【ロシアの雑誌の表紙を飾るタトゥーのお二人。奔放なワガママ娘とされた彼らですが、実は、意外に真面目でした。ちなみに2回目の来日でテレビ番組に出演した際、作られたイメージとのギャップに苦しんだことに触れていたのが印象的でした。なお、僕がタトゥーのベストと考える『Я сошла с ума』 のビデオクリップをつけておきました。この曲の出現はロシアンポップスのイメージを大きく変えましたが、どこか陰鬱な画面作りはやはりロシア的やなあとも思います。(画像は、YOUTUBEより転載)】 タトゥー。t.A.T.u(ロシア表記は、t.A.T.y) 彗星の様に現れたロシア女性デュオは、日本でも大きな話題を呼びました。 とは言え、話題の中心は、ドタキャンや暴言など楽曲以外のトラブルがほとんど。 ただでさえイメージが悪いロシアなのに、さらに輪をかける形になり、日本でのイメージは最悪でした。 さて、タトゥーと言う名前ですが、正確には、デュオの名前ではありません。 歌い手で赤毛のレーナ・カーチナさんと黒髪のユーリア・ボルコヴァさん、そしてプロデューサーや作詞家などの裏方さんも入れたプロジェクト名です。 実は、このプロジェクトの中でタトゥーのイメージを決定付けた人物こそ、 メンバーでブームの仕掛け人でもあったプロデューサーのイワン・シャポヴァロフさんでした。 シャポヴァロフさんは、もともと音楽畑の出身ではありません。 大学で児童心理学を勉強し、広告会社に勤務した変り種です。 その後、成功を夢見て独立し、ショービジネスの世界に関わることになります. 彼がタトゥーを生み出す中で一番重要視したのが、 『賛否両論が嵐の様に巻き起こる程、インパクトのある歌手』と言うコンセプトでした。 これは、タトゥー結成前にプロデュースした曲『ユーゴスラビア』が不発だったためでした。 コソボ紛争の悲惨さを題材にし、レーナさんが歌ったこの曲の失敗は、一攫千金を夢見るシャポヴァロフさんに根本的な方針変換を決意させます。 “真面目な社会派的売出しより、スキャンダラスでエロチックな売り出しの方がはるかに受けるし、何より儲かるっぺ!!” こう考えたシャポヴァロフさんは、新たにスカウトしたユーリャさんをレーナさんと組ませて計画を再編成。この結果、レズビアンで、かつ奔放でワガママな女子高校生コンビと言うコンセプトに至ります。 1999年。タトゥーの誕生でした。 目論見どおり、2000年9月に発売された実質的デビュー曲『Я сошла с ума』 (私は狂ってしまった)は大ヒット。 中でも雨の中、制服姿のユーリアさんとレーナさんが熱烈なキスをするビデオクリップは、『ロシアもここまで開けたか。。』と大変な衝撃を与えました。 そんな訳でセンセーショナルな出現をしたタトゥーですが、皮肉なことに人気の原因となった“奔放なワガママ娘”と言うコンセプトが暴走を始めます。 コンセプトをさらに際立たせようと、シャポヴァロフさんは、ユーリャさんとレーナさんにドタキャンや問題発言をガンガンしろと言う指示を連発したのです。 いかにも“一度ウケたら飽きられるまでやるっぺ!”的な拡大再生産が好きな広告マンらしいです。 これには、ユーリアさんとレーナさんは随分反抗したそうで、実際ロシアの芸能ゴシップ誌には、時折彼らのゴタゴタを扱った記事もありました。 そもそも二人とも別にレズビアンでも奔放な女子高校生でもないのです。 素顔は、ごく普通の若者でした。 そのため、事実とは違うイメージ付けに相当苦しんでいたようです。 つまり、表向き奔放と見えた二人が実は良識派で、二人に手を焼くプロデューサーと見られたシャポヴァロフさんが真の悪役(?)だったわけですね。 それでも、シャボヴァロフさんは、頑なに自身の演出方法を変えません。 この方針が結局タトゥー、そして何よりシャボヴァロフさん自身に命取りとなります。 タトゥースタイルと評判を呼んだ“ワガママぶり”は、最後は、世界中で総スカン状態になったのです。 気が付いた時は、もはやタトゥーのイメージは最悪で、挽回不可能になっていました。 慌ててロシア大統領選挙の立候補騒ぎなどの珍騒動を起こし、話題作りに励みますが、時既に遅し。 結局ユーリアさんとレーナさんは、2004年に契約破棄を通告、シャポヴァロフさんと決別します。 