第1話 始まりの前兆
真夜中のクリスマスイブ、辺りにはハラハラと雪が舞い始めていた。
そんな中、丘の上にある豪邸が今、ぱちぱちと音を立てて真っ赤に燃えている。
辺りには見物人もおらず、聞こえるのは家の柱が燃える音と、遠くの方から微かに聞こえるサイレンの音だけである。
「なんで……どうして、こんな……」
この家の住人の一人娘、月森司はかすれた声でそう呟いた。
床に倒れ、煙と炎に囲まれた彼女は、もはや虫の息である。
虚ろな目をし、次第に意識が遠のいていく中、彼女の頭の中では十六年間の思い出がフラッシュバックしていた。
横たわった彼女の視界は、崩れ落ち、穴の開いた天井からのぞく満月を映している。
その時、司は満月の光の中に、黒い小さな物体が映るのを見た。
次第に近づいてくるその物体は、やがて彼女の目の前へと降りたった。
周囲の炎の明るさと立ち込める煙により、司はその物体をはっきりと捉えることはできなかった。だが、そのシルエットは大人の人間程のものであると分かった。
朦朧とする意識の中、彼女はその人影を見て呟いた。
「……天、使?」
○
ある秋の朝、学校の教室では雑談をしたり挨拶をしたりする生徒たちの声で賑わっていた。
教室の一番後ろ、窓側の席では先ほど登校してきた黒明彰が、鞄の中の教科書を机の中に移し替えているところであった。
「よう彰。調子はどうよ」
彰の友人、結城逢斗は前の席に座り、楽しげに彰の腕を叩いた。
「まあ、いつも通りだな」
作業の手を止めず、彰は答えた。
「どうしたよ、逢斗? いつもより楽しそうじゃねえか」
「それがよお、例のアレ。また見たって奴がいるらしいんだよ」
「例のアレって、あれか? 死人がどうのってやつ」
近頃、この町では奇妙な噂話が頻繁に聞かれるようになっていた。
その噂話とは、様々な形態をとってはいるが、要はこの町周辺で近頃、死者が蘇えっており、そしてその死者が町を闊歩するのを見た人間がいる、といった内容のものであった。
逢斗はオカルトネタが大好きであり、その噂が流行りだした頃から、それらに関する情報の収集に勤しんでいた。
そして、ことあるごとに彰も含めた友人たちに噂を触れ回っている人物でもあった。
これほどまでにその噂話が広まっている要因の一つに、彼の存在があることは明白であった。
「そう、それ! なんでもこの間、隣町の西高の生徒がマジで見たらしいんだよ。今、学校じゃその噂でもちきりだぜ?」
家から学校までの通学路、そしてこの教室までの道すがら、確かにそのような話をしている人間が大勢いることに彰も気が付いていた。
もっぱら生徒たちの間では、「自分なら誰を生き返らせたい」だとか、「何故そのような噂話が広まったのか」といった話題でもちきりであった。
「それで、また真相を突き止めるために散策でもしようってことか?」と笑いながら彰は言った。
「ったりめえよ。お前も来るだろ? 先輩が車を出してくれるってよ」
二人は以前から、夜中に友人たち数人で集まり、探索と称してあちこちへ出向いて遊んでいた。
彰は元々オカルトネタに興味があったわけではなかったが、逢斗の影響もあり、今ではそのような遊びを好んでやるようになっていた。
そして、もちろん今回も、彰は彼の誘いを受けることにした。
その後、手短に今日の夜中に懐中電灯を持参して落ち合うことを約束すると、逢斗は笑顔で彰の腕を叩き、「またな」と言いながら教室を出て行った。
入れ違いに教師が教室内へ入ってくると、それと同時に、始業のチャイムが鳴った。
彰は前を向き、机の中から教材を取り出そうとした。
そのとき、彰の視界に一瞬、こちらを見つめる女生徒の姿が入った。
ふっと視線に気が付き顔を上げるも、彼女はすでに教卓に立つ教師の方を向いていた。
「気のせいか……」
彰は特に気にも留めず、再び教材を取り出し始めた。
彼女は、クラスの一番前、真ん中の席に座っている、このクラスの委員長をしている学生であった。
彼女の名前は、月森司といった。
