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ドラゴンテイル 辺境行路 作者:猫弾正

序章

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船着場04 

 暗鬱な曇天から小雨がぽつぽつと降り注いだ。

時折、冷たい静かな風が吹き抜けては、泥濘んだ細い道を進む二人組の旅人のマントをはためかせていた。



 世の殆どの人々にとって、銅貨一枚はそれなりの価値を持つ貨幣であった。

例えば貧しい放浪者からしてみれば、錫銭一枚の有無が其の日の食事の有無に繋がり、また真冬の最中に暖かな寝台での安らかな眠りと夜空の下での野宿を隔てる大きな違いでもある。

其れは即ち命を左右する差であり、そうした諸々を考えれば、女剣士の金銭感覚は殆ど驚くべきものではあったから、エルフ娘は呆れたようにぶつぶつと呟いていた。

「兎一羽に銅貨二枚とはね……幾ら持っているのか知らないけど、手元不如意になるのも無理はないよ」

賢しらげな忠告を、しかし女剣士は鼻で笑って気にも留めない。

「肉が食べたかったのだよ。にしても、御主は年齢に似合わず分別臭いなぁ」


「御主のお蔭で安くついた。それにしても上手く交渉するものだな」

 自由労働者として長くヴェルニアを放浪しているうちに身につけた話術であろう。

エルフ娘の世知長けた交渉の手管は、傍から聞く分には中々に興味深いものだった。

「貴女の立派な服はそれだけで買い物には不利だね。

 貴種と見たら、行商人も農民もそれだけで吹っかけてくるだろうから」

「だからといってみすぼらしい服にわざわざ着替える訳にもいかんだろう。

 いや、意外と有りかな。其のうちに一度着てみようか」

楽しげに鼻歌などを歌いながら、女剣士はエルフの娘の智恵と口説を賞賛した。

「御主は、よく智恵が回るよ。口も巧みだ。

 それだけ舌が廻るなら、さぞ世を渡りやすかろう」

「……舌が廻るとは余りいい言い方ではないね」

女剣士は純粋に賞賛した心算が、何故かエルフの機嫌を損ねた。

「いや、弁論術を褒めているのだよ?そう拗ねるな。折角の可愛い顔が台無しだぞ」

「それが褒めている心算か?……ま、いいさ」

半エルフのほうは、女剣士を奇妙に苦手に感じていた。

嫌いと言う程ではない。

が、天然物の上から目線に加えて偉そうな物言いがほんの少しだけ気に障るのだ。

とは言え、身分の高い者など得てしてこんなものだろうとも思う。

幾らか無神経だが、悪気がないのは分かる。今のところは、卑しさや悪意も感じない。

少なくともその点では、女剣士は不愉快な同行者ではない。

富裕だからエルフ娘の僅かな持ち物を狙う事もあるまいし、同性だから襲われる心配もない。

ずっと同行する訳でもなし、些か偉そうな物言いも気にするほどでもないだろう。



 土手道を少し曲がった先の河原に、料理の下拵えをするのに丁度具合の良さそうな空き地を見つけた。

雑草も生えていない剥き出しの地面には先ほどまで釣り人がいたが、夕暮れも近づいてきたからだろう。河原には既に人気もなく、荒涼とした侘しい風景が広がっている。

今朝からの小雨に増水した小川から水流が流れ込むうち、いよいよ勢いを増したゴート河が轟々と音を立てて時折、冷たい水飛沫を跳ね飛ばしているのを、余り近づき過ぎないように注意しながら二人の旅人は視線を交わした。


