手長01
そうだ。もっと楽しめ。お嬢さん方。
人生、何が起こるか分かりはしない。
大いに食べ、飲み、歌い、踊り、人生を謳歌しろ。
今宵の晩餐が最後に味わう自由の味。
大事な箱入り娘も、おいらに目を付けられたが運の尽き。
窓から入ってかどわかし、銀と引き換え売り払う。
次に目覚めりゃ何処も知れぬ檻の中。哀れ、銅の小片で身を売る娼婦に転落さ。
見知らぬ娘さんにゃ気の毒だが、銀を片手においらは踊る。
―――街道の人浚いの唄 作者不明
うとうとと気持ちよくまどろんでいたのに、突然に肩を強く揺すられた。
「うあ、なに?」
夢見心地から呼び戻されたエルフ娘が、乱暴な扱いに抗議の声を上げると、
「そろそろ起きなさい。もうじき日が暮れる」
耳元に女剣士の涼やかな声が囁いた。
不満げに唸りながら目を開けると、薄暗い室内に茜色の夕陽が差し込んで茶色い壁を照らしていた。
雨も大分、弱まった様子だ。外から聞こえる雨音も大分、小さくなっていた。
半エルフが目を擦りながら周囲を見回すも、肥満した行商人の姿は見当たらない。
「んむむ。あれ?」
「ああ、あの者は村人の家に泊めてもらうそうだ。
我らも、もう行かなくては夜道を歩くことになるぞ」
手元にあったワインの革袋を口元に運ぶと、女剣士が眉を顰めた。
「余り飲みすぎるな」
「あ、すまない」
他人のワインを飲みすぎたと考えて謝るが、別に物惜しみした訳ではないようだ。
「此れから宿まで戻るのに、足元がおぼつかなくなっては困る。
ワインはまた次の食事まで取っておいて、今は水にしておきなさい。ほら」
差し出された皮の水筒を見て、半エルフはやや疑わしそうな顔つきでまじまじと見つめた。
それに気づいたか、女剣士が苦笑する。
「安心しろ、湧き水で汲んだものだよ」
「湧き水?」
「街道近くに廃村があっただろう?」
「いや、気づかなかったな」
首を振ると、
「旅籠の向こう側だ。明日にでも場所を教えてやろう」
街道を行き来する旅人や放浪者にとって、井戸や綺麗な湧き水を汲める場所の情報というのはかなり重要な話だが、知る者が増えれば取り分が減る類ではない。
だとしても、人族の娘は案外、親切な性格をしているようだった。
ワインを飲んで渇いた喉に水筒の水は妙に甘く感じられ、砂に溶けるように体に吸い込まれていった。
「……なんか貰ってばかりだね」
口元を拭いながらのエルフ娘の呟きは、黒髪の剣士の耳には届かなかった。
大分、頭がはっきりすると、半エルフは鞄から数枚のローズマリーを取り出した。
ローズマリーの葉には、生姜などと同じく肉の腐敗を防ぐ効果が在ると云われている。
残った兎肉から串を引き抜くと丁寧に葉に包んでから、布に包んで紐で軽く結わくと革袋に仕舞いこむ。忘れ物もないようだ。
「では、行くか」
小屋を出ると、日暮れが近づいたからだろう。風は先頃よりさらに冷たくなっていた。
火の焚かれた屋内に比べて外気はかなり肌寒く感じられ、薄いマントを羽織った半エルフは小さく躰を震わせた。
「あ……待っててくれるかな。直ぐに済むから」
翠髪の娘が慌てて川原の方へと走っていった。
何をするかと見ていれば、鉄串を取り出すと水で洗って布で丁寧に拭い、尖った端に木蓋をつけて腰の革袋へと仕舞いこんでいる。
暇を持て余した女剣士が西の彼方を見ると、雨雲は完全に吹き払われて、地平に黄昏の夕陽が淡く輝いてた。
照り返す夕日に赤く染まった群雲へと向かって、天高く渡り鳥の群れが遠ざかっていく。
つかの間、陽炎を纏って揺れる初冬の情景に見入ってると、手早く洗い物を済ませたエルフ娘が駆け戻ってきた。泥濘んだ地面を踏みしめ、二人は村を出ようと細道を歩き出した。
村外れにある矮樹の近くで、胡麻塩頭の痩せた老人と何やら話している襤褸を纏った二人組の乞食とすれ違った。
乞食たちは歯のない口で何やらいやらしい笑いを浮かべると、二人の娘とすれ違い様に嫌な笑い声を上げた。
気に障ったのだろうか。女剣士が立ち止まって、乞食たちの後姿に鋭い視線を送った。
「如何した?」
「今すれ違った老人。小屋にいたな」
エルフ娘の問いにそれだけ呟くと、女剣士は肩を竦めて再び歩き始めた。
川辺の村落を出て、まだ四半刻(三十分)も経ってはいない。
恐らく日が暮れるまではあと半刻ほどの猶予が在るだろう。
街道を歩きながら、足を止めずに女剣士が口を開いた。
「さっきの商人の話ではな。少し歩くが橋が在るそうだ。
古い橋だが、落ちたとの話は聞かない。迂回する価値は在るかも知れないぞ」
「しかし、そうなると……」
気が進まないといった表情で半エルフは言いよどんだ。
「何が気になる?」
「北はオーク族が出没し始めてるとの話だよ。
……噂では、数十年ぶりの大規模な侵攻でクレインの砦が落ちたとか」
「噂が全て真実なら、クレイン城砦は五年に一度は落ちている事になる。
それに橋が架かっているのは、下流。南の方だよ」
「渡る際に管理している村の衆だかに、幾ばくか通行料を取られるようだが如何かな?」
女剣士が黄玉の瞳に見つめると、エルフ娘は俯き加減の姿勢で暫し沈思してから頷いた。
「艀の方が安いけれど、食費や宿代を鑑みれば……此処で足止めされてるよりは確かに」
「一考の価値は在ろう?