○
昼休みになり、彰はいつものように教室で一人、コンビニのパンとジュースで食事を済ませた。
その後は何をするでもなく、窓から外の風景をぼんやりと眺めていた。
「何見てるの?」
不意に声をかけられ、彰ははっと我に返り、振り返った。
そこには両手を後ろで組み、微笑みを浮かべた司が立っていた。
普段、彼女とはあまり会話をしたことはなかった。
その彼女から唐突に話しかけられたことで、彰はひどく戸惑った。
「ああ、ただぼーっとしてただけだよ」
声は上ずり、わざとらしく引きつった笑顔を返すこととなってしまった。
頬がひくひくと引きつっているのを感じ、似合わないことなどするものじゃないなと、一人自嘲した。
そんな彰の内省など知る由もなく、司は笑顔のまま続けた。
「そうなんだ――でさ、今日の朝に教室でさ、『探索に行く』って言ってたよね? 隣のクラスの逢斗君と」
目を輝かせながらそう話しかけてくる司に、彰は内心驚いた。
彼女は普段からクラス委員長ということもあり、率先してクラスの仕事をこなす等、教師陣からの信頼も厚かった。
そんな真面目な印象であった彼女が、まさか死人が蘇るなどといったような噂話に興味があるとは思ってもいなかった。ましてや、その噂話を確かめに探索に行く、という話に食いついてくるなど尚更である。
「いやぁ、まあ言ってたけどさ。けど、ふらふらとあちこち回るだけだよ」
彼女の様子に戸惑いながら、そして、自身が幼稚な遊びをしていることを恥じながら、彰はこわばった笑顔で答えた。
「へー、それで今日はどこに行くの?」
「まだ決めてないかな。たぶん町の北の方面辺りをふらふらとして帰ると思うけど」
「車で?」
「ああ。先輩が車を出してくれるからさ」
「もしかして深夜まで続くの?」
「まあ、そうかな。いや、あまり夜遊びはいけないとは俺も思うんだけどね」
その後も彼女の質問は続き、今まで何か目撃したことはあるのか、今までどんな場所へ行ったのか、といったことに答えていった。
司の熱の入った質問の数々に、まるで職務質問でもされているようだなと彰は少しゲンナリした。
――彼女がオカルト好きだったとは。人は見かけによらないものだな。
あらかた質問に答えたところで、彼女は満足したような様子を見せた。
ちょうどその時、彼女の友人と思しき人が、教室の入り口から彼女を呼び出した。
どうやら彼女達は昼食を一緒にとる約束をしており、司はその友人の用事が済むまで待っていたようであった。
「あ、ゴメン、もう行かなきゃだから。ありがとうね。もし何かあったら教えてね」
彼女は笑顔で手を小さく振った後、友人と二人で食堂の方へと向かって行った。
――嵐のように去っていくとはこういうことか。
彰はやれやれといった表情で笑みを浮かべ、窓枠へともたれかかり、持っていた紙パックのジュースを飲み一息ついた。
先ほどの会話を思い返しながら、何故彼女があれほどまでに熱心に質問をしてきたのかを考えた。
仮に彼女が大のオカルト好きだったとしても、場所や時間帯まで聞いてきたのは何故だろうか。
普通のオカルト好きならば、何か面白いことはあったのかと聞く程度ではないだろうか。
そして彰はハッと気が付いた。
「もしかして、彼女も一緒に行きたがっていたのだろうか。だとすると先ほどのあれはデートチャンスだったか?」
とはいえ、男集団の中に彼女を誘うわけにはいく筈もなく、そして何よりも女子高生が夜遊びをするなど問題事になるだろう。
彰はすぐに冷静になり、先ほどの考えを否定した。
――それにしても久しぶりに女の子と会話をすることが出来たな。今日はついている日だ。
彰は心の中で、この噂話と、それに自分を引き込んだ逢斗に感謝した。
彰は浮かれた気分のまま持っていたジュースを飲み干すと、紙パックを丁寧に平らに潰し、自身の後ろ側、教室の後ろに設置されたゴミ箱へと放り投げた。
彰の手を離れた紙パックはゴミ箱へと吸い込まれるようにして入っていき、ゴトンと気持ちの良い音を立てた。