「料理は出来るか?」

 問いかけにエルフ娘が頷くと、兎を手渡された。任せるという事らしい。

平らで大きな石を見つけると、エルフ娘は腰から小刀を取り出す。

無毒な大振りの葉っぱを見繕って幾つか摘むと、軽く洗浄してから石の上に重ねた。

小刀は普段革製の鞘に包んである切れ味のいい鉄製で、滅多にないが兎や鶏などを捌く時には重宝するのだった。

兎の背中を指で摘み上げると、まずは切り裂いて穴を開けそこから皮を剥いでいく。

手際よく全身の毛皮を取り除くと、頭部と四肢を切り裂いて捨て、腹を裂いて内臓を取り除いた。


「毛皮は如何しますか?」

 切り取った頭から脳漿を取り出してなめせば、ちょっとした小遣いにはなる。

しかし、エルフ娘もそれほどなめしには詳しい訳ではない。

故郷の森にいた頃、皮革職人の知り合いもいたのだが、日常生活が植物性の布で充分に事足りていた事も在って習わなかったのだ。

持ち主の女剣士が面倒くさそうに手を振るので、臓物と一緒に草叢に投げ捨てた。


 葉を並べた石に兎を乗せると肉をさらに切り刻んで、切り口に香草や食べられる野草などを味付けに挟んでいく。

「此の兎は若いね。凄く柔らかいよ」

感嘆の呟きを洩らしながら、金属性の串を数本、取り出した。

金属製品は全般的に高価な世間である。

金属製の串も例に漏れずに相応の価値が在る。色々な場所で貨幣として支払いや物々交換などに使用する事も出来た。

エルフ娘が手にしたのは比較的に安価な鉄製であるが、中には青銅や真鍮で造られた串もある。


 興味深そうに手際よく料理する様子を眺めていた女剣士だが、エルフ娘が串を取り出した瞬間に、思い出したようにあっと呟き、慌てて腰の袋から何かを取り出した。

「使うがいい」

手渡されたのは、親指ほどの大きさの黒ずんだ結晶。岩塩の塊だった。

塩はありふれているが、そこそこ値の張る調味料でもあるから、顔を上げて視線でいいのかと訊ねる。

鷹揚に頷いている為、先端を削って表皮に掏り込んでいく。


 岩塩を返し、下拵えが漸くに終わる。

料理の手際に満足したのだろう。女剣士はご満悦の表情で肯いていた。

切り落としを丁寧に葉を乗せた布に包んで、エルフの娘は兎の持ち主に告げた。

「後は、小屋で火を借りよう」

肉料理は焼きあがるのに結構な時間が掛かるから、小雨とは言え雨天の野外で調理は面倒だった。

冬の空は薄暗く、分厚い雨雲が高所で揺れており、空を仰いだ女剣士は目を瞬かせた。





 街道を行く旅人たちに開放されてる藁葺き小屋は、長年を風雨に晒されてきた為に歳月を経た板壁は乾燥してひび割れ、屋根は破れたままに修繕もなされず、所々から雨漏りしていたが、金のない放浪者や自由労働者などには好んで寝泊りする向きもあった。


 太陽が西の空へ大分傾いた頃。旅人の小屋へ入ると其処に十人近い旅人が屯っていた。

藁葺き小屋一つに此れだけの人数が寝泊りできる筈もないから、旅人の大半は情報なり物々を交換する為に集ったのだろう。村人らしき姿も在った。

夜になれば旅人の半数は近隣の旅籠に引き上げるか、或いは小銭なり労働なりの代価を払って村人の家に泊まるに違いない。


 小屋の入り口の直ぐ外には、雨水を溜め込む為の大きな壷が置かれていた。

年代物の素焼きの壷で、陽に当たる側は変色して埃っぽい白に色褪せている。

時として、河の水には何らかの毒素や細菌、寄生虫などが含まれている。

地元の人間は兎も角、飲み慣れぬ余所者が口にすれば、病気になったり、腹痛を引き起こす事もあった。

だから、壷に溜まっている雨水は旅人の喉を潤おす為のものなのだろうが、濁った水の表面には羽虫の死骸が浮いており、此れでは川から生水飲むのとどっちが不衛生か分からない。

