り分けた鉛銭を地面に落としていく。
「すっ、捨てるの?」
エリスが動揺して訊ねると、アリアは平然と肯定した。
「重いからね」
例えば少額貨幣であるミヴ鉛貨などは、近隣の町で鋳造された私鋳銭である。
鋳造元のローナでは鉱石や毛皮、穀類や家畜など様々な物産と交換できるが故、近隣の村々では其れなりの価値を保って流通しているものの、河を渡ってしまえば貨幣価値はそれだけで三分の一にも、五分の一にも落ちてしまう。
裕福らしい女剣士にとって狭い地域でしか通用せず、重たいだけで価値の低い鉛銭は、河を越えても持ち歩く価値はないのだろう。
「りょ、両替すればいいじゃない」
「この辺りの村に、両替商なんているかね?」
「……勿体無い」
「重いし、鞄が傷む。大体六十枚で銅貨一枚分くらいしか価値がない」
「捨てるなんてとんでもない。私が両替する」
くれとは云わなかったのがエリスの矜持かも知れない。
黒髪の女剣士は翠髪のエルフをしげしげと眺めると、頷いた。
百枚近い鉛銭と錫銭を全部纏めて銅貨一枚でいいと告げる。
捨てようとした癖にくれはしないが、エリスも依存したくないので其のレートで妥協した。
道端で交換し、錫や鉛の貨幣で一杯になった財布を幾つか鞄につめる。
「もう、元の財布いらないかな」
ほくほく顔をしているエリスに、アリアは断固とした口調で告げた。
「君が行かないなら、私一人で行くぞ」
「確かめたい事とやら、か。実は私も気になるよ」
二人の娘は何とはなしに顔を見合わせた。
踵を返したアリアとエリスは、昨日の足跡を辿りながら丘陵地帯へと踏み込んでいく。
丘陵の隙間を縫うように、昨日通った道を三度歩いていく。
黙々と、だが、悪くない雰囲気だった。
道でもない道の為に幾度か迷うも、昨日なので鮮明な記憶のうちに探るのは容易だった。
やがて見覚えのある丘陵が現れ、頂に辿り着くも、其処には在るべき物が一つなかった。
頭蓋を砕かれた小男の死骸はあったが、女の死体がない。
「赤毛の死体が見当たらないな。七箇所も切り刻んでやったのだが」
「……あの怪我で生きていた?まさか」
アリアはじっと地面を見つめて呟き、エリスは少し恐れを含んだ眼差しで周囲を見回していた。
「……まあいいさ」
黒髪の女剣士は気を取り直したのだろう、旅の連れに手を振った。
「兎に角、昨日、此方の方角から君は来た。行ってみよう」
灌木や茨の生い茂った丘陵少し歩くと、比較的すぐにエリスのマントが見つかった。
「私のマントだ」
半エルフの娘が弾んだ声で歩み寄る。
マントは岩の上で雨ざらしになっていたが、半日なのでさほど痛んではいない。
すぐ近くで財布も見つかった。傍にある大き目の草叢の泥濘の底に転がっていた。
ベルト代わりの布と、繋がっている財布に水筒も見つけた時は、エリスははち切れんばかりの笑顔を見せた。
「……後は棍棒か」
立ち上がると憂鬱そうにエリスは呟きを洩らした。
少し覚悟してその方角を見つめてから、翠髪のエルフはやや陰鬱な顔をしてゆっくりと歩き出した。黒髪の女剣士が無言で隣を歩く。
丘陵の傾斜を降りると、エリスは少し歩き回ってから愛用の棍棒を見つけて拾い、周囲を見回した。
盲目の賊は何処かに彷徨い出たのか。姿を見せなかった。
「あいつが脱いだ服もない。
なんか妙だね。まるで誰かが連れ去ったみたいだ」
妙とは口にしながらも、半ば予想していたのだろう。エリスの声に動揺の揺れはない。
「死んだも同然と言ったな。
だが、随分としっかりした足取りで歩いているようだぞ?」
黒髪の女剣士の揶揄するような呟きに、翠髪のエルフは冷静な声で反論した。
「そんな筈はない。私はあいつの目を潰したのだから。
アイパッチで塞いだもう片方の目が実は見えていたとか。
さもなければ、誰かが手助けしたのだろうね。赤毛の女と同様に」
盗賊の足跡を見つけた黒髪の女剣士は、しゃがみ込んで地面をじっと観察していた。
足跡はよろめきながらも真っ直ぐと一つの方角へと歩いている。
そして傍らには子供のように小さな足跡がもう一つ刻まれていた。
よろめく体重を支えるように、時折、不規則に深く泥中へ沈みこんでいる。
野生の狼のようにしなやかな動きで立ち上がると、前髪をかき上げてアリアは呟いた。
「盲目か……ホビットめ」
怒りに頬を微かに痙攣させ、厳しい顔つきで足跡の消え去った丘陵の果てを睨んでいた黒髪の女剣士に、半エルフが声を掛けた。
「行こうよ。もう、此処には用はない」