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ドラゴンテイル 辺境行路 作者:猫弾正

序章

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船着場03 後

「なあ、『翁』よ。銅貨一枚在れば、兎でも鶏でも二羽でも三羽でも買えるじゃないか?

 私たちは腹が空いている。如何かその兎を売ってもらえないだろうか?」

 エルフ娘は精々親しげにゴブリン語を交えて呼びかけたが、老ゴブリンの反応は、まるで腐れ銀を財宝と偽って売りつけに来たコボルドを見るように冷たいものだった。


「兎はおらの夕食だ。あんたらに売っちまったらおらは何を食えばいいだね?」

「銅貨一枚在れば、食べたいものを好きなだけ食べられるではないか?」

「……こんな村で銅貨なんか貰っても、使い道なんかねえだ」

慎ましい生活を好む素朴な農民と言った反応で、中々に付け込む隙が見えなかった。

「なら、そこら辺の町か大きな村の定期市へでも行けばいい。

 山羊の炙り肉でも豚の茹で肉でも、腹が裂けるほど食べられるぞ?」

「……そんなに喰ちまったら、また後で腹が減った時、よけいひもじくなるだけだ。

 それに、そんなおっきな町なんか、おら滅多にいかないだよ」

ゴブリンは存外と手強かった。

 此れは無理かも知れぬと、エルフ娘は肩を竦めて首を振ったが、女剣士は拳を握って頷いている。

諦めるな。或いは頑張れだろうか。いずれにしても無言の応援が伝わってきた。


「……柔らかく煮たウナギなんか如何だ?美味いぞ。

 銅貨一枚あれば、たらふく食べられるに違いない」

「……おらはウナギはすかねえ」

 見るからに不機嫌な様子で、むっつりと老ゴブリンは応えた。

銅貨一枚はそれなりの大金で、伝手も技能も持たない自由労働者では滅多に手にできない程度の価値は在るだろう。

なのに、欲を煽ってみても老ゴブリンは反応はどうにも鈍い。

益々、胡散臭そうな者を見るようにつぶれた鼻をひくつかせるだけだった。

 舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、エルフ娘は唇の端を引き攣らせながらも笑顔を保つ。

銅貨にちらりとも視線を動かさないから、値を吊り上げる為の演技にも見えない。

金銭にそれほどの価値を見出してないのかも知れない。


「貴方は体も小さいし、兎は細かい骨も多い。

 今してる木製の入れ歯だって、痛んでしまうかも知れない」

 半エルフの言葉は完全に余計なお世話だった。

もし、ゴブリンに今の二倍の背丈とそれに相応しい筋骨があったら、目の前の娘達を怒鳴りつけたに違いない。が、現実には彼は老いた小柄な亜人に過ぎなかった。


 顰めッ面をして皺くちゃの頬を撫でてから、老ゴブリンは地面で鈍く輝いている銅貨と兎。

そして長身の人族の娘と、腰に吊るしている恐ろしげな長剣を見比べた。

 ゴブリンの老人も、辺境の住人である。

強い者が弱い者から、力づくで奪う光景は度々、眼にしてきた。

巧みに剣を使う人の剣士に力づくで来られたら、老いた小柄な亜人など一溜まりもない。

無法者には見えないが、人は見かけでは分からないのもまた事実である。

断れば無理矢理に兎も取り上げられるかも知れない。もし乱暴をされたら如何するか。

 女ではあるが、剣士の纏った雰囲気には如何にも剣を使い慣れている感がある。

若いだけに動きは敏捷そうだし、力とて老いたるゴブリンよりは強いだろう。

世の中には、オグル鬼の略奪者や放浪の民の盗人のように、他人のものを力づくで奪ったり、盗んでも、それをまるで悪いと思わない輩も多いのだ。

若い娘たちだから、つい油断してしもうた。

いいものと見たら奪おうとする旅人がおるのを、忘れておったわい。



 兎のご馳走を凄く楽しみにしていたのだろう。ゴブリンは中々に強情である。

エルフ娘も、先ほど目前でドウォーフに魚を浚われたので気持ちは分からないでもない。

やはり気が進まないので、女剣士に向けて掌を横にひらひらと振ってみせる。

『難しい』

女剣士が奥の兎を指差し、左手で軽い円を描いてから右手で半分に割る。

『兎』『半分』

此方も強情で早々には諦めそうにない。

悟られぬように微かなため息を吐いてから、エルフ娘は交渉の切り口を変えた。


「本格的な冬の訪れが近いね。

 今年は寒かったな。作物の出来は如何だった?」

「……あんま、出来はよくねえ。

 だから、しっかり肉食って精をつけとかなきゃなんね」

 黙殺すればいいものを、律儀に応えてしまう老ゴブリン。

根は人がいい。そして素朴な人が、素朴なままに暮らせる土地でもある証だろう。

「冬越えに食料の備蓄は充分かな?