壷を覗き込んだ女剣士は不快げに眉を顰めて、何やらぶつぶつと文句を呟いていた。



 扉から入って右隅には、陰惨な翳りを纏った三人組の男女。薄汚れた旅装に身を包んだ彼らは、低い小声で何やらボソボソと相談していた。

直ぐ傍には、小柄なホビットの娘が床に敷いたマントの上に気だるそうに寝転んでいた。

小屋の奥には、比較的、清潔な旅装を身に纏った行商人が数人、天候や城市の通行税について愚痴っていた。

その隣には貧しげな身なりをした子連れの中年女が座っている。

甘えるように膝に頭を乗せる幼子を抱きしめ、自分の口で噛んで柔らかくした木の実を与えていた。



 部屋の中央にある囲炉裏には、枯れ草や乾燥した枝を薪に火が音を立てて踊っていた。

丁度焼きあがった所なのだろう。ドウォーフが美味そうに焼きあがった鮎を頬張っており、エルフ娘は一瞬、生唾を飲み込んだ。

ドウォーフの健啖振りを見てると、エルフ娘は何やら腹立たしくなってきて、苛立たしげに舌打ちしてしまう。

その仕草に気づいたのだろう、ドウォーフはにたりと笑うと、旅の連れであろうウッドインプに何か呟きかけた。

何かの冗談だったのか。それまで無表情に鮎の塩焼きを貪っていたウッドインプが、呵々と大笑し、ドウォーフの肩を親しげに叩いた。

「……ドウォーフなんか、土か岩でも喰ってればいいのに」

半エルフが忌々しげに呟くと、今度は女剣士が可笑しそうに笑った。



 気を取り直して布から葉に包んだ兎肉の串を取り出すと、エルフ娘は囲炉裏へと近づいた。

肉というのは、最初は素早く表面を炙り、焼いて内部に肉汁を閉じ込める方法が一番、美味い。

その後は肉の種類によって異なるが、兎や鶏などは、概ねが強い火で一気に焼き上げるよりも、弱火で万遍なく炙った方がより味わい深くなるものだ。

だが、それはあくまでエルフ娘の考えで、世の中には肉汁の滴る調理法は下品で、

茹でた方がいいと考える者もいれば、強火で一気に焼いた方が美味いと考える者もいる。

兎に角、丁寧に炙るとなれば、此れは強火で焼くよりも余計に手間暇も時間も掛かる。

そのような事を告げ、早めに焼くのと、時間を掛けるのとどちらにするか訊ねる。

折角の肉であるから後者が良いと云うので、表面を素早く焼いてからは、丁寧に仕上げようと火の弱い処に当ててじっくりと炙り始めた。

「私の分は、よく焼いておくれ。その方が好みだ」

エルフ娘の手にした串焼き肉を窪んだ目でじっと見つめる痩せた旅人もいたが、人族の剣士が連れなので兎肉を取り上げようと試みるような輩はいなかった。


 表面を焼けては回転させ、また裏返しにして、万遍なく肉に火を当てていった。

灰に脂が滴り落ちて、小屋に肉の焼ける香ばしい匂いが広がっていく。

焼きあがった物から、布に敷いた葉の上に並べていく。

奥にいた貧しげな親子連れの幼い少年が、涎を垂らしながら穴が開くのではないかと思うくらいに肉を凝視しているのに気づいたが、可哀想に思いつつも無視を決め込む。

一々、腹を空かせた子供に食べ物を分け与えていては、自分の分がなくなってしまう。



 一方で女剣士は入り口近くの壁際に陣取って、剣を肩に抱えた楽な姿勢で座り込んでいた。

日干し煉瓦で出来た壁は漆喰も剥がれて大分劣化しているが、風雨を凌ぐには充分である。

楽な姿勢を取って料理が出来るのを待ち侘びながら、大地に当たっては弾ける雨音に耳を欹てて、楽しげに即興の歌などを口ずさんでいた。



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