今日、明日のうちに天候がおさまる様子を見せねば、下流へ行く心算だが如何だ?」
「一緒させて貰うよ。私も早めにティレーに入りたいからね」
「うん……む?」
明日も一緒に行動するのなら、互いの名前くらいは知っていた方がいいだろうか。
今さらに聞くのは何だが、自己紹介するかな。
それとも、もう少し一緒に行動してからがいいか。
エルフ娘が変なことを少し迷ってから、自己紹介しようとした矢先、女剣士が冷たい笑みを浮かべて口を開いた。
「気づいたか?先ほどから後を尾けてくる者達がいる」
戸惑い、僅かに困惑の態を見せながらエルフ娘が後方を振り向くが、誰の姿も見えない。
「……まさか」
女剣士は低く、囁くような声で続ける。
「先ほどの小屋に此方の様子を窺っている者が何人かいた」
エルフの娘は無言。ただ目を瞬いて、黒髪の剣士の横顔を見上げる。
「腕の太い男と赤毛の女。眼帯をつけた黒髪の三人組だ」
「……いたね。やな雰囲気の奴等だった」
「あいつらの私たちを観る目だが、どうも気に入らなかった」
エルフ娘は、落ちつか無げに視線を彷徨わせてから、足元に長く伸びた己の影を見つめた。
「どちらかな?」
黒髪の人族の娘は黄玉の瞳を細め、楽しげに呟いた。
「どちらとは、どういう意味?」
「狙いは、私か。御主か。それとも両方かな」
懸念通りなら賊に狙われているというのにどこか楽しげでさえある女剣士に、呆れたといった様子で首を振った。
「如何にも金のあるところを見せつけてる、貴族の令嬢だと思うよ」
「半エルフの女なら、娼館にも高く売れるだろうな。きっと人気者になるぞ」
「……高貴な身から娼婦に転落した娘も、人気が出るでしょうね」
緊張した面持ちのエルフ娘とは対照的に、なにがおかしいのか。
女剣士はくつくつと笑っていた。
「貴女は随分、余裕が在るね」
「安心しろ。賊の三人くらいなら私一人で片付けてやるさ」
「……荒事は苦手だよ」
エルフ娘は呟いて、黒髪の剣士の様子を観察する。
大した自信だった。言葉の半分でも、剣の腕が立つならば安心できるのだけれどと思いながら、今度は足音を捉えて半エルフが立ち止まった。
目を閉じて、神経を集中するように尖った耳を微かに動かした。
小雨とは言え、雨音の中で聞き取れるのだろうか。
女剣士が小首を傾げて見ていると、エルフ娘は雷に打たれたように躰をびくっと震わせて、血の気のひいた表情で旅の連れを見つめた。
「奴ら、走り出した。近寄ってくる……四人、五人。いや、多分六人」
「六人?確かか?」
エルフ娘の言葉に、黒髪の娘の表情が微かに緊張に強張った。
「間違いなく五人はいる」
「思ったより多いな」
厳しい表情で舌打ちして、半ば駆けるように足早に歩き始めた。
「まずいな。三人なら、なんとでもなると思っていたが……」
空を見上げて灰色の雨雲を眺め、それから旅籠のある彼方の場所へと視線を走らせた。
染みのように小さく黒い影が、丘陵の手前に小さく佇んでいる。
「此処は丁度、村と宿の中間くらいの場所。いや、まだ村に近いな」
女剣士は視線を遅れがちなエルフ娘の足元に移し、彼女の履物を見た。
エルフ娘の顔色は悪かった。女剣士は長靴だ。
走れば賊徒から逃げ切れるかも知れないが、彼女の履いているサンダルに泥濘では、多人数から逃げ切るのは厳しい。
女剣士が急に立ち止まった。
呆気に取られているエルフ娘の前で、黒狼の毛皮のマントの結び紐を手早く解くと、草叢へと投げ捨てた。
「君は宿屋まで走れ」
意を決したように射抜くように鋭い眼差しで、エルフ娘を見つめた。
「貴女は如何する心算?」
「私は時間を稼ぐ。此処で足止めすれば逃げ出せよう」
「でも……」
見捨てるようで躊躇しているのだろう。翠髪の娘は立ち止まってグズグズしていた。
「五人相手は厳しいが、私一人なら何とでもなる」
黒髪の剣士は断言した。あながち大言壮語でもない。
賊五人に勝つ事は出来ずとも、負けないだけの手腕は持っていると自負している。
「……本当に何とかなるんだね?」
おずおずと尋ねるのに、堂々と言い切った。
「何とかする。逃げ切るだけなら自信はある。行くがいい」
「……分かった」
云って踵を返すが、半エルフは直ぐに立ち止まった。
「何をしている。早く行け、足手纏いだ」
人族の娘の苛立たしげな叱咤。
「そうもいかないみたいだ」
しかし、エルフ娘は、どこか虚ろな響きのする声で呆然と呟いた。
旅籠へ向かう街道沿いの草叢から、二人組の賊が姿を現していた。
重さを確かめるように棍棒を上下に弄びながら、にやにやと残忍な笑みを張り付けて、ゆっくりと二人に歩み寄ってきた。