 鼠に食われたり、腐ったりしないかい?」

老ゴブリンの顔の色や感情の揺れを洞察しながら、半エルフは説得の言葉を組み立てていく。


「春まで持つかい?今年は酷く寒かった。作物の出来は何処に行っても酷かったよ。

 来年も寒さが続いたら、此れは飢饉になるかも知れないね」

ゴブリンにしては人がいい、かつ欲では動かない。

しかし、元来、ゴブリンとはそれほど頭の切れる種族ではない。

「貨幣は食べ物と違って、目減りも劣化もしない。

 銅貨一枚あれば、いざという時にけっこうな食べ物が買えるだろう?」

エルフは不安を煽る言葉を織り交ぜて、朴訥で単純なゴブリンの想像力を悪い方向に誘導してみた。

ゴブリンの表情から不安の兆候を読み取ってみれば、知らずして瞬きの回数が増えていた。

ひりつくような餓えを経験した事のある者なら、考えれば銅貨を取る。

だから、最悪の事態を連想させる言葉を与えて、自身で何が良い選択か考えさせる。


「ねぇ?よく考えてみなよ。金銭の蓄えがあれば、いざという時、他の町や村に食べ物を買いに行くことだってできる。銅貨一枚が命を繋ぐこともあると思うよ」

 エルフの娘は嘘はついていない。

嘘ではないからと云って真実ではないが、此の場合、ゴブリンにとっても悪い話ではないのは本当であるから、多少、気が楽でもある。

それが語り口から澱みを消して、言葉に真実味を増していた。

相手は小柄なゴブリンで、喰う量も多寡が知れている。

実際、銅貨一枚在れば、鶏でも豚でも好きな肉を食べられるに違いない。


 優しいとさえ聞こえる声で語り終えてから、エルフ娘は沈黙した。

単純なゴブリンは、すっかりと不安そうな顔色を見せている。

実際に、けして悪い取引ではないとエルフ自身は思っている。

彼女を含めた貧乏人に銅貨は貴重だし、一枚在るだけでゆとりを持って冬を越えられるに違いない。

云うだけの事は云った。だから、ゴブリンが答えを出すのをじっと待った。

此れで断るなら、彼女に出来る事はもうない。

 女剣士は如何思うだろうか。

此の今の場面で力づくで奪う人物であれば、一緒に行動するのも考えものだ。

そう思って横目で様子を窺うと、黄玉の瞳に面白がるような光を浮かべて微かな笑みを浮かべていた。


 渋っている老ゴブリンの前に赤茶色に輝く銅貨がもう一枚放り投げられる。

ゴブリンは真剣に思い悩む様子を見せていた。

地面に落ちている銅貨と兎を見比べて、それから剣士と半エルフに視線を移した。


 やがて肩を落とした老ゴブリンが立ち上がると奥に行って兎を持ってきた。

これ以上頑張っても、ろくな事にならないと悟ったのかも知れない。

実際、確かに兎一匹と銅貨二枚は悪い取引ではない。折れるのも有りだろう。

見るからに渋々と、渋々と差し出された野兎を嬉しそうに受け取ると、女剣士は満面の笑顔で振り向いた。

「さあ、肉だ」

半エルフが、微笑みを浮かべて女剣士に頷きかけた。


 地面に落ちてる銅貨を素早く拾い上げると、ゴブリンは今度はさっさと懐に仕舞い込む。

他の旅人に見られてはなかっただろうか?

放浪の傭兵や蛮族なんて輩は、ゴブリンが銅貨を弄んでいるのでも見たら直ぐに取り上げようとするに違いない。

そして逆らえば、虫けらみたいに無慈悲に殺すのだ。

人族でも、エルフでも、力の在る者は何時でも好き勝手に振舞うわい。

 老ゴブリンは一瞬、猛烈な憤怒に駆られた。

この手槍を片手に、今から追いかけていって挑んでやろうか。

あの娘たちは、どんな顔をするだろうか。

情景を妄想してから、ゴブリンは直ぐに自嘲の感情を孕んで破顔した。

何を馬鹿な。それこそ老いたゴブリンなど一太刀で切り倒されてしまうに違いない。

娘の二人組と見て無用心に話しかけた自分が迂闊だったのだと、老ゴブリンは気持ちを落ち着けた。

それでも、まだ運が良かった。

やや横暴ではあるが、対価を払ってもいる。

次の客人が、欲する品の代価を暴力で支払う輩ではないとも言い切れない。

小柄で非力な亜人が用心と武装を忘れたら、辺境で長生きは出来ない。

だからといって、何処かに住み易い土地がある訳でもなかった。

大きな村や都邑でも、さして事情は変わらない。

弱肉強食の無法は罷り通らない代わりに、法を嵩にきて好き勝手する者もいるし、

支配者に相応の税を納めなければならない。


 兎を如何料理すれば美味いか語りながら遠ざかっていく娘たちの背中を見つめて、巻き上げられた老ゴブリンは悔しげに鼻を啜った。




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