その後、新たなスタッフで再起動したタトゥーは、地味ながらも徐々に勢いを盛り返しています。 楽曲傾向も随分変わりました。 意外ですが、タトゥーは、デビュー当時からしばしば派手な言動に似合わず、社会へのメッセージ性のある歌を歌っていました。再起動後は、さらに、その傾向が強くなったと言われています。 また、シャポヴァロフさんと決別後は、ドタキャンも問題発言もまったくありません。 これも、いかに彼らの奔放さが、“作られた虚像”だったかを示している様な気がします。 シャポヴァロフさんと言う人形使いにより、虚像を演じさせられたタトゥー。 日本では今や完全に過去の人扱いですが、本当の意味でタトゥーが歌手としての力量を発揮するのは、むしろこれからなのかもしれません。 |
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あのプロデューサーの仕業だったのですね!ちょうど見たんですがM○テに出た時はタ○リさんがニヤニヤしていたから?!とか憶測が飛んでました。
この事実をもう一度広めてあげる機会があればもう一度ブレイクするかもしれないですね。
う○ばんでは偽タトゥーが現れてしばらくネタになって出てました。そして本物が出てきた時はすごく落ち着いていたので大人になったのかなぁと思ってたんです。あれが素だったんですね☆
自分達でプロデューサーのせいだと言わないのかな??
2007/9/27(木) 午後 2:01 [ 0000 ]
TATUは「赤毛のレーナ」がヴォーカルで黒髪のほうが「ユーリャ」です!!あとレーナはそうでもないですがユーリャのほうはかなり奔放ですよ。19歳で不倫、出産、シングルマザーとなっていたと思います。
2007/9/27(木) 午後 9:58 [ TATUFAN ]
TATUFANさん あっ!ホンマでした。エライすみませんでした。早速訂正しておきます。ご指摘ありがとうございました。
2007/9/27(木) 午後 10:05
(続き)ユーリャさんは確かにシングルマザーだそうですね。ただ、僕は、不倫はともかく、あまり奔放には思えませんでした。以前ロシア版ELLE誌のインタビュー記事を読んだのですが、かなり真面目で音楽に関してストイックな印象を受けました。奔放と言うより芸術家肌の人ではないかと感じています。
2007/9/27(木) 午後 10:10
うーたんさん TATYの栄光と挫折は、ロシアでのPR戦術の長所と短所をあらわしているかもしれません。欧米のPRマンが思いも突かない方法で売り出しをかけてくるのですが、PR業界が成熟していないため、ブームが下降した時の対処方法にまだ稚拙さが見られます。(TATYの場合は、ブーム下降時の対策が泥縄すぎたのがその例と思います。)TATYの歌が忘れられてもその宣伝術はロシアPR界のいい教科書になるような気がしています。
2007/9/27(木) 午後 10:25
>「そもそも二人とも別にレズビアンでも奔放な女子高校生でもないのです」・・・あと、パスポートの写真を見たら、ユーリャは黒髪ではありませんでしたw。私も招聘関係者の一人として、嫌な思い出が沢山あります(^^;
2007/9/29(土) 午前 8:00
作られた虚像~がアイドルの宿命ですからね~。
アイドルでなく実力で勝負!するのは大変ですから、プロデューサーの言いなり?に。
出直して成功している人も結構いるのが芸能界なので、また大きく成長して世界に出て来れるといいですね。
2007/9/30(日) 午前 11:34
TOCKAさん ああっ!やはりそうでしたか。便宜上黒髪と書きましたが、家内がずっとユーリャは髪を黒く染めていると言ってました。それにしても、TOCKAさん、羨ましい。今度来日して会うことがあれば、是非サインもらっておいてくださいな。←単なるミーハー
2007/9/30(日) 午後 2:03
SAYUSANさん 僕もこの二人には、このまま一過性で終わって欲しくないなと思います。なかなか歌唱力もあるなど、歌い手としての基礎体力は決して悪くないだけに、ぜひとももう一旗挙げて欲しいなって思います。
2007/9/30(日) 午後 2:05